宗教なんかこわくない!

宗教になぜ引け目を感じてしまうのか、
信仰を持っている人間がなんだかうらやましく感じたり、
本来なら誰でも持っていなければならないものなんじゃないか?と
考えてしまったり、、、
私自身の日頃の思いを一気に晴らしてくれたのが
この本だった。

橋本治の本は今まで、桃尻語訳枕草子と窯変源氏物語しか読んだことはないのだが、
彼の頭脳明晰なことはこれだけでも十分分かる。
というか、頭が良すぎて自分を持て余しているんじゃないかと思う時もある。

さて、宗教である。宗教とは、その根本において「信じる」ということを前提にしている。
神の存在を信じる。復活を信じる。オーム真理教はへんなことを信じているからインチキだと
いうのは間違いで、無原則に信じているというこの一点において宗教以外のなにものでもない。
しかし、今の日本人にとって神を信じるというのはとても困難なことだ。
だから「教祖」というものが重要になる。
教祖とは神を信じる事を可能にしてくれるものなのだ。

そして、人が、自分の中に「なんとかしたい自分」とか、
「本当の自分はこれでいいのか」という疑問をもったとき、
「こうしたらいい」と簡単に答えを出してくれるのが宗教なのである。
「信じればいい」のだから、簡単なのだ。
本当は、「この自分をもっとなんとかしたい」という悩みの答は
なかなか出ないものなのだが、
自分の頭で考えることに慣れていないから、一人で考え続ける孤独に耐えられない。
自分の内面に語り掛けてくれるものにすぐに頼ってしまう。
「理屈であれこれ考える」より「信じれば救われる」という方を選んでしまう。
これは大錯覚なのだが、内面に踏み込む事を宗教的だと思ってしまうのだ。

自分の頭で自分について考える時、そこには孤独が必ずあるが、
自分で考えずに安易な答えを求めてしまうのが今の日本人にとっての宗教だと
橋本は明快に説く。

また、自分の内面に語り掛けてくる相手にたいして簡単に濃厚な人間関係を
むすんでしまう点について。
日本で特に若い人間の感情がおかしくなっていることについて言及する。
ただのありふれた人間関係が日常生活の中になくなってきていること、
生産の空洞化が起こり、労働という物を作り出す具体的な生活体系の中で、
”人間に関する真実や事実”を学ぶことがなくなってしまったこと、
これが、人間関係そのものを誤ってとらえてしまう原因になっている。
”濃厚すぎる関係”だけがあって、人間がお互いにつきあえていない。
オウム真理教事件に対して
「出家も解脱もいいけどさ、それじゃあんた、人間として失格だよ」
という一言が出てこない。

どこかにまだ神や仏を信じる自分がいる気もするし、宗教が存在したってかまわない。
でも、宗教は要らない、と、言ってもいいんだとちょっとほっとした本なのである。

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