梯 剛之(たけはし たけし)さんを聞く


梯さんのピアノをはじめて聞いたのは、もう2年も前です。
偶然テレビで演奏している姿を見ました。
正直に言うとそれは私にはとてもショックでした。
画面にアップでうつる彼の表情に頭をガンと打たれた気持ちがしました。

それまでテレビでのコンサートなどあまり真剣に聞いた事がなかったのに
その時だけは最後まで聞きつづけ、なんだか涙まで出ていました。
そしてすぐに彼のCDを買ったのでした。
CDの説明に彼は小児ガンのため生後1ヶ月で失明したということが書いてありました。

いつか生の演奏を聞きたいと思っていたら、京都府立文化芸術会館で
コンサートがあることを知りました。
PCの周辺機器を買いにいった時、そのチケット見本を偶然見た、、という
なんだか訳のわからない巡り合い!
見かけた店のはあまり好い席ではないのでぴあに電話すると、『売り切れ』だ
いう。この店の取り扱い分が残っていただけでもラッキーでした。

コンサートはすべてショパンでした。
ショパンは彼がこのところずっとうちこんでいるのです。
私は初めて買ったCDのモーツアルトがとても好きでした。
信じられないくらい明るく清らかな音で、ピアニッシモの音がとりわけクリアで美しいのです。
そしてショパンは、モーツアルトに比べてどうかなあと思っていました。

初めて見る梯さんは思ったより背の高い青年でした。
お母さんに付き添われぎこちない歩き方で舞台に登場した彼は
ぎこちないお辞儀をしました。しかし、いったんピアノの鍵盤に彼の指が
触れると、彼の気持ちのままにピアノが歌い出すのです。
そこにいるのは音楽と一体になるすぐれた才能を持つピアニストでした。
繊細な音の美しさはそのままに、新たに加わったたくましさを感じた演奏でした。
圧倒する迫力があり、かつ清らかな優しさがある、そんな演奏でした。

演奏を見て初めて分かる事もありました。
普通ピアノを演奏する人はキーを見ずに演奏できるとしても自然と
鍵盤に顔を寄せたりするものです。
高い音の時は右側にゆれ、低い音の時は左側にゆれ、無意識に音を
見ているのです。
ところが梯さんは全くといっていいほど、体の姿勢を変えません。
顔はほとんど下を向かず、肩から先の腕だけが動いている。
彼の頭の中にあるピアノのイメージに向かって弾いているかのようです。
彼にとって顔を寄せたりする「目で見る」行為には何も意味がないのだ、、と
改めて彼のいる世界を考えたりしました。

最後のバラードが終わると小さな開場は割れるばかりの拍手が響きました。
梯さんはお母さんの伝える方に向かって、正面、右、左と丁寧に挨拶されます。
アンコール曲を2曲演奏してくださいました。
はじめて聞いた彼の声は落ちついた普通の青年の声でした。
「ショパンの練習曲で、たぶん、こがらしとよばれている曲です、たぶん。
たぶん、きいてもらえばわかると思います。」と言ったとき、会場に笑いが
起こりましたが決して変な笑いではなく、とてもアンコールを楽しみにしている
楽しい笑いでした。
声を聞いて、ああ、今まで演奏してくれたのは本物の梯剛之さんなんだと
実感して、なんだかじわっと涙が出てきました。


とっても嬉しい気持ちでペダルを踏んで家に帰りました(自転車で行ったから)。
帰りに出町のふたばで豆餅を買って、商店街でかぼちゃや油あげを買って、、
ああ、高貴な時間は、、またいつか。。。


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