ふぐとシドニー・ブレンナー 2001年10月30日

別に個人的に知っているわけでもなんでもないんです(当たり前ね、笑)。 でも、すごい人だなぁとずっと思っていたので、知らない人にちょっとだけ 宣伝しとこうって(^o^;;簡単ですけど書いてみました。 彼はイギリス生まれの分子生物学者なのですが(今75才くらい??)、何が凄いって 後々になってなんて偉大だったんだと言われるが、当初は変人だねと言われるような、 そういう大仕事をいくつもやってるんです。 まず遺伝子がDNAの二重らせんだとわかった1960年代。 彼はそこから遺伝情報が発現するにはメッセンジャーRNAが仲介するという発見をし、 さらに、3つのヌクレオチド(トリプレット)によって、ひとつのアミノ酸の情報が 写し取られるという、今日の分子生物学の基礎中の基礎を明らかにしたんです。 この成果だけでも十分素晴らしい仕事で、普通の研究者なら続けて細かいメカニズムや 調節などを調べつづけていくでしょう。 時代の先頭を走っているわけだから、食いっぱぐれもなくやっていけるでしょう。 それなのに彼は、「もう先は見えた、面白くない」と「次は神経の研究をしたい」と言い出し、 興味を多細胞体に移すんです。 そのころの実験生物といえば、ファージ(バクテリアに寄生するウイルス)、大腸菌、 酵母、ウニ、ショウジョウバエ、カエル、もうちょっと大きいとマウス、ですが 多細胞体の発生というとショウジョウバエかカエルでした。といっても、どれも 当時の技術では発生学を分子生物学的手法で研究するには難しかったのです。 分子生物学と、発生学は、かな〜り遠い間柄で、卵から成人(?)までをトータルに 考えるなんて夢の夢でした。 しかし、ブレンナーはどうしたか? 彼は従来の実験生物にとらわれず、「線虫」という生き物を材料にしたのでした。 線虫(C.elegans)なんて、普通聞いたこともないですよね。 実はもともと発生観察の材料として19世紀にはすでに研究されていたそうです。 寄生虫のカイチュウがこの仲間ですから、昔はとても縁があった生き物なんですね。 ウマカイチュウの卵の研究などがされたようですが、上にも書いたとおり、 実験発生学はカエルなど両生類を使って発展し、遺伝学はショウジョウバエを使って 発展したため、生物学の材料として線虫は忘れ去られた存在になってしまいました。 しかしブレンナーはこの生物の発生が再現性が高いこと、細胞数が少ないことなどに注目し、 シャーレの中で飼えるC. エレガンスを使って見事な実験系を作り出したのです。 はっきり言って実験系を作り上げるなんて、並の研究者じゃ絶対に出来ない事ですよね。 わたしが大学生のころは線虫の発生なんて教科書にも載ってないし、実習でも もちろんありませんでした。(げっ、歳がばれるね) ブレンナーはC. エレガンスの卵から成虫までを生きたまま顕微鏡下で観察、同定して 一個体がわずか959個の体細胞よりなること、このすべての細胞がいつ、どこで 分裂したか、など、1から959までの細胞発生系譜をつくりあげました。 さらに突然変異体を数多く分離してそれをゲノム上にマップし、細胞レベルでの発生・分化研究と ゲノムレベルの研究の道を一本にまとめたんです。あまりにも美しい仕事でした。 これが70年-80年代で、発生学を志していた学生はかなりエキサイトしたものです。 そういうわけで、今日線虫C.エレガンスは、ゲノム解析と細胞分化のモデル生物として 大変発展した分野になっていて、日本でも盛んに研究されています。 が、が、が、ブレンナーの凄いところは、ここで線虫の研究の基礎を作ったあと、 またまたジャンプしたってことです。頭が良すぎるってことなんでしょうか。 ぐわーっと仕事をやって見事な骨組みを作ると、あとの力仕事は凡人でもいいでしょうと 去っていってしまうんですね。 線虫のゲノム解析で多細胞体の基礎は研究できるが、これでは脊椎動物のヒトには遠い。 ヒトのゲノム解析なんて、50年たっても終らないかもと研究者さえも思っていた頃に、 ブレンナーはヒトのゲノム研究にとって重要となるはずだ、と突如「ふぐ!」と 言い出すのです。 ヒトのゲノムは約30億塩基で、ジャンクと呼ばれる意味のないようなあるような ゴミみたいな部分が多い。だから配列が全部わかったとしても意味のある所とない所を 区別するだけでも時間がかかる。 ブレンナーは「ふぐは約4億塩基でヒトの8分の1、しかもジャンクが少ないから 遺伝子を見つけやすいはず!」と主張しました。たしかに線虫ゲノム(1億)や ショウジョウバエ(1億8000万)に比べると大きいですが、脊椎動物の中では 群をぬいて小さいのです。 「ふ、ふぐぅ???なんでまた??」 「配列決定なんてヒトだって全然進んでいないじゃん」 わたしなんて凡人そのもの、ブレンナーの発想に感心はするものの、 なんて夢想家なんだろうと思っていました。 当時まだゲノムプロジェクトに異を唱える科学者もいた時代で、特に日本は足並みが そろわず真剣に考えている人など少数だったんです。 それでも1989年にとらふぐプロジェクトはアメリカで動き出しました。 が、、50年たっても終らないだろうなんて思われていたヒトゲノム配列決定が、 技術の進歩と力仕事で、なんと2000年!に終了し、これからの解析作業が待たれている今、 2001年10月25日のとらふぐ全ゲノム配列決定は、とても貴重な情報として利用されるのです。 すでにふぐで見つかった遺伝子を元にしてヒトの遺伝子の位置が決定されています。 ふぐゲノムがヒトゲノムの解析にとって必要になるというブレンナーの予言は 正しかったのでした。 講演を2回ほど聞いたことがあるんですが、 びっくりするほどよれよれのぼろ服を着たおじいさんでした。 みんなパリっとしたスーツを着ている国際シンポジウムの中、うへっ、なんだか変な おじいさんがいるぞって感じで、上着はつぎあてはあるし、そでぐちがぼろぼろだし。。 もしかして何10年と愛用の上着なんだろうか? あれがブレンナーだと聞いてものすごく納得しました(^o^;; 彼は講演で、もう、ふぐゲノムの先について語っていました。うひゃぁ恐るべし。 ゲノム解析をいかに能率良く行うか、意味付けをするのには何が必要か。 ブレンナーらしい。 だらだら仕事を続けるんじゃなくて、ゴールを考えて、そこに至る道を探す。 天才ってこういう人を言うのかなあって思ってしまうような人物でした。 ノーベル賞の季節になると、生物学者は、なぜブレンナーがノーベル賞をもらって いないのか不思議だ、と必ず話題にするんですよね。 ************** 【後日談】 なんと、この話を書いた一年後の2002年、 ブレンナー博士はノーベル生理・医学賞を受賞されました。 受賞理由は違いましたが、それでもやはり、 ふぐの全ゲノム配列決定はエポックメイキングになったのではないでしょうか。