2005年その11


ベルリン・フィルと子どもたち Rhythm Is It! (2004 ドイツ)

芸術はひとにぎりの富裕層のものではないのです。芸術はぜいたく品ではなく必需品なのです。
静かな口調で熱く信念を語るサイモン・ラトルが、ベルリン・フィルの主席指揮者に就任して以来
このオーケストラは教育支援活動に力を入れている。
これは2002年から始まったベルリン・フィルハーモニー交響楽団と子供たちの
ダンスプロジェクトのドキュメンタリーである。

本物の大人が本気で子供達と共に取り組み、素晴らしいダンスを完成させる記録であり、
子供や大人の成長の物語である。

ベルリン市内から集められた児童は、一口で言うと難しい子供たちばかりだ。
内戦からの難民や、家庭崩壊などの問題家庭、孤独で未来に自信がない子供が多い。
総勢250人、国籍もさまざま、体育館に集まっても私語が絶えない。
クラシック音楽を聴いた事もない子供も多い。

そんな彼らに与えられた音楽はストラビンスキーの「春の祭典」。
わかりやすいとはお世辞にも言えない曲である。大地の再生を祝い、生贄をささげる音楽だ。

ダンスの基礎も無い子供たちに、ロイストン・マルドゥーム(振付)が指導する。
それはダンスに留まらない。
目標を持つ、協調して何かを作り上げる、自分を知り、自分に自信を持つ過程だ。
基礎が無い子供に、与える目標はとても厳しく高い。教師は「それは難しすぎる」と異議を唱えるが、
彼は受け付けない。君たちには出来るんだ、と、言いつづける。

地道な指導が素晴らしくて、、いやはや、こんなことを説明するより、ドキュメンタリーを見るべし見るべし。
芸術の持つ力に、人間の持つ可能性に震えがくること間違いなし。

#春の祭典の成功から
翌年2004年はラヴェル「ダフネスとクロエ」
2005年はストラビンスキー「火の鳥」のダンスプロジェクトを発表し、
2006年はオルフの「カルミナ・ブラーナ」を3月に発表する。
この舞台、見に行きたいな・・・
(2005.09.25)

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シンデレラ・マン Cinderella Man (2005 アメリカ)

むむむ、微妙〜っ

大恐慌時代に、家族を守り抜いた男の物語である。愛する妻と子供たちを守るためなら
自分の誇りすら捨てられる、そんな男の中の男なんだが、、
「お上に文句を言っちゃいけねぇぜ、俺たちゃ、自分の出来ることを精一杯やるまでよ。
小難しいことは偉い人達にまかせときや」 って感じで、今の時期に製作されたことを
深読みしたくなるんだよね〜。

ラッセル・クロウは、なんていうか、たいして格好良くないと思うのに、いいんだぁ〜(爆)。
何が良いって、手がいい。
ちょっと無骨な感じの、短くて太い感じの指が、レニー・ゼルウィガーのうなじや頬に添えられると、
くわ〜、あんさん、その手、その手、
優しく無意識に両肩をなでていると、くわ〜、あんさん、その手、その手、HQでござんす。

帰宅してから息子に「ラッセル・クロウはね、ラブシーンがほんま上手いんだ」と言うと
「そんなん、お母さん分かるんか?」と突っ込まれてしまった。
ふんだ、経験は足りなくても分かるんだいっ(爆)。

ボクシング・シーンは臨場感たっぷり、チャンピオンのベアのとんでもない恐さと言ったらない。
わたしの不満は妻役のレニーだった。
いつも涙が喉に詰まったような声で、やりすぎな感じだった。
普段の声もまるで八代亜紀かと。。。
(2005.9.28)

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ストップ・メイキング・センス Stop Making Sense (1984 アメリカ)

Talking Heads のコンサートフィルムだ。
ジョナサン・デミが監督をしていることでも有名。

カメラが動かない、というのが、実に快感な映像なのだが、
トリビアによると、コンサート会場に持ち込むカメラは一つにして、
あるショーは右から、あるショーは正面から撮影するというように、別々に撮影したものを
編集したんだそうだ。

自然なライブに見えるが、実は手の込んだ構成だったのだ。
この計算された自然さが見事で、見ているうちにコンサート会場に自分もいるような気分に
なってきて、熱気に包まれる。

コンサートのオープニングは剥き出しのくたびれた舞台。
そこにデヴィット・バーンが一人ラジカセを持って登場して歌いだす。
舞台装置とメンバーがひとつずつ、一人ずつ増えてゆく。

音楽と人間たちがひとつの有機体となる。

とてもオーソドックスな進行で良識的なんだが、バーンのオーラが並じゃない。
あの鶏式の首振り、あのダンス あのでかい服装、ひとり彼岸にいるよねぇ〜。

もう少し音響が良かったら、座らずに自由に踊って見れたら、もっと良かったんだが。。

#もし予告編で「クラウス・ノミ」を見なかったら、もっとひっくり返ったはずなんだが、
ノミを見てしまったので、バーンは、「ちょっと変わってる」くらいになってしまった(笑)。

(2005.09.29)

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コープス・ブライド The Corpse Bride (2005 アメリカ)

ティム・バートン監督が贈る贅沢な77分。美しくも物悲しいロマンスの世界にようこそ。

人形を使って作るストップモーション・ピクチャアとやらは、12時間かけて1秒のコマとか。
ひぇ〜、そんなことを考えると卒倒しそうですが、それこそ儚い夢の世界にぴったりなのかもしれません。

生臭い欲の皮と脂肪の詰まった人間世界と、真実の骨が物言う死者の世界を舞台に、
成金豪商の息子ビクターと、落ちぶれた貴族の娘ビクトリアと、コープス・ブライド、エミリー、
それぞれの真実の愛をめぐるファンタジー。
ダークで辛らつで、陽気で、残酷で、優しくて切ない。

この映画の最大級の疑問は、魚売り豪商夫婦と、落ちぶれ貴族夫婦、それぞれから、
なぜに、どうして、あんなに素直な息子と娘が生まれたか? ありえんっ! なのですが、
それを気にしてしまうと、物語が成り立たなくなります(笑)。


私がもうもう、胸きゅんになってしまったのは、HQファンなら分かってくれると思いますが、
ビクターがエミリーとの結婚に承知してしまうシーンです。
あぅっ・・
よくあるじゃないですか? 彼女を本当には愛していないんだけれど、優しさに慰められ
きっとなんとかやってゆけるだろうと、男が結婚を決心するって設定。
あぅっ・・
エミリーに丸ごとHQヒロインを重ね合わせてしまいましたよ。

パペット人形の表情に泣いてどうするっ! と思いながらも、泣きそうになってしまいました。
ジョニー・デップの声がぁぁぁ。。いいです!
(2005.10.25)

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理想の女 A Good Woman (2004年 スペイン・イタリア・イギリス・ルクセンブルク・アメリカ)

オスカー・ワイルドの「ウィンダミア卿夫人の扇」が原作。
日本では「いい女とは2種類しかいない、何も知らない女とすべてを知り尽くした女」という
キャッチコピーが流れたが、それぞれスカーレット・ヨハンセンとヘレン・ハントが演じる。
といってもあくまで主役はヘレン・ハントだ(と思う)。若作りをしてもごまかせない老けた感じが実にいい。
いやいや、いつもながら上手いんだが、ヘレン・ハント臭さというものがあって、
なんていったらいいか、「神様はちゃんと見ていてくれるわ」「わたしは誠心誠意です」
って感じなんだよねぇ。で、この映画は、それをいい意味で裏切ってくれるのかと
思ったんだが、そこがやはりヘレン・ハントだったのだ。
ほろ苦く終っても良かったと思ったんだが。。

ヨハンセンは、いつもながらやばいほどエロい。なんなんでしょうね、あの体は。
歩く誘惑。自分の亭主の傍に近づけたくない!と思う「禁断の実」ですよねぇ。
乳首を固くさせたくなる誘惑に駆られる胸、鷲づかみで引き寄せたいと思わせるヒップ。
ヘレンハントの胸がもう少し大きかったら良かったのになぁ、これがほんま残念だわ。

原作には無い部分が、実にハーレクインで、女心をくすぐる。こんな男は居やしないと
思いながらもトム・ウィルキンソン演じるタピィに惚れちゃったわたしだ。
(2005.11.22)

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真夜中のピアニスト De battre mon coeur s'est arrete(2005 フランス)

フランス語原題を英語では「The Beat That My Heart Skipped」としていた。
WEBでフランス語のテキスト翻訳をすると、「心臓が打つのをやめた」になる。
でも英語の題を見ると、Stop じゃなくて Skip を使ってる。
いっこ飛ばした、パスしたというスキップだ。で、わたしは、実際に打っている鼓動とは別の、
本当は在ったかもしれない鼓動だけど飛ばしてしまった鼓動、叶えられない夢とか、
捨てられない夢とか、もしかしたらそうなったかもしれない自分とか、別の顔の自分、
そういうニュアンスをこの題名に勝手に感じ取った。

この映画はサスペンスと、情けなさがたっぷり詰まっている。

汚れた稼業(不動産業といってもほとんど地上げ屋)に埋没している男が、
10年前に捨てたピアニストになる夢を再び見る。オーディションまでにどれほど
演奏を仕上げられるか、彼は仕事をそっちのけでピアノのレッスンを続ける。だが、
地上げの仕事は昼も夜もごちゃごちゃするし、父親(同業)の回収できない金を
代わりに回収する仕事はやばい相手ばかりだし、見ていて誰もが、果たして彼は
オーディションに行けるのか? もしかしたら死んじゃうんじゃないか? いや
一体オーディションで彼は合格するのか? と、どきどきする。

ロマン・デュリス演じるトムは、最初、いらいらと落ち着かず、全身に緊張を
はらんでいて、せわしなくタバコを吸い、どうしようもない。
ところがピアノを弾き始めてからの彼は、少し変わる。
最初は全くなかった笑顔が出だすし、常に緊張して固くなっていた肩や腕が柔らかくなる。
この笑顔がいいんだ。シャイな感じの笑顔が。
ハンサムな顔立ちではないんだが、どきっとするんだ。

焦燥感や怒りや緊張、悲しみや優しさ、息遣いも生々しいし、だんだん全身から
しびれるほどのオーラが放たれる。デュリスがいてこその映画じゃないだろうか。

さて、いったい10年もまともに弾いていなかったのに、ちょっと練習すれば(しかも
仕事の合間に)ピアニストになれると思うなんて、甘いじゃないか、ピアニストに
なりたいというのは、彼にとって何を意味するんだ?
ここらへんが観客の好き嫌いを分けるところじゃないだろうか?

汚い稼業の父親とピアニストだった母親、テクノポップスとクラシック音楽、
ナイスバディな人妻とスレンダーな恐らくバージンの中国娘、2つの世界の間で揺れている彼、
どちらにも引かれ、どちらにも行けない、そんなあがき、本物にはちょっと足りない、
そんな情けなさがわたしには胸に沁みたが・・


#ハイドンのピアノソナタ32番とバッハのトッカータ、ホ短調のCDを欲しくなって
しまう映画だ。

#中国では「琴指心声」という題名になっている。

#ロマン・デュリスは噂どおり濃い。
(2005.11.27)

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ハリー・ポッターの炎のゴブレット Harry Potter and the Goblet of Fire(2005年 英・米)

ネット社会って付き合うのが難しいね。
なにが?って、ハリー・ポッター、これが4巻目だけどさ、ネットをちょっと探せば
本を読んでなくても6巻までの話がわかっちゃうからね。
4巻で既に鬱になりだしたから、予想できたことだけど、5であの人が死に、6であの人が死ぬのか。
ま、最終戦まで行き着くしか無いんだろうなぁ。

ヒーローなんかになりたくなかったのに、ヒーローとして生まれ落ちたハリーが
結局は戦いの日々、、でも、大事なのは愛だ!友情だ!それが大事なんだ〜っ! まさに少年ジャンプの黄金律。
面白くないわけはない。
ツボをつく展開。
と、わかっているが、本の方はもはやリタイアしてしまった私だ。
そしてこの作品を単独の映画として考えると、お金はかかっているが、脚本に無駄な部分が多く
ただの駆け足要約版映画だと思う。(好きな人、ごめんね〜!)

あれくらいの味付けなら予言新聞のお騒がせリータはいてもいなくても、
クラウチ(父)の死も、あってもなくても、
逆に、ロンやハリーの葛藤は、がっかりするほど薄い。。

個人的に、一番の見所は、鼻のないレイフ・ファインズだった。
前もってキャストを知らなかったので、嬉しい?驚きだった。
あんさん、捨て身でんな。ごっつ気持ち悪くて似合ってましたよ。

それと、映像は、ほほほほほ、ハイランドの風景が良いんですよねぇ。
風景を見るためだけでいいんです。だって、無料映画券だからね(爆)。
あの雲、、見てるだけで癒されるなぁ。
(2005.11.30)

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エターナル・サンシャイン Eternal Sunshine of the Spotless Mind  (2004 アメリカ)

やられた・・・
ほんと、なんちゅう上手さ、なんちゅう切なさ。

ラブストーリーはもう書き尽くされたか、と思ったけれど、こういうアプローチもあるのね。
天才の呼び声高い脚本家、チャーリー・カウフマン、、いやぁ、素晴らしいです。

ジム・キャリーとケイト・ウインスレットの演技もいいですねぇ。
こんなにお似合いの二人だとは思ってもみませんでした。
慎重で臆病なジョエル(ジム)と飽きっぽく奔放なクレメンタイン(ケイト)。
このふたりの名前も、なんていうか、妙に良いんですよね、少しクラシックな響きがあって。

現在の時間軸の上に、記憶の中にある過去の錯綜とした時間が織り込まれるのですが、
そこがまた実に上手い。
脳の中をそぞろ歩きしているような、夢を見ているときのような、ふたりの恋の一場面が
ふっと現れる様子の甘い切なさ。

恋をした記憶をすべて消し去りたいと願い、記憶消去専門ラクーナ社でジョエルの事を
すべて消してしまったクレメンタイン。
ちくしょー、俺もお前の記憶を消してやるっ! と、ジョエルもラクーナ社に向かうが・・

のっけから、ん?ん?んんん? と引き込まれること請け合い。
ストーリーにミステリー味もあり、脇役たちのサブストーリーも憎いほど上手く絡んでいる。
映像は静かなドキュメンタリータッチで、優しい詩情にあふれている。

HQファンには定番の、記憶喪失でも同じ人と恋に落ちるか、、みたいな話ではあるが、
そこがそれだけでは終わらないひねりがある。本では絶対に作れない「音の記憶」の面白さがある。
オススメです!


#ジム・キャリー、はぅ、好みだなぁ〜。内向的な彼がふっと見せる少年のような笑顔、
ツボですわん。

#ラクーナ社のハワード博士は、トム・ウィルキンソンで、先月見た「理想の女」のタピィに
続き、けっこうおいしい役どころね。
(2005.12.09)

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クローサー Closer  (2004 アメリカ)

4人の男女の繰り広げる絶妙な会話。
嫌になるほど分かる。 胸が痛くなる。 人間って奴は理不尽でアホンダラで。。

ユーミンの歌じゃないけれど、男は最初の恋人になりたがり、女は最後の愛人になりたい。
「天国の口、終りの楽園」じゃないけれど、他人(ひと)の女と寝ようとやっきになるけど、
自分の女が他の男と寝たら許せない。
女をものにすることは、勝ち星を張り合う勝負なのか、わが身のcockに自信が無いのか。

たかが体の事で、心は違う。sexにそんなに重きを置かないで!って言っても、それじゃ愛って何なのさ。
sexに始まりsexに終わる、愛の世迷いごと。
「ヤッタのか?」「いや、ヤッテない」「ほんとの事を言ってくれ」「実はヤッタ」の繰り返しに
傷つき、傷つけあう。

ジュード・ロウとナタリー・ポートマンのふたりが出会うシーンは本当に美しい。
ロウは安心できる上手さ。そしてポートマンは、驚くほどの上手さ。
クライブ・オーウェンが嫌な奴なんだ。腹立たしいほど男の一面を出して
この虫唾が走るほどのくそ嫌らしさが実に上手い。あぁ、こういう奴いるいるいる、、って思うよね。

ジュリア・ロバーツは、、微妙〜っ。演じている役もそういう感じだからかな。
悪くないが良くもないって感じで、上記3人には負けてるかなぁ〜。
やましさでしか愛を感じられない女、幸せになりたくない女、一番正しい事をやってそうな顔で
一番揺れ動いてしっかりしない女、そんな複雑な表現ができたら感心するのだが。。


# 99年にこの芝居はブエノスアイレスの劇場で上演され、スバラグリアがダン役(ジュード・ロウ)だった。
アリス役(ナタリー・ポートマン)はおなじみのレティシアだが、彼女がアリスだと、清純さが減って
したたかで小悪魔な要素が強くなるねぇ。ナタリーの方がこれは好みかも。
(2005.12.13)




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