2004年その1
トラフィック Traffic(2000年アメリカ)
ソダーバーグ監督がアカデミー監督賞を受賞した作品。 とにかく、良く出来ている! 麻薬にむしばまれるアメリカ社会を、いろいろな視点から切り取ってみせた。 ベネチオ・デル・トロ と キャサリン・セタ・ジョーンズ には、参ったね。 デル・トロの演じたメキシコ人刑事の、哀愁と人間味あふれる冷静な目、 セタ・ジョーンズの、恐ろしいまでに自分の世界を守り抜く利己的な女の目、 揺らぐ正義、親子、夫婦、友人。。 ドラマ自体には結論も結末もなくて、終わりが無い。。 見終わると胸が苦しくて痛い。。 映像はスタイリッシュで小気味良く、メキシコの乾いた風景、野球場がとても美しかった。 -----------------------------
シービスケット Seabiscuit (2003年アメリカ)
1930年代に大活躍した競走馬シービスケットの生涯、そこに絡んだ男たちの 物語。ベストセラーになった本に基づいている。 「事実は小説より奇なり」 まさにそう言いたくなるほどシービスケットの実話は 驚きと偶然に満ちている。 人生の腕から滑り落ちそうになっていた3人の男たちが、 安く叩き売られようとしていた馬と出会う。 不恰好で背の低いこの馬は、しょっちゅう寝ていて、本気で走らず、 根性を叩きのめそうと手荒にあつかった調教師のせいで いまや荒れ馬になっていた。 誰ひとりとして、この馬のもつ才能の芽に水をやろうとしなかったが 運命は不思議な出会いをもたらす。 。。。映画の評価はとても難しい。 なぜなら、この映画の実話としての部分があまりにドラマチックなので どうしても、そこの部分で感動してしまうからだ。 だから、冷静になって考えてみると、映画は本をなぞっただけの物になって しまっている気もする。 トビー・マグワイアは、どうしたらいいんだろう? 彼は誰を演じてもトビーである。 内面に傷を負った少年のような男、感受性豊かでひたむきで、沈黙の目で語り、 時に激する男、をやらせたら、イヤになるくらい上手いが、でも、トビーなんである。 わたしは、もっと情緒不安定で落ち着きがなく激昂しやすい人間として 演じたほうがよかったのでは、と思ったが、、騎手レッドはトビーだった。 ジェフ・ブリッジズはうまい。太りすぎっ(>_<)って思ったけど、でも 人柄がにじみでていた。 調教師役のクリス・クーパーも、雰囲気がまさに、、だった。 だが、実は見終わったあと、イチオシ!となったのは、 アイスマン・ウルフを演じた「ゲイリー・スティーヴンス」で、 この人、なんちゅうオーラを感じさせるんだろう、、と思って、あとで パンフを見たら、本物の騎手で、しかもとびっきりの殿堂入り騎手だった。 役者じゃなかったのだ。 これまた、事実はつくりものを打ちのめすってわけだったのだ。 -----------------------------
マスター・アンド・コマンダー Master and Commander:
The Far Side of the World (2003年アメリカ)
この映像!いったいどうやって、この映像を撮ったんだろう。 ぎしぎしときしむ音、絶え間ない揺れ、あの大波、嵐、風、雨、 この映画の舞台が1805年だというので、もちろん、アウトランダー絡みで、 当時の航海の様子を知りたいと思って見にいった。 イングランドの良家の子息たちの雰囲気。船乗りたちの息遣い。 にじみでるリーダーシップ。。 これらの期待はすべて満足させてもらった。 グラディエーターの時と同様、ラッセル・クロウはこういう男のなかの男、 誰もが認めるキャプテンにハマルねー。 そして、船医役のポール・ベタニー、 わたし、彼が好きなんですよ。なんか雰囲気があるというか、、 「ビューティフルマインド」と「ロック・ユー」しか知らないけれど、 印象的なんですよね。軽妙な味わいと骨っぽいところ、どちらも演じられる。 気の長い話をよくまとめたと思うが、でも、歴史ものや船が好きじゃなきゃ あまり日本では受けないんじゃないか、とも思ったのが正直な感想。 だから日本での宣伝はやたらと、同船している少年幹部生候補たちのドラマに 光を当てたのかもしれないな。 わたしも見る前は勘違いをしていて、始まるやいなや、「あれ? これってこんな男のドラマなの?」って思ったもの。 「物語」ではなく「映画」としてこれはどうだろう? 映像化(もちろん、これだけでも大変素晴らしい事だが)を越えた『作品』に なっているのかどうか、、 見終わったあと、なんていうか、ある物語の途中から読み始めて、まだ読み終えて ないのに館外に出された気分になってしまった。。 -----------------------------
座頭市 (2003年日本)
やられた。 好きだ。 北野武は、やっぱり、凄いや。 話はありきたりなのだ。登場人物は型にはまっているのだ。 時代劇の基本にのっとり、基本どおりの流れとなり、基本どおりの顛末。 どうせ影の黒幕親分はあいつだろう、と、すぐにわかってしまうのだ。 それなのに、それなのにこれほどの興奮を味わえるとは。 魅せてやるぜ、という挑戦に、「ほんまや、魅せてもらったよー」という気分。 様式美。劇をひっぱリ続けるリズム。スピード感。静と動の美しさ。 ばかばかしさを入れてバランスを保つのがわざとらしく感じる人もいるかもしれないけれど、 それさえもわたしには様式美に感じる。 たぶん、北野映画がだめだっていう人は、監督のこの照れた美意識が苦手なんだろうな。 そして北野映画が好きなわたしは、この照れくさがりの美意識が好きなんだ。 タップの大円団に至っては必然を感じるほど。 ここでこう来るのが決まりでしょ! いよっ、待ってました、という感じか。 殺陣には、ほんとに、驚いた。 この殺陣のすごさは、一見に値する。 唯一の疑問は、「彼はめくらだったか否か」だ。 見えていた、というのはハッタリで、本当はやはり見えてないんじゃないか。 てめぇ、見えていたのか、、と相手が動揺した隙に、ばっさ!と斬る。 そうじゃないと、転んだ時にひんむいた目が白子の目だったのが説明つかない気が。。 だが、目が見えているのかも、と思うのが「案山子」のシーン。 道に放られた案山子を元の場所に戻す座頭市。 なぜだ? 仕込み杖でバッサバッサは、殺気、匂い、音、、なんでもいいや、 とにかく超人的でもOKだけどさ、案山子を元の場所に戻すのは、 どう考えても不可能やろ?なぜ、案山子を畑の方に持っていったんだろ? ものすごく疑問に思ってるけど、ネットで調べても、そんなことこだわってる人が 見つからない。。あれ?わたしの勘違いなのかな? 結局、見えてようが、見えていないだろうが、謎の風来坊としてやってきて去ってゆく、 黄金マスクみたいな、人間なのかなんなのか、そういうもんなんだな、座頭市は。 -----------------------------
レディホーク Ladyhawke (1985年アメリカ)
剣の魔法の物語である。 太陽が昇っている間は鷹の姿のヒロインが、太陽が沈み、娘の姿に戻ると、 昼間は人間のヒーローは狼の姿にかわってしまう・・ 絶対に触れ合うことができないふたり。 きゃい〜ん!素敵な設定だわん! と思って、見たい、見たいと思っていた映画だった。 それで中古ビデオをとうとう買ってしまったわけだが、、 うーん。 ルトガー・ハウアーとミッシェル・ファイファーの配役は美しくてナイスなんだけど、 脚本が悪いのか、単なるファンタジーのヒーロー、ヒロインなんである。 そりゃ、苦悩もするし、哀しみ、怒りもある。 だけど、なんちゅうか、定型どおりで、呪いに囚われたデモーニッシュな感じが 薄い気がする。 クレジットどおりに解釈すると、狂言まわし、道化役のマシュー・ブロデリックの 映画なんだな、これ。 絶望に陥っているふたりの間をとりもつ少年の、ヒロインへの初恋、ヒーローへの崇拝。 正統派成長譚。 ひょうひょうとして、芸達者ぶりをみせているマシューは、可愛いよ〜。 映像はとても美しいと感じるが、音楽がねぇ。。とほほでねぇ。。。なんでこんな音楽を使ったんだろう? なんとか意図を理解したい、きっとこの軽くて脱力しちゃう音楽を使ったのには 意味がある、と思って、頭を悩ませたが、やっぱり理解できない(>_<)。 そして、ラストがねぇ。。映画のノベライズの方が上手くできていた。 司教の横恋慕の狂い方が、呪いをかけるほどの狂い方が映画では伝わってこなくて やたらもっさりと進行して、少女漫画のパロディのような、 「うふふふ」「あははは」とふたりが抱き合ってくるくるとまわる(思わず赤面するぜ) みたいな終わり方で、「うげーっ!わいに監督やらせろーっ」だった(笑)。 だって、ルトガー・ハウアーとミッシェル・ファイファーなら、 もっとぐぐぐっとくるラブシーンだって出来たでしょう? -----------------------------
パイレーツ・オブ・カリビアン Pirates Of The Caribbean (2003年アメリカ)
全く別々に観たのに、息子と私の口からでた感想がほとんど同じだった(笑)。 結構面白いし、ジョニー・デップは飄々とした役を楽しんでるし、 ジェフリー・ラッシュもノッてるし、オーランド・ブルームも大根ぽくてええ感じだし、 あの提督もすげぇいい人だけど、なにあれ? 「なんか、てきとーだよ、あの女の人」(息子) 「ヒロイン、なんかむかつくわ〜」(わたし) あなたと結婚するからどうか彼を救ってちょーだい!との願いにほだされ、 海賊と戦い、結果、多数の部下の命を失ったんだぜ・・、提督は。 色きちがいの下衆野郎なら、仕方ないが、そうじゃない、 ヒロインに惚れているのが弱みだが、まともな男なのだ。 それなのに、ヒロイン、舌の根も乾かぬうちに、あっさり惚れた男の側に立つ。 惚れた弱みにつけこんで、あまりといえば、あまりの仕打ち。 出来ない約束なら最初からするなよぉ〜。 って言いたくなるほど、悪びれないヒロインだったのだ。 せめて、すべてをなげうって、どこか遠くの国にふたり旅立ってくれたらよかったのに。 すごく中途半端で、冒険というよりマイホームドラマ。 ま、ね、脚本が悪いよな。 悲恋の味を出したいと思ったんだろうけど、全員良い人的な、ディズニーの ハッピィエンドにもしたくて、両立を目指してコケたという感じか? あぁ、あっさり海賊の前で犬死した部下たちが哀れなり・・ ヒロインの部分さえなければ、楽しかったのに、残念。 -----------------------------
スクール・オブ・ロック The School of Rock(2003年アメリカ)
真のロックとはなんぞや まじで小学生にロックのハートを教える臨時教師。 いやぁ〜、よかったです! ありがちなお約束の話なんだけど、役者が良かった。 多汗体質で、髪の毛がべたっと頭皮にくっつく、わきの下が臭そうな、、 うへぇ〜な雰囲気100%のジャック・ブラック それが終いには格好良く見えてくるんだから(笑)。 不満をぶちかませ!怒りをこめろ! 「いまを生きる」のシーンを思い出す、小学生版イーサン・ホーク ちゃらちゃらしたロック野郎を一喝し、生徒を叱るシーンもナイスだったなぁ。 ロックへの愛にあふれて、知性的ではないのに、深いところで真実に触れている。 とにもかくにも、ジャック・ブラックがひっぱっている映画で 彼がすべてとさえ言える映画だった。 -----------------------------
ラブ・アクチュアリ Love Actually (2003)
オムニバスというほど分かれていない、微妙に絡まった愛の断片・掌品。 甘い味、ほろ苦い味、とあるけど、大半は悪くない。 だが、どうにも不愉快で全然面白くなかった話があって、それがねぇ、 「これほど下品でバカな俺でもアメリカ行けば女にもてもて、やりまくりよぉ」君の話。 これの面白さがわたしには全然わからなかったのよ。 イングランド人の鬱憤晴らし? これにユーモアを感じるのがイギリス風? あんなアホな男、身ぐるみはがれて帰ってくるか、と思ったら まじでもてもて! この話がはいったせいで、他のエピソードの良さをぶち壊したなぁって思ったわ(爆)。 アクセントをつけたかったんだろうか?? 一番すきなのは、精神病の弟を抱えるサラの話と、往年の歌手ビリーの話。 クリスマスのほろ苦さと温かさが、好きだった。 みーはー的には、コリン・ファースさまが、はぅ〜素敵でしたわん。 -----------------------------
10億分の1の男 intacto (2001年 スペイン)
原題は「無傷」という意味。 英語字幕版を米アマゾンから購入。 そう、この話にでてくる人々は、アウシュピッツで生き残った、大地震で生き残った、 飛行機事故で生き残った、交通事故で、闘牛で、、 まれにみる運の強さをもっている人々なのだ。 ギャンブルという魔性の魅力と、生まれ持っている「運」を賭ける勝負。 賞金はでかい。最大級のギャンブルの賭け金は、自分の命である。 そう、「命」はこれ以上にない賭け金だ。 だが自分の命だけじゃない、他人の命も貪ってしまう。 なぜなら彼ら「強運」を持っている人間は、他人と触れ合うと「運」を 吸い取ってしまうのだ。接触した人の写真をいったん撮れば、 その写真にその人の「運」を封印することができる。 そういうわけで、 彼ら同士の勝負で、負けたほうはその他人の「運」まで勝者に 譲り渡すのだ。つまり持っているスナップ写真を渡す約束なのだ。 不思議な味わいの映画で、なんという筋もないんだけれど、 人間の性(さが)というような名づけられないものを描いている。 生き残った自分に罪悪感を抱いていたり、運を吸い取られる事を 極端に恐れていたり、彼ら「強運」の者たちの呪いのような話でもある。 だが、ラストが極端にヒロイズム的な、楽天的なものになり、 ポイントがイマイチよくわからない感じで残念だった。 アメリカのどこかの映画会社が、この話を買い取ったそうで、 いずれリメイク版がでるようだ。 レオナルド・スベラグリア観たさで、買ったDVDなんだが スベラグリアさまは「Burnt Money」の時のほうが格好よかったので、 ちょい残念。。。 でもね、セクシャルシーンはほんのわずかなんだけど、そのわずかなショットでも、 ぐぐっと官能性をかもし出す所なんざ きゃい〜ん! なんですのよ。 -----------------------------
死体袋 Cenizas del paraiso(1997年 アルゼンチン)英題Ashes from Paradise
ふたつの死体、二人の予審判事、ふたつの事件。 それらは絡み合っているが、決して絡ませるわけにはいかなかった・・ 一方に、不正を調査している老判事コスタと、裏の権力を欲しいままにする実業家ムロがいて、 もう一方に、恋におちたコスタの息子アレハンドロと、ムロの娘アナがいる。 そして冒頭、わたしたちに示されるのは、コスタの自殺死体とアナの他殺死体と、 自分が殺したとそれぞれ供述するコスタの3人の息子たち。 3人の息子それぞれの告白と回想を挿入しながら、 事件の謎は解明されてゆくが・・・ 上質のミステリと、家族、親、兄弟、男と女の、愛が見事に描かれている。 コスタがギリシア系だということを考えると、 これは場所をはるか南アメリカに移した【ギリシア悲劇】なのだ。 熱帯夜、アルゼンチンの政治腐敗、人間を翻弄する運命の神々・・ 脚本が素晴らしいことは言うまでもないが、出演者の演技も、やるせない音楽も いずれもピタリとはまっていて、 本当に良く出来た映画で、もっと広く知られるべき映画です。 見るべし!見るべし! この映画公開時は日本ではスバラリアとなっていたが、レオナルド・スバラグリア、 まじですごくいいです。コスタの真ん中の息子として、冷静な観察者でありながら、 兄と弟と父に対して深い愛情と心配を寄せ、 プレイボーイ風の飄々とした雰囲気をたたえながら、そのじつ、正義感・倫理観に 駆られずにいられない。 甘いマスク、ものうい瞳と口元、複雑なキャラクターを演じる力、 もー、やられます。 監督Marcelo Pineyro(マルセロ・ピニェイロ)は、この映画の次に Plata quemada (逃走のレクイエム)を作っていて、Sbaragliaと アナを演じた Leticia Bredice が、再び共演してますね。 Leticiaは逃走の・・の時は、それほど可愛いと思わなかったけど、 この映画では、独特の小悪魔的魅力を放っていて、ををっ、と思わせられます。 ギリシア風の男たちの踊り、コスタのバースディパーティで、父と息子たちが踊る 愛と信頼に満ちた切ないほどの絆の一シーンがオリジナルビデオの表紙なんだけれど、 日本版は違う。「楽園の灰」から「死体袋」に変容したように、 ビデオパッケージも、死体と容疑者3人という表紙になってしまった。 ちょっと残念。
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