ネット スキャナーズ

よくあるSFネタに人の心がよめる悲哀というのがある。
笑顔でしゃべりながら実は「うざいんだよっ!」と思っている声が聞こえる、とか
いう話で映画やマンガなどでよく見るパターンだと思う。
超能力者は本音を知って人間なんて信じられない!と思ったり悪意に頭が痛く
なったりする。本音が聞けて幸せと思う例の方が少ないのがこの手の話に共通する。
つまり人というのは嬉しい事はそれほど隠さないけれど
相手にとって嫌な事は隠すものだからである。

普段私たちがトラブルなく心の平安を保っていられるのは、人の悪意を
知らずにすむからだ。
ところが、いったんネットをのぞくと意外な所で発見する悪口の数々。

『自分がたいした理由もなく嫌っている人がいるのだから、自分もたいした理由が
なく人から嫌われてもしようがない』という命題を理性で分かっているにもかかわらず、
感情は冷静ではいられない。
その悪口を言っている人はどこかで自分とすれ違っているか、いや、もっと身近に居たに
違いないのだ。単なるうわさ話よりもいやに事情に詳しいじゃないか。
先にだした超能力者の悲劇のように、聞きたくもない心の声をこうして聞いてしまうのだ。

ネットでは実社会よりも匿名性のためにより始末が悪い。
一体何人の人がそう思っているのかも掴み所がなく、発言者が常識人なのか
おかしな連中なのかもわからない。
やや誇張され嘲笑されているのを見て心安らかでいられるほど強い人は
少ないのではないだろうか。
とりあえず私はてんでだめである。
嫌われると言う事にからきし弱い小心者だ。
「スキャナーズ」の主人公が薬を使って絶え間無く入ってくる心の声を遮断するように、
ネットの悪意を遮断する心の強さがないと傷だらけになってしまいそうだ。

ネットの不思議なところは自分の感情をまるで「王様の耳はロバの耳!」と
言い放つように、コンソールに向かって吐き出してしまう事だ。
小学生でも「俺、このクラスに大っきれえな奴が3人いるで」「私、何々さん大っきらい!」
などと公言したらクラスの雰囲気が悪くなるのは分かるから仲間うちでしか
そういう話はしないのに、なぜかネットだと仲間内などというものは存在しないにも
等しいというのに感情を剥き出しにする。
対面形式で文字を書いているのでまるで狭い場所にいるかのように
錯覚してしまうのかもしれない。
しかし、ネットワークに公開している時点でそれは出版しているのと
同じことだ。自分はすっきりするのかもしれないが汚物の垂れ流しと
同種なのかもしれない。
悪意の匂う言葉が流れ込むネットの海で溺れそうになるとき、
『スキャナーズ』の映画の冒頭のイメージがぴたりとはまる。
悪意の上手な遮断能力は現代のネットスキャナーにも必要なのである。