2003年その1
ニューヨークの恋人 Kate & Leopold (2001年アメリカ)
温かくってふわっと優しいロマンティックコメディ。 それにぴったりなのが、ヒュー・ジャックマン これはメグ・ライアンの良さよりも、断然、ヒュー・ジャックマンの良さで 光っている映画ですよね。 参ったなァ、こんなにハンサムな公爵が似合うとは思わなかったわ。 そりゃもう、どきどきっ 女性をくどきたい男性は必見!という心憎い技の伝授あり。 ------------------------------
ベオウルフ Beowulf (1999)
ああ、なんていっていいのか。 クリストファー・ランバートの顔さえ見れればいいや、、という映画でしょう。 なんちゅうサイボーク顔なんでしょうね、彼は。 ------------------------------
タップ・ドッグス Bootmen (2000年オーストラリア)
これもねぇ、、見るべきところは、ダンスシーンだけだなぁ。。 シルクハットにステッキというイメージのタップダンスではなく、 ジーパンにブーツという労働者のタップに青春をかける主人公なんだけれど、 プライドだけ高くて人の言う事を聞かず、それほどの努力も感じられない。 製鋼所のリストラ、家族の問題、恋愛、を、関係させすぎて収拾がつかない。 特に兄のエピソードは、後味も悪くて、とてもうんざりさせられる。 「フルモンティ」「リトルダンサー」のなり損ないなのだ。 脚本が非常にまずい。 なにを言いたいのか、無駄な筋が多すぎる。 主人公のアダム・ガルシアは、トラボルタよりは甘い魅力でなかなかマル。 もっと彼らの練習シーンに絞って話をすすめたらよかったのになぁ。 ------------------------------
ゴッドファーザーPartIII The Godfather: Part III - The Death of Michael Corleone - (1990)
アル・パシーノ、最高! アンディ・ガルシア最高! なのに、ほとんどの人が言うように、ソフィア・コッポラがねぇ。。。 いくら家族の物語だと言っても、「もっともチャーミングな乙女」の役どころに彼女では、 この映画の力を弱めた元凶といわれてもしかたがないわ。 不美人だとは言わないけれど、それでも、限りなく危険で限りなくチャーミングな男が どうしても手に入れたいと願う乙女って顔じゃない。 (一体なんでどうしてアンデイ・ガルシア様がソフィアに夢中になるわけぇ?!爆) ごめん!顔のことを言って。 でも俳優の顔も評価の対象だよね。 外面だけで判断してはいけないと思うけれど、現実社会はそうすべきだけれど、 映画の世界では美しくあるべきものは言葉どおり美しくあってほしい。 しかも、補うべき演技力も、それほどあるとは思えなかったし・・・ 彼女抜きで考えると、すばらしい映画だった。 壮麗な悲劇のフィナーレにふさわしい作品だと思う。 映像の美しさはたとえようがない。 マイケルが自分の人生を変えたいと願って願って、、それがかなわず、、 マイケルの贖罪がキリスト教徒ではない私にはどうしてここまで必要かわからない。 いや、そうじゃない、信仰が日常に存在する社会でどうしてこうも血で血を洗う争いが 日常なのか、それが根本的にわからない。 皮肉にも暗殺者は神父に化けてマイケルに近づく。 本当の信仰と虚飾の教会という方がテーマで、マフィアの闘争がまるで背景のようだ。 ------------------------------
悪魔たち、天使たち Steal Big, Steal Little (1995)
これはスラップスティックコメディ(あっ、スラップスティックだけでドタバタ喜劇と訳すのね) ま、白い白馬ってことで(なんのこっちゃ) 肩の力を抜いて、アンディ・ガルシアの素敵さだけ楽しむつもりでみるしかないかな。 性格が正反対な双子の役をひとり2役で演じたもの。 ハートフルで家族思いでお金に執着しないボヘミアンなルービンと、 権力志向で妻と離婚しお金こそすべてのロブ。 脇役のアラン・アーキンがいい感じで、最後はめでたしめでたしで、 伝えたいこともわかるんですが、 とにかく途中にドンちゃん騒ぎが多すぎて、しまりがない。 大胆に編集をし直せば、もっと楽しい映画になると思う。 アンディ・ガルシアのあの温かくて甘い善人顔はすてきだなあ。 でも、サルサを踊ってほしくなかったかも。。 ------------------------------
オーシャンズ11 Ocean's Eleven (2001)
これは、スター一覧映画のなかでは成功した、という評価じゃないかな。 とても流れもよく、楽しく、センスもあり、でも、中身がないという感じ? ポップコーン・エンターテイメント っていうのかな。 俳優たちは皆上手い。 文句無い演技。 じゃ何が悪いかっていうと、ものすごい大金を盗む必然がないのよね、そもそも。 盗む側にほとんど正論がない。盗人ばんざい、な設定。 盗まれちゃったベネディクトは実は可哀想だわ。 観客にベネディクトを可哀想だと思わせないように、アンディ・ガルシアがベネディクトを 思い切り嫌な奴として演じているから、観客はベネディクトがやられて 「あーすっきりした」と思ってしまうわけね。 ジョージ・クルーニーはセクシーでお茶目で豪胆な泥棒役が似合うなあ。 ------------------------------
GO (2001年日本)
在日について、うまく説明ができない感情を認めるのは居心地が悪いが事実だ。 2002日韓WCのときにわたしの心の中で荒れ狂った感情は正直だ。 日頃そんなことはたいしたことではない、と、思っているのはたいしたことに直面していないからだ。 それどころか嫌になるほど鈍感に均一な社会を信じ、それ以外は異物ととらえて暮らしている。 主人公の杉原(窪塚)が、今まで自分の出自を気にかけなかったのは 「本当に大事な日本人に出会っていなかったからだ」と言うのが とてもせつない。 ジョンイルの出る(関わる)シーンと、おまわりさん(萩原)のシーンは特に好きだ。 落語が語られるシーンはとても美しい。 何かが変わってきていると思うし、まるきり変わっていないものもあるし、 言葉でうまく表せない感情がぎっしりと詰まった映画だった。 もどかしくて苛立って「ぎゃあ」と叫びたい。 切なくていとおしくてだまったまま共に歩きたい。 こぶしの届く範囲の外へ、一歩踏み出して望むものを掴みたい。。。 ストレートな青春映画としてよく出来ていると思う。 ただ、なんだか後半は説明しすぎだと思った。 前半までの疾走感、焦燥感、センチメンタリティが、即物的な説明調に変わった気がした。 特に、校庭シーンは超イマイチだと思った。 ぎりぎり、電話で呼び出すところで、終わってもよかったんじゃないかって思った。 さて、 かわいいけれど柴咲コウの役柄は好きになれなかった( 嫉妬か?!笑 ) 「なんだよなんだよ、一晩一緒にいるって、これかよ」ぶぅー 「なんだよなんだよ、体育館の外から部活を見る普通の高校生って設定かよ」ぶぅー 窪塚くんのかっこよさに比べて、なんだか薄っぺらな気がして 『やっぱ、足がきれいでかわいい娘は得だなぁ』と、ぶうたれてしまった(爆) 息子が原作を買ってくれ、と言ったのが、超嬉しい(おやばか)・・ #後日つけたし 原作を読んだら、柴咲の設定が違っていて、もっとラストも満足いけるものだった。 そうか、映画は設定をちょっと変えたから、だから、校庭シーンがイマイチな感じだったんだ、 と、妙に納得した。 ------------------------------
山の郵便配達 那山 那人 那狗 (1999年中国)
直球の映画でした。 淡々としているけれど、言いたいこと伝えたいことをまっすぐに訴えてきます。 気恥ずかしくなるくらいの感情が陳腐にならないのは 主人公を含めて村人など登場する者たちの澄み切った瞳や空や山や川の美しさのためでしょうか。 重い荷をせおい3日間かけて山道、悪路を歩き、深い山あいの村に郵便を配達する。 帰りの荷が軽くなるわけじゃないようで、配達する一方、郵便を回収してまわる。 父親が長年やってきた郵便配達を息子が引き継いだ初仕事の三日間。 父と息子が最初で最後、共に歩いて配達をする。 寡黙な父親の家族に寄せる深い愛がしみこんでくる。。 原題の「山、人、犬」のとおり、配達補助犬の「次男坊」の名演技が泣かせます。 終わる人、始める人、待つ人、いろいろな感情の糸の織り手となって 物語をつないでいるようでした。 私が個人的に一番ぐっときたのはたぶん一般とは違う意味だったかもしれません。 それは息子の不注意で数枚の封書が風にとばされたシーンでした。 風にとばされるシーンは映画館の会場でも、「あっ」と息を呑む気配がありました。 この強い風に手紙は飛んでいってしまう・・息子はなんてことをしたんだ・・・と。 封書を取り戻そうと足の悪い父と次男坊が必死に追いかけます。 次男坊が最後の一葉を取り戻し、あーよかった、と感動する場面でした。 そのとき、わたしはてっきり、父親は怒ると思ったんです。 大事な手紙だ!と、それまで穏やかだった父親が初めて息子を怒ると思ったんです。 でも、父親は優しい目をしただけでした。 手紙を失わずにすみ、息子の初仕事が困ったことにならずにすみ、 次男坊の活躍を心から喜んだだけでした。 わたしは自分自身が父親は怒るだろうと予想したことに、少し呆然としました。 そういう発想しか自分の内に無いことに気づき悲しくなりました。 こんな愛情を与えることができる人はなんてうらやましいんだろう。 なんとこの息子、妻は幸せなんだろう。 さて、本筋とは別にすっごく疑問な事がひとつ あの父が41才?まさか、、 おばあさんの勘違いなんだろうか。。 わたし、字幕を見間違えたんだろうか。 ------------------------------
夏の終わり (Come Undone ) Presque rien (フランス2000年)
うーんん。。。これは面白いのか面白くないのか、そもそも映画なのか何なのか。 初恋、青春に関するイメージと観念の陳列。 人ひとりを描くのに、様々なスライスを陳列して、そこからひとりの人間の姿を 見るものに構築させる。 そんな感じといったらいいかな? 18歳の少年?青年?マチューが夏のバカンス地で初恋を経験する。 うつ病の母親、いらいらさせる妹、弟の死、暗い色彩のなかで 恋の進行があり、そして、夏が終わった時ふたりは別れている。 学校のせいで?仕事のせいで?昔の恋人のせいで? なんだかよくわからないが続かなかった恋・・ 一言いっておくと、初恋の相手は男性でふたりの恋の高まりはとてもじっくりと 描かれている。あやうい熱が揺らめいていた夏が過ぎ、冬の光景で 映画は終わってしまう。 突き放された感じなんである。 ------------------------------
逃走のレクイエム(Burnt Money(US)) Plata quemada (仏・スペイン・アルゼンチン・ウルグアイ 2000年 )
実際にプエノスアイレスで1960年代に起こった有名な銀行 強盗事件を元にしたそうで、警察が犯人たちのたてこもった部屋? 小屋?に銃撃戦後押し入ると、犯人男性2人の死体は裸で横たわっていたという。 英語字幕版を見ました。撮影はアルゼンチンとウルグアイで行われています。 ハリウッド映画と違い、わたしにとって映画の内容と同じくらい、 そうか、ウルグアイの街ってこんな感じかぁ、とか あまりに偏見が入っているとお叱りを受けるのでしょうが、新聞も何紙も出てるんだぁ、とか、 自分の知らない世界の普通さに気づかされて驚く楽しさがありました。 ネネとアンヘル、「双子」とよばれる男たちがいて、現金輸送車の襲撃を請け負う。 1965年9月28日、ブエノスアイレス、現金輸送車の襲撃強盗事件発生・・ 計画どおりに事は運ばず、アンヘルが撃たれ、ネネが反撃して警官を撃ち、 ドライバ役の男の彼女が警察で彼らの逃亡先を自白し、あっというまに新聞に 顔写真が載ってしまう。 逃亡先のウルグアイのアパートでのストレスのたまる日々、 アンヘルは以前にも増してvoicesが聞こえ出し、宗教にのめり、どんどんおかしくなっていく。 ネネはアンヘルに触れる事もできず、とうとう、なぐさめを求めて街で知り合った女と寝てしまう。。 逃亡を試み、女の部屋に逃げるのだが、彼女への愛にみえたものは、 アンヘルへの愛に遠く及ばないことをいまさらながら気づき、冷たく女を追い出すネネ・・ 女はネネを警察に売ってしまう。。。 ま、筋はどうだっていいんです。この話。 ネネとアンヘルのふたりの関係、息詰る緊張がテーマなんです。 実際のラブシーンはほとんどなくて、ねちっこい、ねちっこい見つめ合いやわずかな愛撫。 そりゃあ、もう、ラブストーリー、苦しくも甘美な、ラブストーリーなんです。 とにかくネネ役を演じた、LEONARDO SBARAGLIA レオナルド・スバラリアが、 もうもうもうっっなんちゅうセクシーな、なんちゅう切ない、ぞくぞくする香りを放っていることか。 一体誰に例えたらいいのか、うまい人が頭に浮かばないけれど、これぞラテンという けぶるような黒く長いまつげに、けだるい表情の、 デルピエロがもっと暗い感じになり、ラウルのような優しい知性的な感じが加わり、 いやぁん、素敵すぎ。 ネットの写真をみたときは、たいしたことない、と思ったのに、実際映画の中の彼は どっきーーん。 下のリンクの写真の中央がスバラリア、 知名度から言うと、アンヘル役のEduardo Noriega エドゥアルド・ノリエガの方が有名なんでしょうし、写真だけみると(写真の左端)素敵なんですけど、 スバラリアは写真では計り知れない魅力があります。もうっ!映画を見るっきゃないっ! yohoo photo 最後10分くらい?は、素敵なシーンですが、ドライバー役の彼は可哀想でした(爆笑)。 彼が出ている映画を検索してみると、Intacto (2002)(スペイン語で「無傷」の意味 ) と言う主演作品があって、それの感想を書いているHPをいくつか読んだら、 作品の出来は中だけれど、主演のスバラリアがかなり素敵だ!と言う意見が多かったので どうやら、これも見る価値ありそうです(笑)。 (2003.4.17)
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