ペーパーバック今昔


わたしが初めて原書を完読したのは、むかしむかし、、になっちゃったけれど
ル・グィンの「Earthsea Trilogy」(ゲド戦記の1−3)で
翻訳が岩波のハードカバーしか無く、仕送り生活の大学生にとって
気軽に買うには高かったからだ。

この原書のトリロジーは、翻訳で3冊分がぶあつい一冊のペーパーバックになっていて、
表紙は指先から光線をだしているバビル2世もとい!ゲドだった。
たしか1000円くらいで買えたのだ。
これを読み終えたときは、かなり自分を誉めたくなった(笑)。
いや、まじで、これを読み終えたのがその後のペーパーバックを読むときの支えに
なったと思う。
お話自体はテーマがはっきりしてるので分かりやすいが、ル・グインの文章が
豊富な語彙と詩的表現を好むので、知らない単語だらけだった。

エンデの「ネバーエンディングストーリー」(はてしない物語)も翻訳がハードカバーで
結構高かったから洋書(英語)を買ったし、
「大地の子エイラ」も全く発想は同じだった。新聞の書評か何かで面白いと書いてあり、
読みたいと思ったが翻訳はハードカバー3分冊で高かった。
それが1巻が5ドル以下で買えるということで、3巻の「Mammoth Hunters」まで買ったのだった。
幸運にもこれらも少々てこずったが、完読できた。
だんだんとわからない箇所は飛ばして読むのが板についてきたのだ(笑)。

そうはいっても分からないのにも程度がある。

今思うと「指輪物語」が最初から文庫本で出てくれて本当によかった。
もし翻訳がハードカバーでしか出なかったら、、、と考えると、ぞわわわ。
文庫の裏づけをみると昭和52年初版、当時ファンタジー系が好きな同級生はこぞって
読んだもので、わたしもごたぶんにもれず夢中になって読んだ口だが、
文庫本6冊が一冊の原書ペーパーバックになっているのを持ってはいるが
全然読んでいない(笑)。あれを原書で読んだという人は尊敬してしまうなぁ。

未訳だから買うという発想で買った初めは、アイザック・アシモフの
ファウンデーションシリーズ「FOUNDATION'S EDGE」「FOUNDATION AND EARTH」で、
SF小説の入り口あたりでは、ファウンデーション3部作は必読書みたいな感じだった。
当時のSFファンでハリ・セルダンを知らない者はいなかっただろう。
ファウンデーションの続きがあると知って、読みたくなり、
で、これはなんとか読めたのだが、、以下のは全然だめだった。
それはレックス・スタウト。(推理小説作家です、いや、でした)

わたしはレックス・スタウトがとても気に入っていて、巨漢傲慢探偵ネロ・ウルフと
しゃべくり気配り助手アーチーの掛け合いがとても好きだった。
でも、本として翻訳されているものが少ししか出ていないのが不満だった。
なぜか、ミステリーマガジンやEQマガジンでときおり翻訳は載るが、その手の雑誌を
ずぅっと買っていないと、読むことができない。
(作品をまとめて本として出版してくれたらいいのに・・・)
で、彼の洋書を6冊も!買ったのに、恥ずかしながら一冊も読んでいない。。。
(レックス・スタウトは老後の修行にとっておこうっ)

それから10年以上洋書のペーパーバックを読むことが無かった。
生活、仕事が忙しくて洋書を読む余裕がなかったのかもしれないし、
節約して原書を読む必要もなくなったのだ。

ネット社会になっていなければ、これほどロマンス原書を読むことはなかっただろう。
こんな面白そうなのが、未訳なんだ、、ああ、読みたいなぁ、、
この誘惑の声につられて、	昔は節約のために買った洋書が、
今ではお金のかかる道楽になっている(笑)。
たいてい古本だから、本の値段は3ドル以下なのに、輸送に9-18ドル、
気がつくと30冊以上買っているから、笑えないかも・・(爆)。


ま、ちょっとだけいい点は、電車の中でも素知らぬ顔で
赤裸々場面を読めるってことだな・・(をいをい)