これは人物に限らなくて、たとえば本でもそうです。

好きな作家の作品を熱に浮かれたように追いかけてしまうんです。

中学生では太宰治、これはまるで私だ!私をみるようだ
と、はまりました。

高校生では倉橋由美子と大庭みな子にいっときはまりましたね。
SFにもはまって、創元推理文庫をかなり買いこんだものです。

大学ではウルシュラ・ル・グインにかなりはまり、特に
EarthSeaTrilogy(ゲド戦記)は手垢にまみれたくらい
何度も読んで好きでした。
これはペーパーバックで全巻読んだという思い入れたっぷりの作品。
日本語訳がどうしても気に入らなかったから。
ゲドが『I know』と言った場合、それは私には
『わたしはしっている』と蔵馬かトキの声で言うはずなのに、
訳文は『俺はしってる』となってる!
これはすごいショックで、まるで違うゲドのよういやでした。

まったくみーはーを貫くのも楽じゃないです。。。。

他の場所でも書いたけれど、ハーレクインものにもはまって
狂気の沙汰ってほど毎日読んだこともあります。
気に入った特定の作者までいたのですが、いまではすべて捨ててしまいました。
ちょっと後悔。。

ディックフランシスにもはまりました。彼の作品の主人公は
もう、ストイックで、知性的で、抑制的で、本当に格好よすぎる。
これは図書館に毎週行って、ハードカバーを借りましたねえ。
真保さんの作品が好きなのも、日本のフランシスだからです。

荒又さんが好きなのも、学術的なみーはー、すなわち博物学を
心底愛しているから。知的興味の広さ、そのエネルギーに
圧倒されるし、尊敬してます。

それから住専問題、拓銀、山一倒産と金融不況があれ狂いはじめた時は、
高杉良などの経済小説もかなり読みました。資本主義についてとか
日本社会についての本を急に買うようになったのもこの頃からです。

なんで、こう単純なんでしょう。


戻る

続く