聖なる罪びと ( The Sinner ) の翻訳で残念だったこと
The Sinner のあらすじは、テス・ジェリッツェンのところに書いた。

妊娠したリゾーリは、どうしていいか分からず、
あかんぼなんて生めっこない、あたしにあかんぼうなんて育てられるはずない、
それに、あいつ(ディーン)はあたしのことなんて何とも思ってないに決まってる、、、

と、自分の人生が自分ひとりの思い通りにならないことに苛立つ。
自分のことを、自分だけで決められないことに苛立つ。
でも、ほんとうは、
「苛立つ」対象は理不尽な現実じゃなく、不安で弱い自分なんだと気づいている。

妊娠するまでは、自分はひとりで生きられる、ひとりで生きていると思っていたリゾーリ。
自分の体内にある赤ん坊という他者を意識した途端に、自分という存在が、じつは
多くのつながり、多くの思いのなかで生きていることを考えさせられる。


クリスマスのとき、リゾーリは、初めて、自分が母親から愛されていることを実感する。

「お前も自分の子供を持ったら、その時きっと「愛」がどんな風に感じるか分かるよ」

自分が傷つくのが嫌ではねのけていたもの、それは「愛」だったんだ・・
芽生えてきたものを素直に受け容れ、リゾーリは生む決心をディーンに伝える。。

そしてここが山場!
まえにテスのところで書いたように、ディーンはリゾーリに
「刑事リゾーリではなく、ジェーンの部分を自分に見せろ、内側の部分を曝せ!
自分もそういう部分を曝すから」と言うと、

彼女は、勇気をだして言う。

「あたし、あんたのこと好きみたい」

うぐっ・・・

ここ、元の文は  「I think I love you」 だったんだよ〜。


ロマンス小説を読む人なら、「I love you」がいかに重い言葉なのか、わかるよね。
英米人にとって「ラブ」は他とは違う言葉なんだ。
「愛してる」を言えないで苦しむヒーロー、ヒロインを山ほど知っている。

「I like you 」「I want you 」「I need you 」
君が好きだ、君がほしい、君が必要だ、、と「君を愛してる」は、根本的に違う。

like, want, need は自分が主体なんだけれど、love は相手が主体。
自分自身を全面的に相手に委ねる行為。 まさに白旗降伏に近いものがある。

like, want, need 花が好き、チョコレートが欲しい、金が必要だ、、
これらには、「心」を差し出す必要がないけれど、Love心を差し出す必要がある。

そんな言葉をリゾーリは勇気をだして口に出した。

それが「好きみたい」?

まぁ、日本人的には、リゾーリの言いそうなセリフだ。
日本人版リゾーリなら、愛の告白を、意地を張ったような言葉で伝えるだろう。

でも、でも、やっぱり、ここは、生の自分の「心」を差し出したI love you を
リゾーリがディーンに言ったんだ、ってことを強調してもらいたかったなぁ。。。

「あんたを愛してる、みたい」 ではダメだったのかなぁ。


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