アメリカ旅行記 2003年3月25日ー30日

旅行を計画したのじゃなくて、サッカー日本代表のアメリカ遠征試合を見る(!)、 その前についでに弟宅に寄る、というのがそもそもの発端でしたが、イラク戦争の影響で 代表の遠征は中止。純粋な観光旅行となりましたぁ(笑)。 出発する前は、この時期にNYに行くのは危ないんじゃないか、と、どっきどき。 着いてみると拍子抜けするほど街もおだやかで、激しい戦争をこの国が行っていることが うそのような不思議な気持ちがしました。 旅行は不謹慎かもしれないけれど、それを言い出すと、今この瞬間にも飢えで 苦しんでいる人々もいるわけで、笑って暮らしていていいのかっ!・・なんてなってしまうし、 与えられた人生を精一杯大事にするということで、ひたすら元気に観光ダ! サンフランシスコ経由でNYには夜に到着、やれやれ。長いわぁ、やっぱり。 翌日26日から観光開始!初日はウッドベリーコモンのアウトレットへ。 弟宅から車で1時間弱。200店舗以上?なんていわれても、あんまりブランドに詳しくないから 連れていかれるままに(笑)。 いつもは日本人のツア客でいっぱいだそうですが、日本語を耳にすることがほとんど無し。 香水、バッグ、靴などを見てまわり、息子の機嫌をとるためにTシャツなどを購入。 帰国後、もっと買い物しておけばよかったかも、とすこし後悔(笑)。 夜は、ハドソン川に面してマンハッタンの夜景の美しいステーキハウスへ。 Ruth's Chris Steak House(Weehawkenm、NJ) はステーキチェーン店なのだが 高級感ただよう内装と、対岸のNYシティのシルエット、雰囲気が素晴らしい。 さて、こちらのレストランの照明は本当に暗い。 日本では考えられない暗さですね。こじんまりしたバーなら頷けますが どでかいレストランでも一歩中にはいると薄暗くてちょっと慌ててしまう。 目の色が薄いから、光を日本人より鋭敏に感じるのかなぁ。。 ウェイターがべらべらっとしゃべっていき、わたしと息子は当然何を言ってるか 全くわからないけれど、弟一家も分からない部分がありました。 「何て言ってたの?」 「自分の名前はアレックスだっていったんだよ」と一番下の姪が。 うーむ、さすが、小さい子は英語への順応が違うねぇーーー。 ちなみに別の晩に教科書を読ませてみると、うう、美しいっっ。 ちゃんと英語になってるっっ。 27日、メトロポリタン美術館へ。 バスでポートオーソリティまで乗ってゆき、そこから地下鉄で。 NYの地下鉄に初めて乗りました。昔々は、「危ないから絶対に乗るな」と言われたけれど 今は普通の都会の地下鉄って感じなんですね。 美術館では入館時に荷物チェック、その後荷物は一時預け場所へ。 「カメラ持ってって」と係員に言われ、え?そうなの?カメラOKなんだ。知らなかった。 それにしても日本語で言われるのが可笑しい。 今日のバッジは緑色。 まずはエジプト、ギリシア、ローマへ。 うわー、広いなあ。 エジプトのこの石板って本物?えー、なんでこんなに沢山あるの? なんなの、これ、この贅沢さは。 大英博物館はごっそりと略奪してきたようなもんだけど、メトロは ごっそりとお金を支払って集めたんだよ、と言ったのは拙弟で真偽のほどはわからないが、 もし本当だとしたら、やっぱこの国のリッチ度ってすごいわ。 沢山のミイラの棺と一緒に写真を撮ったり、親子は浮かれっぱなし(笑)。 昼食を館内のカフェテリアで食べる。残念ながらそれほど美味しくないサンドイッチ。 ジュースの味がなんというか、そう、甘い、甘すぎる。 アメリカのものってなんでも甘すぎなんですよねぇ。 そのあとおみやげコーナーでかなりの時間を使い、展示と全く関係ない、 ピアス(バイキングフープ)とペンダント(ケルトクロス)、ブローチ(ケルト模様)など 自分のものばっかし、、と、栞、バッグなどを購入しました。 バイキングやケルトっていうのがアウトランダー熱なんだわ(爆)。 さすがに息子は疲れてしまい、昼食後はどこかで休んでいるとのこと。 疲れ知らずの?わたしはヨーロッパ絵画のセクションに行きたかったので 急いで見てくることに。 部屋は全部で25個くらい?ああ、もうどれをみてどれを見ていないとか 分からん、、、おかしい、フェルメールがどこかにあるはずなんだが・・・ 勇気をだして係りの人にきいてみることに。 「私はフェルメールを探しています」 (凄い英語だね、恥ーっ。しかも間違っている。フェルメールの作品を探す、だよね 笑) 「フェルメール??」 「オランダの有名な画家なんですけど・・・」 「??」 うぎゃあ、通じない・・・ 「誰々?」「ノー」「誰々?」「ノー」「オー、ヴェルメー?」「イエース!」 ってことで、10番と12番の部屋にあるわよ、って教えてもらいましたが、 もうその部屋に行く時間がないっ(爆) 今晩はブロードウェイで「ライオンキング」を見る予定で、弟とロックフェラービルの前で待ち合わせでした。 待ち合わせ場所へ間に合うためには、もう美術館を出なければなりません。 ああ、残念。 クリスマスツリーやスケートリンクで有名なあの場所で、また浮かれて写真をとったりしてから ブロードウェイへ。 戦時下とは思えない、普通のにぎやかな街。上映中の看板をみながらあたりを ぐるりと歩く。グッズショップでTシャツなどを購入し、 近辺のよくあるレストランに入って食事。 そしていよいよ  「ライオンキング」へ。 今流行っている『CHICAGO』などは会話や劇進行が分からないと面白くないだろうが ライオンキングなら英語がわからなくても楽しめるだろうと考えてくれた弟には感謝だけれど、 結局「ライオンキング」だって会話はぜんぜんわからないので、皆が笑う所で笑えない(爆)。 残念だったのは、もうちょっと本気で調べて行くべきだったということ。 会話がわからないのだから、もっとダンサブルなものにすればよかった・・ でも贅沢は言えないわね。チケット買うのから何からすべてお任せだったし。 劇場はよく声がとおり、後方でも舞台も見やすい。 観客は正装に近い人からGパンまで色々。 ここで、私は感激してしまいましたぁーーーー!っていってもミュージカルじゃなくて、 私たちの前にすわっていた家族に。 生まれて初めて、本物の黒の眼帯−そう、映画で見る海賊がやってる−あれをしている 男性を見ました。しかも異常に似合っていて格好よい50代とおぼしき男性です。 まじまじと見てしまった・・・いるんだ、ほんとうに・・・・ ドンなんとか、とか アルフォンソなんとかって名前なんじゃない?(妄想 笑) スーツがこれまた決まっていました!はぁ〜 年取った品のよい母親と息子たちが横にいてなんだか別世界でしたわ。 目一杯のスケジュールに興奮と疲れが混ざり、ミュージカルが終わり帰宅すると もう時差などどこにやら、われ等親子はくわぁーっと寝てしまいました。 28日 息子は拙弟の案内でエンパイアステートビル、マディソンスクエア、グランドゼロなど市内観光へ。 私はひとりでメトロポリタン美術館へ。 金曜日の朝から入り口の階段は長蛇の列。大半は「レオナルド・ダ・ビンチ展」目当てです。 私はわき目もふらずヨーロッパペインティングの10番部屋へ(笑)。 いやぁん、驚き。広い部屋に私以外誰もいない。こんなのんびりと レンブラントやフェルメールが見れるなんて。 すごいわ、こんなに沢山のルノワールやセザンヌを見た事がない。 あー幸せだなぁ。日本にいると有名な美術館展はたいていぞろぞろと見るばかり。 どでかい部屋でひとりのんびりと眺めるなんて夢のようです。 このあとは、アウトランダーファンとして(笑)アメリカンブロックへ。 独立戦争前後のアメリカの、生活用品、家具、絵画などがずらりと並んでいる。 あっ、これこれ、ジェイミーが土地の測量のためにLJGに頼んだ天体観測機だわ。 あら、バグパイプも展示されてる。 むふ、総督はこんな服装をしていたのね。 スプーンばかり並んでいたり、ティファニーが作ったベルトのバックルがどっさりあったり アメリカの浅い歴史をほほえましく感じましたね。 これまた見学者は少ないのでしばらく椅子にすわってぼうっと眺めていました。 まだイスラム芸術もネイティブも日本東洋も見ていないんだけれど、時間が無い。 昼には待ち合わせて自由の女神見学なんです。 バッテリーパークで弟と息子となんとか待ち合わせに成功し(何度も電話をしたけど) 仕事に戻る弟と別れ、親子でリバティ島までフェリーに乗る。 天気も上々。そう、この滞在中 じつに好天にめぐまれました。 フェリーから見るマンハッタンはとても美しく、それを背景にみなが写真をとる。 ここでも日本客は非常に少ない。 お決まりのピースポーズをとってしまう私達親子。 自由の女神像の頭部へ登ることはもう出来なくなっていて、これが残念。 Xmenだったっけ?ここで闘ったのって。 ぐるりと島をまわり、おみやげを買ってのんびりする。 移民博物館があるエリス島ではもう疲れてしまって船を降りず。 バッテリパークに戻り、そこからポートオーソリティへ向かう地下鉄に乗りました。 いや、乗ったつもりなんだけれど、実は間違っていました。 しばらくすると、なんだか変だわ、白人がひとりもいない。 東洋人もいない。車内はすべて黒人客で、我々親子は浮いている気がする。 間違った線に乗ったみたいだなぁと思っているうちに全員が降りてしまった。 なんと反対方向の終点なんだ(笑)。 ブロンクス地区がこれほど黒人一色だとは。ホームに下りて地下鉄を待つが ホームにもひとりも白人・アジア人がいない。 治安が良くなっていて本当に良かったぁ。一昔前ならどうなっていたことやら・・ 正直いって、これほど大勢の黒人の人だけの中に居たことがなかったので 現実じゃないような、この時初めて、痛烈に、今わたしは外国にいるんだ! と思いました。 もちろん、何事もなく無事マンハッタン中心へ向かう地下鉄に乗り込み、2駅ほど過ぎると、 再び車内は白人や東洋人が混ざり始める。はっきりしてるんだなぁ。 待ち合わせ時間までまだ余裕があるのでMOMA(近代美術館)をみようと思ったら、 しまった、クィーンズに移転してたんだ。 おみやげセンターだけは元の場所にあるので、MOMAのおみやげグッズだけ見る。 いやいや、これもかなり面白い。けっこうここで変なものを買ってしまいましたよ。 外は黒いけれど、開くと内側が派手な青空のかさ。これは凄く欲しかったんですが どうやっても最後まで開けない(硬すぎるのか日本人の力では無理なのか??)。 泣く泣く諦めました。 待ち合わせ後は、コリアンレストランへ。 コリアンタウンまで結構歩きでがあるが、行った甲斐のあるおいしさでした。 っていうより、普通の味?アメリカのものが美味しくないから?(笑) またもや帰宅後はぐったりしてシャワーを浴びたらくぁーっと寝てしまいました。 29日 観光できるのは今日で最後。 人気スーパーのトレーダー・ジョーへ行ってジャムやチョコを買い、 バーンズ&ノーブルに行って、古本コーナーのロマンス本などを見て(笑) マンハッタンへ。 ワシントンブリッジを通らなくっちゃね、やっぱり。 とても素敵な所だからということで、クロイスターへ連れていってもらう。 メトロポリタン美術館の別館だが、本館とは全く違う場所にある。 これほど美しい古城だとは予想もしなかった。 ハドソン川を見下ろす小高い丘の上にたっているその建物は ロックフェラーJr.の寄付により、ヨーロッパ中世の城や僧院が集められて 再構築されたものだ。 中も当時のままが再現されている。 うわー、古城の中って一度入ってみたかったんだぁ・・ ドアウェイがすばらしい。それぞれの石のアーチはイギリスやフランスなど 各所から集められたもので、ステンドグラス、彫像、十字架、なにもかもが そのままの状態で見れる。もちろんDon't touch だけれど、こんな風に身近に見れるとは。 有名なタペストリー、ユニコーンの間に入る。壁にかかる巨大なタペストリー。 クロイスターはこれからしばらくは補修工事のため非公開になるそうで ラッキーだったわ。 カタログとユニコーン図柄の手提げなどを買ってニコニコ。お姫様になった気分よ?! 30日 あっという間に帰国の日となる。朝から小雨が降っている。なんと天気予報では このあと雪になるという。 私たちの観光中は、半そで姿でいたほどだったのに。ついてたぜ! JFK空港まで小1時間。世話になりっぱなしでさぞかし弟一家は疲れたでしょう。 最後の悪あがき、免税ショップを見て回る。 息子はこんな所でも買い物に出掛ける母親を呆れた顔で横目にみて、 「良いよ、座って待ってるから」 しまった、もっとあのアウトレットで買い物をしておくんだったと急に悔しくなるのが あさましい(笑)。意地で?エルメスのスカーフを買うことにして、ここから四苦八苦の英語。 えー、あかるい、はっきりしたものを探しています。 これなんかどう? うー、うー、わたしには似合わない気が・・ どんな大きさがいいの? 相手が訊いてくることは何となくわかるんだけれど、答えられないのよぉ。 うー、うー、イッツ トゥー ビッグ、 これは? うー、うー、イッツ、トゥー、エレガント(ぜいぜい) これは? うー、ドゥーユーハブ アナザーカラー? そんなこんななのに、とても気にいったものが見つかりニコニコ。 でも良く考えるとGパンにGジャンの私。エルメスのスカーフを買う格好じゃないね。 やれやれ日本人客め、と思われたでしょう(爆)。 ああ、旅っていいわ。ルーブルとか大英博物館にも行きたいなあ。 でもやっぱ、スコットランドかなあ、うん、来年は絶対スコットランドだな、 ちゃんと前調べして、ばしばしとまわるぞぉ・・ お土産はボニープリンスチャーリーのキルト姿が缶に印刷されてるキャンディだっ(妄想) 息子は高3の春休みじゃあ、海外なんて言ってらんないな。うーむ、塾で春季講習か、 しょうがない、ひとりで行くか・・・ なんてことを考えながら長い帰国の途についたのでした。
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