原理主義台頭の時代

これはとても面白かったので、図書館で借りたあと
自分で購入しようと思ったほど(結局買わなかったけど)

ロシア、東欧諸国など共産主義国家の崩壊以後の社会的混乱について、
すべてを資本主義社会の欠点のせいにしようとする大衆、マスコミを
論じている。
たとえば、次のように明快だ。

”共産党がそのまま留まっていても、やはり払わねばならなかった。
国家は破産状態だったのだ。しかし、共産党は請求書を残したまま
タイミングよくいなくなり、決済は民主派がしなければならない。

”共産主義のテレビは幸せな労働者しか見せないが、
商業テレビは失業した労働者しか追いかけない。
こうして、悪い事は、すべて「まだ存在しない資本主義」のせいにし、
資本主義を社会民主主義混合経済に替えよと要求する。

”だが中欧の経済を資本主義経済とよぶことはできない。
なぜなら資本はないし、企業家もわずかしかいないからだ。
私企業の総売り上げの20%はやくざの「警護代」に
50%は税金にもってゆかれる。
西側では私企業と言っているがロシアの現状はこの程度なのだ。
今のところは概して市場から言葉づかいだけ借用した社会の泡にすぎない。

”不平等や貧困はひどくなった、というより
目に見えるようになったのだ。
そのため「市場経済」と呼ばれる新体制への敵意が激しくなった。
しかし、古い経済体制はほぼ手付かずのまま残り、
社会主義が自由主義と改名したにすぎない。

”経済の崩壊と不平等な貧困化はその前から始まっており、
自由化が原因ではない。
そうでなければペレストロイカは必要なかったはずだ。
志気喪失、貧困化、不平等の増大は自由化の結果ではなく、
自由化が欠落しているからだが、新支配階級には都合のいい誤解の種である。
実際にはいもしない資本家に反抗しるように仕向けるのだ。

”「民衆が失ったものに比べれば代償が大きすぎる。
保守派のクーデターだけが民衆に誇りを与え、
西洋思想による植民化から私たちを解放してくれるだろう。」
ー言葉も同じ演説を19世紀のスラブ思想家なら誰でもやったかもしれない。
こうした思想は時間を超越し、歴史と現実に無感覚である。
政治より神学に近いからである。

(”印は本より引用)

歴史に学ぶということをしない思想は、神学であるという点に
これまでもやもやと思っていた疑問が晴れた気がした。


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