いつもこの時期になると

クリスマスと正月が近づく時期、このあたりから冬休みが明けるまで、
憂鬱な日々が続く。華やかな装いの街、人、楽しい計画、一家団欒、、
離婚したいと考えてからもう13年もたった。
全く言葉を交わさなくなってから6年もたった。
家にいることは苦痛でしかない。
子供たちがいなかったら、とっくに家を出ていたのだけれど、でも、今にして
思えば13年前に家を出てもよかったのかもしれない。
壊れたものは元どおりになんてなるわけがないのだ。

それでも子供は私にはもったいないほど良い子に育った。
聡明で公正でおだやかである。少しばかり時代遅れの伸びやかさがある。
夫さえいなかったら、幸福な人生なんだろう。
神様はこうして天秤をつりあわせるのか。。。

子供のために、形ばかりのクリスマスケーキを買うが、
食卓は白けている。ぼそぼそと食べるケーキ。夫の分まで買う必要は無いと
思いながらも、一つ少ないというのもいやらしいと、買ってくる。

そして暮れになると夫の田舎へ帰るのが嫌で嫌でたまらない。
義母はとても良い人だ。だから義母に余計な心配をさせたくないと
普通の夫婦を演じるのが、嫌で嫌でたまらないのだ。
同じ部屋に居たくないと思っても、せっかくの休みまであの男の顔を見たくないと思っても、
ずっと同じ家にいなくてはならない、会話をしないわけにはいかない・・・

結婚して20年、これまで一度も家族で余所へ行った事がない。
夏休み、冬休み、春休み、すべての休みを夫の田舎への帰省に費やした。
家族旅行の話など会話にあがったことすらない。
一番遠くまで出かけたのはジンベイざめを見に大阪の海遊館へ行った時だ。もちろん日帰り。
義父は既にこの世にいないが、義母はまだ大変元気だ。きっと彼女が死ぬまで
我が家には家族旅行はありえないが、皮肉な事にその時には家族旅行などしたいとも
思わないだろう。
まだ破局まで行っていなかった頃、どこかへ旅行しないかと相談した事があったが、
親から遠く離れて暮らしているのに、休みの時に帰らないとはどういう了見だと
いきりたって大層腹をたてられた。

今年の暮れの帰省を私は断ろうかと思っている。一人京都に残りたい。
夫がいると少しもほっとできない。夫が同じ空間にいると思うだけで
不快になってしまうのだ。休みの日に予定がなく家に居る時は最悪だ。
子供がいればまだなんとかなるが、子供が外出してしまうと、
昼食も食べられない。夫は居間にずっと居てビールを飲みながら
テレビを見続けているから、そこは私にとって息苦しい空間になってしまう。
誰でも想像すれば分かると思うが、休憩所をどうぞご自由にお使いください、と
言われても、そこにとても嫌いな人が先に居てでんといすわっていたら、
休憩もそこそこにしてその場から立ち去るだろう。というか、最初から
その休憩所には入らないだろう。そのほうがリラックスできるし。

そういう最悪な休日、わたしは自分の部屋に終日居る。
ビデオを見たり本を読んだりして一日部屋の中に居る。
夕食の時間が近づき、子供が帰宅するとやっと家は私のものになる。
居間の横のキッチンに行き、子供と話しながら支度をする。

正月休みをリラックスしたいと思い、6年前から私だけ自分の両親の
家へ行った。しかしその両親も相次いでこの世を去った。
私にはもう帰る場所が無い。

京都の家は私の家であって私の家ではない。この正月休みだけは
私の家であってほしい。
息子も孫も帰ってくるのに、なぜ嫁は帰ってこないのか、義母は
不審に思うだろう。それが申し訳なくてこれまでずっと我慢してきたけれど、
でも、わたしも少しずつ年をとってきて、気を遣うよりも自分が休みたいのだ。
このことを言い出すことを考えると、また気が重い。
口をききたくないけれど、これだけは伝えなければなるまい。