2003年その2


ピンポン 2002年日本

松本大洋の原作を知っているものとしては、あまりにキャラが似ていて空恐ろしい(笑)。
松本の描く濃密な2次元世界がけっこう上手く再現されている。
 
話もわかりやすい。窪塚演じるペコのキャラはまっすぐだし、争い勝つことで人を
傷つけたくないスマイルはわざと手加減することで人を傷つけているわけだが、
それもまたありだ。
観客がすべてCGだったとか、ピンポンの玉もすべてCGだったとか、
なるほどここまで日本映画もできるのか、と興味深かった。
 
だが、どうにも好きになれない点がある。それはコーチの竹中直人さんとおばばの夏木マリさんだ。
ふたりとも上手い。演技にいちゃもんつける気はない。
でもキャスティングとして見ると、
うーーーむむむ、なんだよぉ、いっつもおんなじ顔の(声の)俳優を日本映画は見せるのかよぉ。
と言いたい。
 
千と千尋の湯婆々のまんまの雰囲気だよ、夏木さん
ウォーターボーイズと同じにみえるよ、竹中さん
他に俳優っていないのかなぁ・・・
 
おまけの15分短編「ティンポン」は気に入ったぁ。大受けである。
大田キャプテンを演じる荒川良々さんはそこにいるだけで可笑しい。
「あい きゃんと すいみんぐぅーー!」「みぃーーとぅーーー!」
これには爆笑だった。
 

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チョコレート Monster's Ball (2001年アメリカ・カナダ)

レティシアを演じたハル・ベリーが黒人初のアカデミー主演女優賞をとったことで
話題に上った映画である。
 
だが私は全く予備知識無しでみた。ボブ・ソーントンが見たいから借りたのだ。
といっても「スリング・ブレイド」のソーントンしか知らないのだから、
こりゃあびっくりした。わたしのイメージのソーントンと、同一人物とは思えないよ。
 
予想もしなかった展開にのっけから息をつめてしまった。
 
女の夫は10年以上州刑務所にいる死刑囚であり、一方、男は父親、自分、息子と
家業のように務めてきた刑務所看守である。
女は黒人で、男は人種差別主義者の白人である。
彼らは辛いほど孤独である。
女はもう夫を愛していたのかすら覚えていないほど傷つき疲れており、
男は母親からも妻からも捨てられているが愛が必要だと自覚すらしていない。
 
彼らはひたすら家族を失っていくのだ。。
女の夫は処刑され、男の息子は自殺する。
男は自分の殻を破りたいと思いながら息もできない苦痛を味わっている。
女の子供がひき逃げされ、偶然通りかかった男が病院に運ぶ。
子供は助からず、女の悲痛な姿に黒人嫌いなのにもかかわらず同情する男。
彼らは互いに癒しあう存在となり、男は何かが変わってくる。
 
男の父親の侮蔑的な差別発言に傷つき、男の愛を信じられなくなる女。
女を取るか家族を取るかの選択に男はなんと父親を捨てる(!)。
 
恐ろしいほどの孤独。
再び結ばれる二人
「大切にしてほしいの」「大切にするよ」
しかし男がアイスクリームを買いに出たとき
待っていた女は男の亡くなった息子の部屋で夫が獄中で書いた絵を見つける。
夫を殺した側の女になった屈辱感に
信じた矢先に裏切られたような、身を切る苦痛にこぶしをベッドにたたきつける女。
 
アイスクリームを抱え幸せそうに帰ってくる男。
うつろな表情の女。
夜空を見上げながら、外の階段に身を寄せて腰掛け、アイスクリームを食べる。
男はスプーンにすくったアイスクリームを女の口元へ運ぶ。
うつろだった表情がわずかに微笑み、差し出されたスプーンを口にする。
画面は夜空で終わる・・・
 
さあ、どうなの?これ? 正反対の成り行きのどちらをあなたは選ぶの?
 
女は男の愛を受け止めすべてを許し、ふたりはこれから共に生きるのか?
それとも翌朝には女は男を殺す(男と別れる)つもりだが、今だけ忘れたそぶりをしてるのか?
 
原題の"Monster's Ball"は、死刑執行前夜、執行人が死刑囚のために行う宴を意味していて、
男が息子に「今だけは処刑の仕事を忘れろ」と言った時に使った言葉だ。
 
この映画は愛する者を失う、殺す、殺される、捨てる、捨てられる、が繰り返されるが、
それは処刑の変形であろう。そして、相手を傷つけて死に追いやっていることに気づかず
【処刑前の宴】を生きている者たちを冷たい視線で見つめている。
 
とすると、あの差し出されたアイスクリームは
明るい未来への約束じゃなく、暗い結末の暗示となってしまう。
 
だが、そう思いたくない自分がいる。
鈍感に生きていれば【処刑前の宴】となるふたりの関係を
不器用でもどうにか変えられる、という希望をもちたい。
 
チョコレートという邦題はどこかに甘い雰囲気が漂い、あまり好きじゃないな。
 
#それにしてもソーントンって人はどうなってるんだ??
しつこいけれど、同一人物とは思えないよぉー。
 

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アメリカン・スイート・ハート America's Sweethearts (2001年アメリカ)

早送りで見てもいい映画かも。
なんかピリッとしたところがない。
ジュリア・ロバーツはロマンティックコメディに向いていて、悪くないが
分かりやすすぎの筋にはもうちょっとひねりが欲しいし、
ジュリアの姉の人気女優キャサリン・セタ・ジョーンズの位置づけも中途半端。
 
ジョン・キューザックは、昔は全然魅力を感じなかったのだが、
なぜか最近はけっこう好きになった。っていうか、少し引き気味の一生懸命
内気系ヒーロー(おちょぼ口)が最近のお気に入りなのサ(笑)。
 
ビリー・クリスタルが、なんつうか、意味のない下品さで面白くない。
 

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セッション9 Session 9 (2001年アメリカ)

「ワンダーランド駅で」のブラッド・アンダーソン脚本監督編集。
前作のラブストーリーとうってかわってサイコホラー映画だ。
 
マサチューセッツ州の精神病院廃墟。壮麗な城のような館は歴史的建造物で
とりこわすことができない。
アスベスト除去作業を受け持つ5人の男。
 
くさった天井、はがれた壁、かってロボトミー手術がおこなわれた部屋、
古びた写真が壁一面にはられ、声にならないうめき声をささやく。
誰もすわるもののいない車椅子。
かっては2000人を超える患者がそこで暮らし、そこで死んでいった・・
 
アスベスト除去作業会社をしきるゴードンは疲れていた。
この除去作業を無理にでも受注しなければ会社はやってゆけない。
50を過ぎて出来た子供は病気で夜泣きが続き睡眠不足が重なっている。
 
危険でストレスのたまる仕事。蓄積疲労、夫婦の不和、女をめぐる争い、鬱積した想い
暗くよどんだ空気のなか、それぞれの緊張が高まってゆく。
誰もが地味でぱっとしないから、精神のもろさ、危うさが余計に生々しく感じる。
うっちゃられたままの資料室で見つけた多重人格者との治療経過記録テープが最後の9番まで行ったとき、すべてが壊れてゆく・・・・
 
壁に貼られたゴードンの家族の写真には謎が残る。
どこまでが真実でどこまでが男の妄想なんだろう?
除去作業の進み具合もつっこみたい疑問だ。
2週間の作業を無理やり1週間で請け負ったのに見ているとなんだか暢気な作業進行だ。
ところどころに中途半端な感じがしないでもない。
 
だが、この監督の映画には独特の理性的な空気があって(ホラーに理性も無いもんだが)
人間というものを語りたいんだろうと強く感じる。
彼が描く映画の空気は心に残るものがあり、次回作もまた見たいと思う。
 

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バーバー The Man Who Wasn't There (2001年アメリカ)

暗い。
恐ろしく暗い。
コーエン兄弟の作品はとても好きだが、ここしばらくはこんなに暗いものを
作っていなかったと思う。
初期の「ブラッドシンプル」に似ていると思うが、ストーリー自体は「ファーゴ」に
そっくりだ。
でも「ファーゴ」はほのぼのとした味わいで終わったのに「バーバー」は
突き放されて終わる。
 
それもこれもビリー・ボブ・ソーントン、君のせいだよー。
人生の苦しい嫌な暗い部分すべてを背負っているんじゃないの?
って言いたくなるほど、ソーントンの陰鬱さが覆っていた。
 
彼はほとんど何もしない。寡黙なヘビースモーカー。
人並みに人生に対する不満を抱え、唯一訪れたチャンスに「自分は頭がおかしくなったんじゃないか」と
思いながらも賭けてみる。だが・・
コーエン兄弟のいつものように、思わぬほうへ、思わぬ方へところがってゆき、
乾いた笑いと苦々しい皮肉にみちた結末へ落ちてゆく。
 
コーエン作品でいつも感心するのは、最適だと思う脇役たち。
なんていうか顔がみな良いんですよね。(美人とかハンサムとかいう意味じゃない)。
はまった顔をしてるんです。
そして映像がスタイリッシュ。
フランシス・マクドーマンドはつかみどころのない不思議な女優だ。ときおり綺麗に見えたりする。
ソーントンと並んで腰をおろしていると、はまりすぎてて恐い。
 

#ときたまソーントンがハンフリー・ボガードに似てる気がする(石を投げないでぇーー)。
思いっきり甘いロマンスものを一度やってくれないかなぁ。
 
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草の上の月 Whole Wide World (1996年アメリカ)

ああ、どう言ったらいいんだろう。ロマンスでもあり伝記でもあり、
そのどちらでもない。
ひとりの人間をまるごとこんな風に描いてみせてくれた映画になんて言ったらいいんだろう。
 
ヒロイックファンタジーの元祖、彼なくして始まらなかったと言えるほど
高名な「コナン」の生みの親、ロバート・E・ハワード。
30才で自殺した彼との思い出を一人の女性がつづった。
その「One Who Walked Alone」を元にした映画だ。
 
彼女ノベリンは作家志望の小学校教師で、ハワードは既に売れっ子のパルプマガジン作家だ。
ハワードの複雑な内面。野蛮と興奮、剣と美女、荒々しい物語をつくりあげる彼の実像は
繊細で傷つきやすい魂をかかえ、
奇矯なふるまいをして周囲を困惑させ、
自負心とコンプレックスに尊大になるかと思えば殻にこもり社会と接触を絶ち、
病弱な母親との間の異常なほどの愛情の網に囚われている。
 
彼を愛するノベリンだが、ハワードは母親から離れてほしいと望むノベリンを受け入れられない。
誠実な愛を捧げてくれる女性は母親以外この世にいないんだと言いながら
あなたは愛される価値のある人よ、と真心を差し出すノベリンの愛をこばむ。
心の痛みでハワードから離れようとするノベリンだが、離れてゆくノベリンに我慢できないハワード。
 
ああ、ハワード!君はいったいどうしたいんだ?
揺さぶって目を覚ませてあげたい、大人になれっ!って耳をひっぱってやりたい。
そう思う一方ハワードがこういう人間だってことをわかっていても
惹かれずにいられないほどのいとおしさを感じる。
 
不安定な精神、詩人であり野蛮人でもある、ハワードを演じた
ビンセント・ドノフリオがものすごくいい。
そして、現実的で自立している一方、ひたむきで瑞々しい愛情を体いっぱいに
表現するノベリンを演じたレニー・ゼルウィガーが、これまたものすごくいい。
 
しかし普通うちのめされるよ。
母親がもうじき死ぬと告げられたら「ママのいない人生なんて」って
思ったか思わなかったか、自殺しちゃう男なんてさ、
彼女に対してあんまりだーー。
それでも彼に巡り合えて良かったと、涙のなかにも微笑みをうかべるラスト。
彼との心の交流のすべてが美しい夕日に象徴されていた。
「君のために用意した」 いつもそう言ってた夕日だ。
 

#ドノフリオって、セルでサイコキラーを演った人?! げーーっびっくり。
役者ってすごいわ
 
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ロック・ユー! A Knight's Tale (2001年アメリカ )

単純に面白い。ぐだぐだ悩まない、直球、少年ジャンプのノリそのもの、
主人公とその仲間たち、熱い信頼だぜっって感じ?
嫌な奴がいて、最後はぶんのめしてやるぜって感じ?
 
素直に楽しかったのは主人公のヒース・レッジャーが好感度大だからだ。
むちゃくちゃハンサムってわけじゃないんだけれど、にこっと笑う顔が最高で
負けん気の強さ、ひたむきさ、愛情の深さが実に良い感じだった。
ヒース・レッジャーっていい感じジャンと思ったら、おなじ年公開された
「Monster's Ball」(チョコレート)でソーントンの息子役としてわたしは
既に見てたわけだ。(ほんと、見る目の無い奴だ>自分)
 
仲間たちもよい。特にチョーサー役のポール・ベタニィがとてもいい。って思ったら
これまた同じ年公開された「Beautiful Mind」(ビューティフル・マインド)で
ラッセル・クロウ演じるナッシュが幻想で作り上げていたあの親友チャールズを
やっていたんだった。
彼らは奇しくも同じ頃、手ごわい名優相手に助演してたってわけだね。
 
最後のおまけのシーン。アレは一体・・・・(絶句)。
エドワード黒太子 Edward the Black Prince (1330年生1376年没)の時代、
おならって庶民にとっては全然恥ずかしくないものだったの????
映画を知らない人のために説明すると、パブでビール代を誰が支払うか、
おなら合戦(大きな音を出せなければ負け)で勝負したというシーンで、
男女がブーブーとやるんだけど、、、、まぁねぇ、、きっと「カンタベリー物語」に
そういう挿話があるんだろうな。
 

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ベティ・サイズモア Nurse Betty (2000年 アメリカ/ドイツ)

レニー・ゼルウィガー演じるベティは彼女の得意のキャラと言っていいと思うが
こういう役をやるとハマル。
清純でとぼけていて、けっこうしっかり者で、高野文子の描くキャラみたいな
味わいがある。
夢見る夢子さんなんだけれど、庶民的でもあり、美人じゃないけれどそそられる。
 
主人公ベティは昼メロに夢中なウェートレス。今日は誕生日で店の仲間は祝ってくれたが
中古車販売業の夫は誕生日だということも覚えてなく、彼女が仲間からもらった小さいケーキも
むしゃむしゃっと食べてしまう寒々しさ。
夫はドラッグの横流しに手をだし、組織のヒットマン2人(モーガン・フリーマンとクリス・ロック)が
ドラッグのありかを追及しにやってくる。
ベティは夫が惨殺される現場を目撃してしまい、あまりのショックでその記憶を失い
(専門用語では健忘遁走<フューグ>と言うそうだ)昼メロの世界へハイってしまう。
昔別れた恋人に会いに行くの、と、カンザスからはるばるドラマのロケで使われる
ロサンゼルスの病院まで行ってしまうのである。
 
ばかげた夢であろうとなかろうと、何かに一歩踏み出す勇気さえあれば道はひらけるのだ。
そういうメッセージがこめられたスラップスティックだが、
それでも夫の惨殺シーンは、、、(絶句)。
そりゃこれくらい酷くないと、ベティがフューグする説得性がないかもしれないが、
えげつなかったーー。
 
#モーガン・フリーマンのラブシーンなんて、初めてみましたっ(笑)
純愛でしたねぇ(にやにや)。
 
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輝きの海 Swept from the Sea (1997年 カナダ・UK・アメリカ)

コンウォール沖で難破した船の唯一の生存者、ロシア人ヤンコ(ヴァンサン・ペレーズ)と
コンウォールの閉鎖的な村で働く娘エミリー(レイチェル・ワイズ)の恋愛をめぐる物語である。
が、何かがおかしい。
コンラッドの原作を読んでいないからはっきりとはわからないけれど、たぶん脚本がおかしいのだろう。
 
メアリを邪険にする医者(イアン・マッケレン)と、足の傷の感染症で苦しむ富裕な家の娘
(キャシー・ベイツ)との会話で、キャシーが「何があったか教えて」と言い、
医者が「くわしいことは誰にもわからないが、、」とヤンコとエミリーの物語を進めるのだが、
すぐに「???」と思う。
なぜならキャシーは医者が話す場面の大半に登場していて、医者から聞くまでもないからだ。
難破船の出来事があった当時を回顧する「きっかけ」としては、おかしな導入の仕方だ。
ま、そこは我慢するとして、ヤンコの肺病が重くなり、とうとう亡くなってしまったあとの
エミリーの態度に医者は我慢ならなかったわけだが、
医者がエミリーを嫌うのは、ヤンコが死んだから<だけ>じゃないはずだ。
なぜならヤンコが生きている時でもヤンコに「なぜエミリーが嫌いなんですか?」と
問いただされている。
その答えは結局提示されず仕舞いだった。
 
つまらない文句が出てしまうのは、この映画の役者たちの演技、コンウォールの風景、いずれも
素晴らしかったから、ぎこちない脚本が残念というわけなのだ。
 
このレイチェル・ワイズがあの「ハムナプトラ」の能天気ヒロインと同一人物だとは、
びっくりしてしまった。
 
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クロウ2 Crow: The City of Angels (1996年アメリカ)

はぁ〜。なんとも・・
ヴァンサン・ペレーズを見るために借りたけれど、お話の方は。。
 
それにしてもわたしの見るヴァンサンはまたしても海におぼれて全身ぐったりびっしょり(笑)。
あ、製作からするとこっちの方が「輝きの海」より先か。
これ見た関係者が、おぼれ具合、叫び具合がばっちしいい感じってんで、
「輝きの海」の主演を依頼した・・・んなわけないよね?
 
ヴァンサンは感情の高ぶり、怒りの爆発、沈痛なまなざし、などエモーショナルな演技が上手い。
またダイナミックな表現は、顔の表情だけでなく体全体をつかって演じられ、
とくに彼の腰から下のラインが細くて綺麗なため、絵になるなぁと思う。
ヒップがほんときれいだと思ってしまった。
 

# アウトランダー愛読者用の掲示板で名前のあがった役者や映画は全部みてみようと
がんばってるわけだが、やっぱジェイミーにハマる人っていないなぁ〜
 
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ワールド・イズ・ノット・イナフ The World Is Not Enough (1999年アメリカ)

007第19作目。
エラン・ドナン城 Eilean Donan Castle を見るつもりが無ければ借りなかったかも。
 
なんか「てんこもり」な気がして、「え?もう死んだの?」「あれって誰だったっけ?」
「え?なんでこんなとこに行くの?」ついていけないのを年のせいだと思いたくないわ(爆)。
 
でもスコットランドのシーンは物語の上では全然必然性ないですね。
バグパイプ兵器もまぁねぇ。。
 
ロバート・カーライルが悪役だと、なんつうか、もの悲しい感じで「悪」って感じじゃなかったよぉ。
延髄に弾丸が入ってしまい、なんにも感じなくなってしまった男、
愛する女を抱くことも出来ない、、およよよよ、、可哀相ー。
 
ピアース・ブロスナンってアイルランド生まれなんだ、1953年生まれだから46歳かぁ、
うーむ、クレアと再会するジェイミーと同じぐらいってことね、
むにゃにゃらら(一生懸命、赤毛長髪のピアース・ブロスナンをイメージしてみる)、、
だめだ、どうしても赤毛にならない。
 
#エラン・ドナン城は周囲の風景を含め、あまりに美しい。おとぎ話のようなお城だ。
 
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