ホラーにはまる

 

梅図かずおさんが話したことが印象に残った。

なぜいまホラーがはやるのか

彼に言わせると、火星探索の結果火星に何も生命体のいない星とわかった時から
始まっているのだそうだ。
外に向かうことは、未知の怖さが合ってもそれはポジティブで挑戦的である。 
冒険する精神がある。
しかし、宇宙へ抱いていた興味が火星探索以後急速にしぼみ、
関心は内へ内へと向かうことになった。
それは同じ未知の怖さでも全く外とは対照的である。 
人の心を探り、遺伝子を探り、底無し沼の恐怖へ沈んでゆく怖さだ。

時代は必然的にホラーへと向かったのだという。

大変おもしろいが、ただ内へ内へと向かっただけでは
ホラーにはならないのではないかと思った。

人の心こそ闇であり光を食いつぶす怪物であると、どの作品も語る。
こんなことは昔から分かっていたことだ。
多くの文学作品が人の心の弱さ、醜さを描き、裏切られた悲しみ、
訴えることのできない苦しみ、血を吐く呪いを綴ってきた。
それでもホラーとは呼ばれなかった。
人の心に巣食う悪の思いと善の思いの戦いは子供の頃に読んだ「王書物語」でも
強く印象づけられた。ササン朝ペルシャ?ゾロアスター教の話だったと思うが、
肩から蛇が生えてくる場面にとても怖い思いをした。
それでもそれは今でいうホラーではなかった。


人の心の闇がホラーになったのはいつからだろう。
光ある対象がなくなり、闇が悪魔ではなくなった時、
それはホラーになったのかもしれない。
救うものもいない。戦うものもいない。そこにあるのは、
誰も救えず、誰も闘おうとしない得体の知れないものだ。
得たいの知れないものは、理解しあえない対象としてホラーとなって
人に襲いかかってきたんじゃないかな。

 

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