いなの日々
3月、下の息子も小学校を卒業した。
ほとんど毎週のようにつきあっていたサッカー少年団も
卒団だ。
練習試合や公式戦を応援するのが毎週の楽しみで、
それがない時は、土曜の練習をのぞきに行ったものだった。
校庭を走る息子の姿を見るのがすきだった。
いつの間にこんなに速く走るようになったんだろう。
子供だと思っていたのに、足もがっしりしてきて
大きなストライドで走って行く。
彼はたいていDFのまんなかをやっていた。その後ろに
スイーパーがいたから、今でいう守備的ボランチの位置だ。
そんな子供の姿を見れなくなって、ぽっかりあいたすき間に
ワールドユースのサッカーが入り込んだ。
ユース関連の記事を追ううちに、稲本潤一の名前を知った。
それまで聞いたことのない名前だった。Jリーグに興味をもって
いなかったので、高校サッカーで活躍した選手以外知らなかったのだ。
将来の日本サッカーを担う逸材と書き立てるメディアの影響もあり
彼のプレーを見たいと心から思ったが、彼は不調だった。
ユース帰国から私のイナの日々がはじまった。
初めて万博にガンバの試合を見に行った。そして、テーピングが
痛々しいイナがプレーする様をいつのまにか目がずっと追っていた。
イナには特別なオーラがある。その場に立つと、君臨するといった形容が
あてはまるかの雰囲気がある。
その瞳は常にゴールに向かって光を放っている。うつむきがちな
年上の選手たちを鼓舞し、体調が完全でもない若いイナがチームを
ひっぱっていた。私にはこれで十分だった。すっかりはまってしまった。
これはきっと子離れの寂しさが影響している。もし息子が中学のクラブでは
なく、どこかのクラブチームに入ったとしたら、相変わらず練習を見に
行っていたのかもしれない。心の隙とはこんなものだ。
スポーツ選手に魅了されるのはなぜだろう。自分の体は動かないけれど
自分の魂が選手の躍動とともに飛翔する気分を味わえるからか。
選手のアドレナリンを共有できる気がするからか。
ストイックで真摯である姿に胸がうたれるというのは、まるで宗教のようだ。
まさに、神々しく見える時すらある。
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