2002年その4


ビューティフル・マインド A Beautiful Mind (2001

またひとつラッセル・クロウが好きになった。
この人はなにかに取り憑かれている。信じられないほど役に入り込んだ演技を
見せてくれる。
 
さて、話はひとりの天才数学者の、数学にとりつかれた人生と
彼を支える人々との苦悩をこれでもか、というように描く。
 
人より優れているという思い、偉大なことを成し遂げたいという野心、
あまりに大きいプライド、どこを針で突いてもプライドが出て来そうなほどの
その自尊心とその矜持、しかし一方で人から認められたいと、恐ろしいほどの不安を
抱えている弱い自分がいる。
数学界名門中の名門プリンストン大で(この部分は嬉しかったなぁ、
あの頃のプリンストン大って数学の聖地っ!ですよね、見てみたかったんだぁ)、
カーネギー奨学生となっていても、もうひとりの奨学生ハンセンの業績が気になってしかたがない。
自分はおまえより優れている、と、面と向かって相手をけなすほど
主人公は尊大で嫌な人間なんである。
(しかし、ニュートンだって、とてつもなく嫌な人間だったのだし、天才はけっして人のよい奴じゃない)
 
後のノーベル賞受賞のもととなった非協力ゲーム理論を論文にし、ナッシュは望みどおり
MITの研究所に就職をする。当時の状況もここでは大きな意味を持つ。
原子爆弾という最大の武器をもつにいたった冷戦下の世界は、
危うさの緊張感が常にあり、しかも情報戦争が本格化していた。
映画のナッシュは、ここで政府の機密中の機密というべき暗号解読に
かかわる事になる。
この機密活動はしばらく続くのだが、ロシアスパイに命を狙われる、という段になって
一転、すべてがナッシュの幻覚だったことがわかる。
 
自分の数学の才能は、もう最盛期を過ぎたのではないか、という不安、
自分の頭脳が国に偉大な貢献をするという狂おしいほどの自負、
これらが生み出した幻覚。
彼は統合失調症(精神分裂症)にかかっていたのだ。
驚いたことにプリンストン大時代ルームメイト、唯一の友人だったチャールズまでも
幻覚の所産だった。
唯一の友人、理解者、彼の能力を認め、彼を励まし、彼を愛してくれた、
その人もまた幻覚だったのだ。
数学を愛するあまりの自負心が彼をおいつめ、苦しくも長い病気の時代へと連れ去る。
 
さて、ここで、実際のジョン・ナッシュについて経歴を読むと、
いやはや映画よりもさらに波乱万丈だ。
MIT時代にアリシアと結婚したナッシュは、妻の妊娠中から奇矯な行動が
目に付くようになり、やがて入院。
その後もプリンストンのキャンパスをぶつぶつ言いながらうろつき、
元の同僚におかしな手紙を送ったり、意味のない長電話をかけたり
どんどん症状は悪化する。
33歳のとき、映画にあったような、インシュリンを使った非常にリスクの高い
治療に踏み切り、数ヶ月後退院。
34歳、彼はヨーロッパに行ってしまい、35歳、アリシアは離婚する。
彼は友人たちの尽力でボストンに職を得、他の女性と暮らす。
落ち着いたかのように見えたが、思考力が鈍るといって薬の飲むのを
やめてしまい、再び悪夢の日々が始まる。
42歳、このままホームレスになって路頭をさまよって死ぬだろう、
という彼を、アリシアは「下宿人」として自分の家にひきとり、
彼の面倒をみる決意をする。
その後何年間もナッシュはプリンストン大のキャンパスをうろついては
黒板に謎の公式を残すという奇矯を続け、学生たちは影で彼を
「ファントム」と呼んだ。
50歳代にはいり、少しずつ病気はよくなっていき、幻覚が減ってくる。
そして一度ノーベル賞候補にあがるが、その時は賛成票が少なく
受賞しなかった。その時のエピソードがプリンストン大の教官用食堂の
シーンらしい。(実際には受賞しなかったときのノーベル賞審査員との会食。
ナッシュは「わたしは正式な教授ではないから入ったことがない」と
言ったそうで、泣けてしまう・・)
ナッシュは66歳でノーベル賞を受賞。
そして73歳で、なんと、アリシアと再婚する。。。
 
映画では離婚から下宿人になるまでのエピソードはないが、おおすじは変わっていない。
 
わたしがとても好きなシーンは、
カーネギー奨学生、ライバルだったハンセン、いまやプリンストンの学長になっている彼を
たずねるシーン。
かつてのライバルに、プリンストン大でのポジションを乞う。
「研究員としてオフィスが無くとも図書館が使えれば嬉しい」と頼むことは
自尊心の高いナッシュにとっては屈辱そのものだった。
それでもなお、彼をそうさせるのは、ナッシュを病気にまで追い込んだ数学への愛、と
常気の世界へと戻ろうとする彼の強い精神力。業の深さを感じるとともに
その愛を共有するものたちがさしのべる援助の手の暖かさに
涙がでる。
 
もちろん、教官用食堂のシーンも泣けてしまうひとこま。
「わたしはパターンを見つけないようにしている。夢をみることや想像することも
自分に禁じている」
この台詞がいかに辛いものか、数学者にとってパターンを見つけないようにすることは
どれほどの苦痛なのだろう。
 
昔、ラマヌジャンの伝記を読んだときのことを思い出した。
天才中の天才、インド人数学者ラマヌジャン。
彼ら天才数学者の、数に取り付かれた、数への愛は凡人はとても理解しがたい。
彼らにだけ見える「美」がある。
 
病床にあるラマヌジャンをハーディが見舞いに行き、乗車したタクシーのナンバー、1729を
何気に彼に伝えると、ラマヌジャンは間髪を入れず
 
「とても面白い数字ですよ。三乗の和として二通りに書き表せる数のうち、最小のものです」
 
1729は1の三乗と12の三乗の和であるし、また9の三乗と10の三乗の和でもある。
こういう数字のうち一番小さいのが1729だというのだ。 
 
そんなことを思い出しながらこの食堂のシーンを見ると、学者たちがジョン・ナッシュの元へ行き
彼に敬意を表するのがとても嬉しい。
 

ある意味画期的だと思うのは、幻覚が見えても、それは現実じゃないのだ、と認識して
折り合って生きられるのなら、それは病気じゃない、と言ってる点だ。
「病気を意識する」ことは可能なんだというのは精神病患者にとって勇気を与えることだと思う。
 
さて、映画としてはどうか。
これはアカデミー賞をとったわけだが、映画としてはなかなか良い、くらいではないかな。
どうしても「これは実話だ」という見えないパワーが強すぎて上手く評価できない。
適当にはしょったところも、こちらが勝手に深読みしてしまうし。
 
それにしても、ラッセル・クロウは凄い。
とてつもない演技力だと思う。彼は映画の「ジョン・ナッシュ」を作り上げていた。
アリシア役のジェニファー・コネリーも可憐でりりしかった。
 
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色々なサイトで感想を漁ってみると、かなり多い感想が「あんな筋肉ムキムキの数学者なんて変!」って
いうものだった。ふにゃ〜〜。
それって逆差別よっ!逆偏見よっ!(笑)
数学者のイメージって、川端康成さん?目が鋭く光ってて頬がこけていて、痩せている?
それともホーキンズ博士?
がたいがよかったり、腕っぷしが強かったりしたら、だめ?
必見です->数学は体力だ!
 
この100年の日本数学界の5指にあげられる、数学雑誌に特集が組まれるような方が
ご近所にいらっしゃるのだが、、その方、がたいいいのよ〜(爆)。
我が家の下の息子がはじめて玉付き自転車から補助輪を取ったとき、
ずっとうしろをささえて走ってくださった、ってわけで、みんな学者・研究者に偏見もちすぎ(^-^;;;
 

 

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