瀬田貞二さんのこと


私は児童文学がとても好きで、「瀬田貞二」という名前は、ちょっと神様のような
響きがありました。
ナルニア国シリーズは、原作のルイスのすばらしさも当然ながら、
訳者の瀬田さんのあの名調子が、物語を生き生きとさせていると
思います。瀬田さんの訳はいつも楽しい童謡や美しい詩のようなリズムを生み
作者と訳者の交じり合った世界を創造していました。
意訳しすぎると瀬田さんの訳をめぐっては賛否両論でしたが、それほどに
瀬田さんの世界があったのでした。

瀬田さんが訳されるものなら間違いないっていつも思って買っていました。
そのくらい、瀬田さんは戦後の児童文学の導き手でした。
最後の大仕事になった「指輪物語」も、大学の授業を一週間休んで
読破した思い出があります。
文庫本で買いましたが、あのちいさな活字!あれほど小さい活字の本は
以後みたことがありません。

瀬田さんがお亡くなりになって、年月がすぎ、ある時、私は実家で
父親の本棚にケースにはいった「瀬田貞二 子供の本評論集・絵本論」(福音館)
という本を見つけ驚きました。
私の両親、兄弟はファンタジィや児童文学といわれる本に全く興味を
示さなかったので、家で瀬田貞二さんの名前が出たことなど一度もありませんでした。

『お父さん! これ、どうしたの?』
『あ?なんだ、○○こ(私の名前)、この人知ってるのか?』
『知ってるも何も、、この世界ではすごーーく有名な人なのよ』
『へええ?。俺の中学校の時の先生なんだ。前に話しただろう。』
ぶんぶん(首をふる私)
『都立○○中(何中だったか、私は忘れてしまった)の夜間のクラスの国語の先生で
授業はいつも話を聞かせてくれるんで、(生徒は皆きつい仕事をしてるから)
この時間が、息抜きの時間だったんだ。
先生がいたのは一年間だけだったから、習った生徒は僕らだけじゃないか。
僕らをモデルにして小説を書いたらしいぞ。夜間のクラスの生徒が机の中に
手紙を置いて、それを昼間の生徒が読んで、っていう話を。』
『うっそー!!!』
『なんかな、辞典をつくる仕事をしてるって聞いたがなあ。』
『ああ、確かに平凡社の児童用の事典を昔作ったと思うよ。でも
それよりももっと絵本や児童文学の翻訳家としてすごーーーく有名な人なのよ』
『そうかぁ、全然知らなかったなあ、本屋でこの本見かけて、名前を見て
お、なつかしいっと思って買ったんだ』

父は瀬田さんと名前が同じなんです。漢字は違うけれど、ていじって名前は
それほど多くないから、記憶に残っていたのでしょう。

ああ、、、この事実を生前に知っていたら、
絶対、瀬田先生のお宅におじゃましたものを。。。。

瀬田さんだって、終戦後一年だけの教師生活は思い出に残っているだろうし、
夜間で苦学していた生徒の娘が指輪物語でも持って、
「大変尊敬しています。」って行けばサインぐらいいただけたかもしれません。。
(と、みーはー心がゆれた、、)

こんな人物と自分の父親が知り合いだったなんて、想像もしませんでした。
もしかしたら、他にも意外な人と知り合いだったのかもしれませんが、
今は、その父もなく、それをきくこともできません。
自分の好きな人、気に入っているものなど、日ごろから人に言っていたほうが
いいですね。意外な所からつながらないとも限りませんものね。

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