2004年その2


カルメン Carmen (2003年スペイン、イギリス、イタリア)

衣装や風景がとても素晴らしかった。
やっぱ生まれ変われるものならば、ナイスバディに生まれ変わりたいねっ
 
え?これで終わっては身もふたもない?(爆)。
 
う〜ん、、
ファム・ファタル、魔性の女っていうけれど、
恋多き女じゃないんだよね、このカルメンは。
愛なんてものの存在を信じない、愛ではおなかがふくれない、
愛は自由を束縛するもの、そう考えていて、
欲望のままに生きている女なんだよね。
 
たぶん今風に解釈すれば、子供時代の劣悪な家庭環境と性的虐待から
性を売り物としか考えられず、自分さえも愛しているのかどうか、
人を傷つけることも厭わない人間になってしまったわけだけど、
どこかに苦悩や切なさを求めたいわけよ、観客としては。
でもねぇ、なんていうか、アニマル入っててねぇ、共感できなかったんだなぁ。
 
そもそも、レオナルド・スバラグリアが見たくてこの映画を観たわけだが、
カルメンに振り回されるホセっていうのが、入隊して5年、
真面目な勤務ぶりで軍曹になった23才の若者って設定なんだよね。
女を知らないまじめな童貞君のホセ役にスバラグリアってのが、ちと苦しいんだよね。
 
経験豊富なカルメンとの一夜が忘れられず、悶々、悶々、悶々、
もー、地獄にだって落ちてやる〜っ!! 
あとは坂道を転げ落ちるように・・
ってんだけど、スバラグリアがホセだと、成熟した男って雰囲気なのに、
それがカルメンの性のとりこになってしまうから、正直言って「とろい」のよ。
嫉妬に苦しむにしても、捕まえられない蝶を追うにしても、
若いホセ自身の無垢なものを失ってゆく切なさが足りないのよ。
 
 
スバラグリアを相手役に起用するなら、もっとお話をサ、デボラ・シモンズの
「魔性の花嫁」みたいにしてサ、アニマルなカルメンが静かな雰囲気のホセに
心ならずも惹かれていって変わってゆくみたいなものにしてくれたら
嬉しかったんだけど、それじゃ、まるっきり「カルメン」では無くなってしまうわ(笑)。
 
 
みーはー的には、スバラグリアさまのキスや指先のかすかな愛撫って
おっとろちいほどセクシーですわん。DVD買おうかしら・・(爆)
 
 
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The City of No Limits En la ciudad sin limites(2002年スペイン、アルゼンチン)

もちろん、レオナルド・スバラグリアの主演映画というので米アマゾンからDVDを
買ったわけだが、見ごたえのある映画だった。日本での公開も実現したら嬉しいのだが。
 
舞台はパリがメインだ。
だが登場人物たちは、パリの病院に入院しているスペイン人の老いた男と
その妻、3人の息子などで、一家の住居はマドリッドにある。
また、長いこと家族と離れて暮らしていた三男(スバラグリア)はアルゼンチンから
駆けつけている。
つまり、彼らはみなパリでは異国人なんである。
スペイン語を話す彼らは一部の者を除いて、フランス語が分からない。
英語字幕も、フランス語の部分では省略されてしまう。
もちろん、主人公たちも、フランス人の店員や看護婦が何を言ったのか、なんと答えたのか、
わからないわけだから、フランス語部分に字幕がなくて途方に暮れる気分は、
わたしと一緒なんである。
 
この違和感というか、疎外感、パリの町並みのどことなく醒めたような色、
非現実的な不確かさが、映画の中にはずっとある。
 
脳腫瘍のために入院している男は、製薬会社のオーナーのようで、家族は彼の死期が
近いため、なんとか会社をオランダの企業に売りたいと考えている。
ファミリービジネスにまったく関わらず、ひとり遠くに暮らしている三男が
見舞いに帰ってきたところから話は始まる。
 
導入部分はおどろおどろしいサスペンス調で、これははっきり言って「はったり」である。
殺人事件か陰謀謀略でも起きるんじゃないか、と思わせる「はったり」だったが、
物語はサスペンスやミステリというより、人間ドラマだった。
 
だが、隠してきた過去や、抑えてきた思い、償えない過ちや、消せない恨みなど、
家族のそれぞれが抱える思いを陽のしたに引きずり出してゆくドラマは、
本質的にサスペンスでありミステリでもあるわけだ。
 
「なぜ父親はおかしな妄想に囚われているか」・・三男に助けてくれ、という父親。
父の願いをききいれ、家族に隠れて行動を起こす三男。
 
そこに、長兄や次兄の家族問題、自分自身の女性関係、母親の冷淡さ、などが
加わる。
 
一見、ばらばらに見えるが、すべてが同じモチーフを繰り返している。
それは、過去には貴重だった人間関係があり、それが今では変質しているというもの。
 
分かりやすい例では、次兄の離婚した妻と、当時の浮気相手で現在の妻が
誕生パーティでバッティングするシーン。
嫌になるほど上手く描かれていて、苦くてこっけいで切ない。
三男もまた、長兄の妻を愛した過去があり、再会することが恐くてスペインから
離れて暮らしていたようだし、いまはアルゼンチンに恋人がいるにも関わらず
再会すると心ならずも長兄の妻を見つめてしまう。。
死にゆく父親は過去の贖罪を求め、その妻は贖罪を認めようとしない、
何度だってあなたを守るためにわたしは同じ事をやる・・
 
人生にはすっきりとした答えがなくて、過去の行いがすべて上手に現在につながって
いるわけではない。
 救われた気持ちになったようでなれない、いや、その逆か?救われないようで救われた?
それぞれの人生を考えさせるドラマである。
 
スバラグリアはすごくいい。
父親に見せる笑みといい、自分自身の不実な心を認める傲慢さといい、
持ち味がとても生きている。
くぅぅ〜・・・
沢山の人に見てもらいたいと思うが。。リージョン1が見れるDVDデッキが必要である。
(2004.6.17)


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deseo (2002年スペイン・アルゼンチン)

deseo は 英語で言うとdesire、「欲望」。スペインのオンラインDVDショップから購入。
 
映画の前に少しお勉強が必要だ。
1945年のスペインって・・・
そーなんだ、スペインは第二次世界大戦に参戦してないんだわ。
 
1936年に始まった内戦は、フランコ将軍の反共という姿勢が西側諸国に受けて、
イギリスやフランスは不干渉政策を取り、ドイツやイタリアも含め
27ヶ国が不干渉協定を結んだ。
ドイツなどはそれを公然と無視してフランコ将軍に軍事援助を行い、
1939年にフランコ将軍による独裁政権が樹立。
ヒトラーに借りがありながら参戦要求を見事回避し、ファシスト政権で、かつ中立という
巧みな政治手腕で第二次大戦を乗り切り、終戦を迎える。
終戦後、国連でスペイン排斥決議がなされ、フランス国境は閉鎖されたりするが、
一貫して反共政策を貫き、、アメリカから経済支援を受ける。
こうして独裁国家は、結局フランコ総統が死去する1975年まで続いた。
。。。
 
多くのナチス残党や財産がスペインを経由してアルゼンチンへ移ったようだ。
有名どころでは「アイヒマン」がブエノスアイレスで見つけられたし、
ナチス財宝を運ぶ作戦は「火の島作戦」という暗号名まであったそうだ。
。。。。
 
ってことで、この映画、1945年のスペインで、父親がドイツ人、母親が
アルゼンチン人の主人公パブロが、ナチスの秘密組織に加担していることは
不思議でもなんでもない。
 
一方のエリュヴィラは、元はといえば医者の娘で、リルケの詩を愛するような
高い教養をもつ、豊かな家で育った女性である。
内戦でファシストたちに、父親を処刑され、そのショックに母は
精神的病いに陥っている。
 
メイドとしてパブロの豪華な屋敷で働きだすエリュヴィラ・・・
病気の母と反ファシズムの妹、、刑務所にいる夫(ピアニストだったようだ)・・
閉塞感のある苦しい日常と、彼の屋敷の中とは、まるで別世界のようで、
積極的なパブロの誘いをこばもうと思いながらも、からだのなかがうずくのだ。
 
ヒロインの肌はシルクのよう、頬はばらの花、下唇のふっくらとした感じときたら、、
はは、まるでHQのようなヒロイン、レオノール・ワトリングでござんす。
そんなヒロインに魂が飢えているかのように近づくヒーローは、レオナルド・スバラグリア。
いよっ、待ってましたっ!
 
燃え上がる欲望に溺れてしまうも、ふたりは共には生きていけない。
ファシズムを、ヒトラーを信望しているパブロを、エリュヴィラは
受け入れることができないし、一方のパブロはナチスへの献身を誓っている。
ヒトラーの死が報じられ、一気に物語は終盤へと向かう。。
 
呆れるほど昼メロの世界なのだが、これがラテンの遺伝子のなせるわざ。
荒波どんぶらこ!の美学で突っ走る。
しかし。。。なぜに今1945年?ナチスとコミュニスト?
わたしは見たことが無いんだけれど、日本で『真珠夫人』が流行ったのと
同じ感じなのかしら。
 
#映画としての点数は高くないが、背すじをつつつぅっとなめるスバラグリアが見れる(自爆!)
(2004.6.26)

 
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トーク・トゥ・ハー Hable con ella (Talk to Her)(2002年スペイン)

クレイジーなのに、可笑しく哀しい映画だ。
人によっては、善悪の判断で見てしまうかもしれないが、
映画は別に善悪の世界ではないし。

植物人間状態の女性アリシアを深く愛する男ベニグノがいる。
全くコミュニケーションできない相手を愛する。。片思い、ストーカー、24時間介護、
愛している、結婚したいと言えば、気が狂っているかのように言われてしまうが、
どんな結婚よりも気があっていて幸せだというのも皮肉なことに真実かもしれない。
ベニグノにとって植物状態のアリシアは愛を捧げる対象であり、女神、受容である。

劇中劇の「縮んでいく男」
これがかなりショックな映像なんだが(笑)、その劇中劇の話とベニグノの行為は
女性を蹂躙したというより、男性のほうが女性に身を捧げたと言ってもいいような
気がしてしまう。。

もちろん、ベニグノは一線を越えた行為をしたとして罰せられるが、
一線を越えた行為は、4年も昏睡状態の彼女を目覚めさせる。。
アルモドバル監督版「眠れる森の美女」は、残酷で皮肉に満ちていて
哀れで美しい。

もう一組の男女がいる。
ルポライターの男マルコと、闘牛士(?)のリディアだ。
リディアは花形闘牛士ーバレンシアの子ーと呼ばれている男と最近別れたばかり、
人生に絶望し、マルコにいったん心が傾くが、よりを戻そうとした闘牛士を
受け入れてしまい、まるで自分を罰するかのように、闘牛場で大怪我を負う。
闘牛場へ向かう前のマルコとリディアの会話。
話があるの。
話してるじゃないか。
あなたばかりが話していたでしょ、わたしじゃないわ。
あぁ。
試合が終わったら話すわ。

だが、脳に損傷を受けたリディアは、植物状態になる。
話されなかった会話が空中にただよう・・・
マルコにとって植物状態のリディアは、愛の拒絶である。

マルコとベニグノは受け止めてもらえなかった愛と孤独を共有し
奇妙な友情が芽生え、リディアの死によって再び巡り合う。

この監督のねじれは、ここでも効いている。
病院のなかという奇妙な非現実感から離れ、昏睡状態の女性を介さずに
現実的に向かい合うとき、出会う場所は現実とは最もかけ離れた場所、
刑務所だった。

夢物語のような雰囲気は、スペイン映画の特徴なんだろうか?
たまたまわたしが見たものがそうなだけ?
ラストが奇妙に優しい、クレイジーな映画だといっておこう。

下でも書いたように、アリシアを演じるレオノール・ワトリングの美しさは、
これだけで立派な芸術品であるかのよう。
象牙の肌ってああいう肌を言うんだろうなぁ〜。ほれぼれ・・・
一見の価値がある肉体である。
(2004.8.20)


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マジェスティック The Majestic (2001年アメリカ)

実はわたしはあまり「ショーシャンクの空」が好きじゃない。
これを口にするのは勇気がいる。
なぜって、ものすごく多くの人がショーシャンクに感動した、と言っていて、
世間的にも評価が高いから。
映像が綺麗で、俳優が上手い、んだけど、映画はなんかピントがぼけていて
甘いシロップがけのケーキを食べさせられたような気がした。
キングの原作はもうちょっとピリッとした味があったはずなのに。

で、マジェスティックがその監督だと知って、とても納得した。
映像が綺麗で、俳優が上手い、、、
だけれど、甘ったるくて、何かずれたものを感じてしまった。

主義や主張のない、ノンポリの人間ピーターが、事故で記憶喪失になる。
気がつくと、とても勇敢で高潔で、街の英雄だった男ルークと間違えられている。
記憶が戻らないから、本当に自分がそんな立派な男なのか、ピーターにはわからない。

ピーターを信頼するようになった人は、彼がルークだと思っているから信頼するのか、
実はルークじゃないと分かっていたがピーター自身の行動や思いやりを感じて
信頼するようになったのか、そこんところが面白いとわたしは思ったので、
ピーターを追ってきたFBIを街の人たちが追い払うのだと予想していた。
本当はルークじゃないと分かっていたけれど、ルークだと主張することによって
ピーターを助けるのかな?と思っていた。

だが、そうじゃなかった。
ルークという過去の実績によってピーターを信頼していたにすぎなかったのだ。
彼らは大戦であまりに多くの若者を失い、夢を失ったため、彼をルークだと
信じたかっただけなのである。
街の人もピーターも幻想の世界に生きていただけだったのだ。
(わたしとしてはそれなりにピーターは自己発見をしていたと思うのだが)

で、これからどうする?
ピーターは現実の世界をもう一度構築しなくてはならない。
幻想ではない自分を。
ところが、お話は単純にピーターに真の英雄になることを強要する。
そもそもルークという英雄像を押し付けておいて、
「逃げるなんて英雄じゃない!」というように落とす。。
誰ひとりとして、おまえの苦悩はわかる、と言ってくれる者は無い。
でも、ピーターは立派に英雄になる。
ルークに恥じないように、と、勇気を奮う。。うへっ。。
そして街の人たちはピーターをアメリカの自由を守った英雄として迎える。

をいをい、、幻想を愛した街の人たちはただルークという英雄の代わりに
ピーターという英雄を据えただけなんだ。
大喜びでピーターを迎える場面なんて、ブラックユーモアかと思ってしまった・・

ハリウッドの赤狩りを批判的に扱っていようとも、アメリカ万歳の映画だった。

ストーリーは置いといて、、誠実な男を演じるジム・キャリーを見ているのは
とっても心地よかったわ。。
(2004.8.23)


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ヴァン・ヘルシング Van Helsing (2004年アメリカ)

映画としてはまぁ普通の出来だと思うが、
The Boy From OZ を、週に8回、一年間もやっていたヒューが、、、と思うと、
なんていうか、つい、偉いよ、すごいよ、お疲れ様、、という心境に
なってしまって無色で評価することができない。
プラハのロケ地でタップダンスの特訓まで受けていたとか、
いろいろ枝葉を考えてしまうのよ(笑)。

盛り合わせエンターテイメントでは、ハムナプトラのほうがバカっぽさが
あって良かったと思うが、ブレンダン・フレイザーがバカっぽいキャラだからねぇ。
ヒュー・ジャックマンだとああいうバカっぽさは出ないよねぇ。
007系新兵器オタクとインディ・ジョーンズ系汚れた帽子とXメン系謎だらけ過去、
いいとこ取りをしてもなんか許される、そういう健全さがヒューの良さかもしれない。
ハリソン・フォードにもあるよね、なんつうか、健全な雰囲気。

脚本はけっこううまい辻褄あわせで、モンスター大集合のわりに違和感がなかった。
よくぞあそこまで集めたもんだ。
werewolfの登場時間が短かったのが不満だが、ウルトラマンのようなカラータイマーを
つけたフランケンはツボだった。ヴァンパイアの卵はエイリアンワールドだったねぇ。

結局ヴァン・ヘルシングの過去は謎のままで、いったい、彼は不死なの?
天使なの?悪魔なの? ってとこで、おつぎをお楽しみに〜。
 

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