なぜ私だけが苦しむのか
現代のヨブ記・・どうして自分にこんなことが起きるのだ。 私がいったい何をしたというのか? 理不尽な苦痛、悲劇の中にいる人を神が救えないのだとしたら、 なんのための神かという疑問に、とても誠実に答えてくれる。 神は人に選択の自由を与え、善でも悪でも選択できる道徳的自由をもった生物とした。 不幸は不運な巡り合わせによって、悪人によって、 また自然の法則によってもたらされるもので、 神の壮大な計画でもないし、懲罰でもない。 神は人間の行いに苦悩と同情を寄せるだけだという。 それでは何のために祈るのか、 それはいっさいの問題を取り除くためでもないし、 奇跡を求めるためでもない。
祈りは自分が一人孤独でいるのでないということを、 不幸を乗り越えるための勇気と忍耐力を与えてくれるのだ。 著者自身、早老症の子供を失ったラビであり、信仰について悩んだ末に得た答えである。