スポーツライターって一体何だ?



それほど古くからサッカー雑誌を読んでいるわけではないので
佐藤俊の名前に出会ったのは’99ワールドユースからだ。
サッカーダイジェストに毎週掲載されるナイジェリアからの記事は
読後にいつも嫌な気分が残った。
情緒不安定で切れやすく頑迷、選手達もスタッフも内心こばかにしている、、、
そんな指揮官像をこれでもか、これでもか、と
彼は書き送っていた。
試合は勝ち進んでいるのに彼の描くトルシエ監督像は
その指揮振りがどのような点に優れ、またどのような点が
足りないか、全く伝わってこない。
えらいのは選手や山本コーチであり、理解不能な
トルシエ監督は佐藤俊のあてこすりの的なのだ。

佐藤俊というライターは、自分が相手を理解できない時、その力不足を
己のなかに求めず、相手においかぶせて知らんぷりを決め込む。

彼の洞察力を私が貧困だと感じるのはすべてを自分の感情を基準にして
解釈するだけだからである。
彼の解釈はつねに、通俗ドラマで頭の悪い高校生が先公の悪口を
言っているようなレベルである。
すぐに切れるし、、ったくつきあいきれないっす。
後からやって来て監督面されてもね、
むかつく。。。
交代?あの人、何考えてるのかわからないからね(笑)。

たとえ選手がこのような発言をしたとしても、選手自身の低レベルを
ライターがそのまま受け入れるのはライターとして情けない。
ライターとしての目はないのか、と、問い掛けたくなる。
ところが佐藤俊の目は、このレベルと同じである。
”選手達は大人だ。”
(おいおい。。どこが大人だよ。)

私はサッカーダイジェストの購読をやめ佐藤俊の文章に会わないで
済む事にほっとしていたが、このごろまたいろいろな雑誌で彼の文章を
目にする。署名を見なくても「佐藤俊に違いない」と分かるほど彼の匂いが
ぷんぷんする。

佐藤俊の好みの選手が自分の好みの選手と重なる時、私にはとても
苦痛だ。なぜなら、選手自身の人間性が貶められた気がするからだ。
彼の記事はその選手を持ち上げすぎだ、と感じるほどのお追従に満ちている。
そしてその選手の反省すべき点や足りない点を、平気で人のせいにする。
たいてい誰のせいにするか、、、それはトルシエ監督だ。
彼は決まってスケープゴートにトルシエを選び、そこここに当てこすりや
嫌味を散りばめる。

”小笠原はウルグアイ戦の前にトルシエに「ウルグアイはこんな汚いプレーを
するんだ」とひじうちを食らって下くちびるを切ってしまった。彼は試合後の
ロッカールームでトルシエに水をかけてボトルをぶつけてやったと言っていた。”
やめてくれヨ!これでは小笠原選手がとてもつまらない選手に見えてしまう。
選手たちが自分の感情を表現するようになっていった過程を、
ラの歌を歌い、水をかけあうロッカールームの様子を、佐藤俊はこんな風にしか
表現できなかった。

NUMBERで中村俊輔の記事を書いた。
”「おまえはDFを背負ってプレーができない」と言ったトルシエのとげのある
言葉が心につきささったままだ。”
この言葉に『とげのある』という修飾語をつけたのは佐藤俊だ。
DFを背負ってプレイできない力不足を、とげと受け取るか、課題と受け取るか、、、
中村選手はとげと受け取っただけか?彼はそれだけの選手か?
違うだろう。彼はきっと自分の課題をわかっているはずだ。
それをどうして、こういう嫌味な文章にしてしまうのだろう。

そして、サッカーai2月号のイナの記事。
五輪一次予選香港Rでの途中交代や日本Rの代表落ち。
いずれもあの頃のプレイを見た人間なら、イナが本来のパフォーマンスを
取り戻していなかったのは分かっているはずだ。
彼自身もサッカーai12月号では、『コンディションが戻らず
はずされてもしゃあないと思った』と言っている。
それが
”『自分としては調子も悪くなかったんやけど、でも、日本ラウンドで
はずされたんはさらにショックやった』”
”できるのに期待に応えていない。それが気分屋の指揮官の機嫌を
損ねた。ゆえの落選。”

トルシエの選手選考はかなり冷静で的確だといつも感心しているのに、
”機嫌を損ねた”なんていう言葉になるとは。。イナを持ち上げるのも
いい加減にしてほしい。
これでは日本Rで出場した遠藤選手に失礼すぎるし、イナが頭の悪い選手に見えてしまう。
あの時のイナはあまり良くなかった。これはファンだって認めていると思う。
セカンドステージに入ってからもまだ本調子とは言えず、観客は
動きの悪いイナをいらいらして見ていたはずだ。少なくとも私は第3節の
サンガ戦でイナより格段に遠藤選手の動きが良い事にショックを受けた。
熱烈なファンである私でさえも、最終予選までにイナが復調するのか
不安だった。

スポーツライターとは、選手と友達になって本音ネタを書く事なのだろうか。
佐藤俊は選手たちと囲みの外で話せて、選手の不満や弱音をきいて
選手の本音のセリフを聞いた気でいるのだろうか。
そこから彼は一体何を見ているのだろう。彼自身の子供っぽい感情を
書き連ねているだけのような気がするのだ。
結局ライターは選手の言葉を借りながら自分の人間性を書く事になると
気づいているのだろうか。。



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