2004年その4                     ラテンアメリカ映画リストへ


クリスマスに雪はふるの? Y’AURA T’IL DE LA NEIGE A NOEL? (1996年フランス)

ガーーン! この題名といい、冒頭のキラキラ光る子供たちの笑い声といい、
まさか、よもや、こんなに重苦しくて救いのない映画をみせられるとは思いもしなかった。。

利己的で冷たい妻子ある男に、身寄りのない孤児院育ちの女が惚れ、
重労働に低賃金でこき使われながら、7人も子供をつくり、
その子供たちも男の農場でこき使われている。
電気もろくに使えない。トイレも無い。ストーブすら無い。
これをどうやって鑑賞しろというの? 
『優しいお母さんと子供たちの愛の物語です』なんてキャプションを
書いている人の神経を疑う。
わたしはだめだぁ〜。あのろくでもない男の首をしめてやりたいね。

これは子殺しの話だ。
愚かではないが愛のない父親と、愛しているが愚かな母親によって
殺される子供たちの話なんだ。


最後にみたホワイト・クリスマスは、絶対、現実じゃない。
現実では「雪」なんて降らなかった。。。
そういうタイトルだとわたしは思っている。

プロヴァンスの四季の映像だけはとても美しかったが・・
(2004.11.7)

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恋のためらい フランキー&ジョニー Frankie & Johnny(1991年アメリカ)

はぁ・・満足・・・
むちゃくちゃ良くわかるわ。いろんな気持ちが。。。

「愛する人を見つけたい」刑務所帰りのコックと、
「二度と男を愛したくない」ウエイトレス、
孤独な中年(47と36)の物語なんだよねぇ。
男は3年前に離婚していて、服役(18ヶ月)中に元妻は再婚してる。。
女はDV夫に受けた暴力がもとで子供を失った過去をもっている。。
ミシェル・ファイファーもとても良かったけれど、ちょっと綺麗すぎるな、やっぱ。
これって、舞台で大ヒットして映画化されたんだよね?
フランキーを演ったのは、キャシー・ベイツなんだよね?なるほどねぇ。。

それにしても、アル・パチーノのあの目。
渇いた男がようやく見つけた水を前にしたみたいな、あの目!(もうどうにでもしてっ)(2004.11.10)


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マタドール -炎のレクイエム-  MATADOR(1985年 スペイン)

これはねぇ〜。。。スペインでは上映禁止にされた映画なんだよね。
つまり、キリスト教会を揶揄ってる大胆な挑戦を面白いと思わないと、
このオカシサが十分伝わってこないって気がして、日本人にはちと苦しいんだな。

ま、サスペンスミステリ仕立てなんだけど、こんなの誰がみたって犯人みえみえ。
サスペンスとかミステリを期待して見るとスカを食らう。
たぶん、死の快楽にとりつかれた男女と狂信的な宗教、これの対比を
描きたいんじゃないかなぁ。
引退した闘牛士、死と背中あわせの究極の快感が忘れられない。
「ぐさりと殺すこと」が無いと生きていられない。
首をのこぎりで切ったり、吊り下げたり、スプラッターなビデオを見ながら自慰をする。
その闘牛士を深く愛し、彼の持ち物、衣装をコレクションする女。

狂言回し役のアントニオ・バンデラスが、とろい顔でぴったり。
そして彼の母親が「オプス・デイ(神の御業)」に入信している。

オプス・デイって何???? 知らないことが多いんだが、こういうものだ。
スペイン生まれのキリスト教のなかの超保守的原理主義結社だね。

自分の息子が犯人として拘束されたというのに、アノ子は悪魔がとりついた、
といって相手にもしないで見殺しにする。

犯罪者たちのほうが美しく描かれるラスト。
奇妙でクレイジーな人間達、う〜ん、面白いのか面白くないのか、謎だ。。
(2004.11.11)


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Wild Horses  Caballos salvajes (1995年アルゼンチン)


レオナルド・スバラグリアの、初主演映画。
英語字幕のものを見た。
もう一人の主演格は、アルゼンチンの名優、エクトール・アルテリオ。
「死体袋」では父ちゃん、「Burnt Money」ではどこかの親分、が
最初はしょぼくれた老人として登場する。

銀行にだましとられたお金を取り戻そうと、ピストルを懐に
自暴自棄になっている男、ホセ。
応対した人の良さそうなペドロは、用事で席をはずした副支店長の
代わりに、彼のデスクに向かい、ホセの用件を聞こうとすると、
「15334ドルをよこせ、さもないと自殺するぞ」と書かれた紙を渡され、
自分の喉にピストルをあてているホセを見て動揺する。

こんなところには金は無い、待てっ!早まるな、待てっ!
ペドロは慌ててあちこちの引き出しを開け、机の引き出しに入っていた大金を
バッグに詰め、人質になった振りをして、自分の車でホセを逃がしてやろうとする。。。

事態は十分にややこしくなっていた。
引き出しに入っていた大金は犯罪組織のマネーロンダリングをしていたもので、
銀行側は正式には盗難を発表しない。
だが、ペドロたちを生かしておくものか、と追っ手を差し向ける。

マスコミは、ホセがペドロにみせたメモを見つけ、大喜びだ。
哀れな老人の預貯金を奪った銀行に、命を賭けて乗り込んだという格好のニュース。

こうして、ふたりは思わぬ逃亡劇をするはめになる。。

ニュースねたに飛びつくマスコミ。英雄扱いの民衆。追っ手の恐怖。。。
アルゼンチンの美しい南部の自然と、ふたりの友情の育つ様子を描き、
生きることの意味をもう一度見つける旅をカメラは追う。

ホセ役のエクトールは、相変わらず上手い。息子を亡くし妻を亡くした男の悲しみ、
壊れゆく故郷を憂う痛み、再び大切に思える人たちを見つけた喜びをしみじみと
演じている。

ペドロ役のスバラグリアは、若々しい青年を好演している。
って、ほんまに若いんだけどね(笑)。

旅を通じてひとりの男になっていく、表情が最初のほわ〜んとした顔から
最後はしっかりした顔に変わってるんだよねぇ。
最近の映画しか知らない人には驚きになるだろう、饒舌で気がよくて、
大笑いしたり怒鳴ったり叫んだり走ったり寝転んだり、、、とにかく、若い(笑)。
むちゃくちゃ可愛い(^m^)。。。

ロマンスシーンはほんのちょっとだけ、ほんのちょっとのキスシーンなんだが、
これが、、ううう、、美しいんである・・


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シークレット・ウィンドウ 

正直いって、イマイチな映画。
ジョニー・デップの一人劇として、彼の演技はとても堪能できるが、
映画そのものの話は、なんとも。。
サイコホラーとしてもミステリーとしても、成功していないと思う。
キングの原作がもっとましなものだと信じたいので、
悪いのは脚本だ!と断言してしまおう。

批判するのにはある程度ネタばれをしないと書けないので、ここからは
白字にする。読んでもかまわない人だけドラッグするか、コントロールAを押してネ。

小説を盗んだな、と言いがかりをつけてきた「ジョン・シューター」の正体は
早くから察しがつく。この手のサイコホラーものに、よくある設定だ。
今更驚く設定ではない。
でも、それだって構わない。多重人格の心底震え上がらせる話になるのか、と
期待して見てると、そうでもない。
あっさり、あれは自分の妄執が生んだ架空の人物だ、と認めてしまう。
そして、その人格にあっさり心身がのっとられてしまう。

別れた妻エイミーがやってきたとき、多重人格の恐怖設定だったら、
観客に、あいつはどっちの人格なんだ?あぁ、エイミー、気をつけろよ、、と、
どきどきさせるのが普通じゃない?
ところがこれはそうじゃない、あっさりと、別人格の彼が、お前を殺すぜ!と
襲い掛かってくる。サスペンスもホラーも全然無い。

それではミステリーとしてはどうか?小説の盗用疑惑、愛犬の死、家の消失、、、
いくつもいくつも重ねたわりに、なにひとつ、謎にならない。
全部、自作自演さ、、ピリオド。
全員ぶち殺してしまうし、をいをい、どうなるのか、と思っていたら、
湖に落とした車のハンドルに時計がひっかかったのは、何かオチがあるの?
関節炎の保安官が途中で彼を呼び止めようとしたことは、何かオチがあるの?
え?なにもないまま、終わってしまうのね。。。

いや、恐かったシーンはあったよ。あれだ、茹でたコーンが
皿に山盛りになってるシーン。あそこは恐かった。
それと、あごを大きく動かしてコリをほぐす演技、あれ、あれも恐かったね。

キングの原作は、読んでいないが、ひねったラストだとネットに書いてあった。
あぁん、一体どういうラストなの、誰か教えて!!!
(後日つけたし。海外の、バッドムービープラネットに、原作ねたばれが
書いてあった。なるほど・・・やはりbad movie ってわけね、まぁねぇ、、)

#ジョニー・デップのぼさぼさ髪、ぼやき、独り言、ほんま、いいわ〜。
映画はイマイチだったけど、デップの顔が見れたら、それでいいってトコかなぁ。。
(2004.11.13)


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Tango Feroz(1993年 アルゼンチン)

字幕のない、スペイン語映画をみたので、内容について正確な事は言えないんだが、
76−83年の軍事独裁下に、拘留され、はては電気ショックや薬物などで
廃人にされてしまった若者を中心とした青春群像劇である。

ロックのライブを愛する学生たち、シンガーのタンゴ(主人公の名前だ)を中心に
バンドの仲間たちのドラマだ。
仲間たちとの馬鹿騒ぎ、タンゴと女子学生との恋、、
(スバラグリアは、バンドのメンバーじゃなくて、タンゴのルームメイト兼映画監督を
夢見る青年を演じている)

ライブのあと、早朝の埠頭を皆で散歩するシーンがとても美しい。
スバラグリア扮する青年がハンディカムで友人たちを撮っているという設定で、
みな、夢や希望を口々に語り、恋人同士は抱き合い、輝いている。

タンゴの過激な歌が当局の目にとまり、連行され、拷問、刑務所送りとなる。

数ヶ月後?数年後?釈放されたタンゴを待っていたのは、様変わりした友人たち。
ぼろぼろになった自分の怒りの矛を向ける先もない。さらに、
自分の作った歌が街に流れて、ヒットしている。もちろん、自分の作品としてではなく、
仲間のふたりの作品として。
商店街で暴れ出すタンゴは、再び拘留され、今回は手荒な処置を受ける・・・

かつての恋人であった彼女が精神病院を訪ねてゆき、そこでタンゴと会うのが
最後のシーンである。
そして、早朝の埠頭でスバラグリアが撮った昔の映像が流れる・・

スバラグリアはピニェイロ監督の投影のようで、監督自身の体験がもしかしたら
入っているのかもしれない。
軍事政権下の出来事を風化させてはならないという思いが伝わってくる。


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ミッドナイトミッシング La Noche de los lapices(1986年 アルゼンチン)

「The Night of the pencils」というのが英語の直訳で、日本でも
「ナイト・オブ・ペンシルズ」で公開されたらしい。ビデオ化されたとき、
上記の題名になった。

高校生の弾圧を、軍・警察の作戦名で「ラピセス、鉛筆ども」と呼んだことから
きている。

アルゼンチンでは76年3月に軍事クーデターが起こって以来、反政府運動や
市民組織への弾圧が日を追うごとに強まっていったが、9月、高校生連合が
バスの学割定期券発行を求めて市役所前でデモを行うと、数日後、徹底的な
弾圧作戦が繰り広げられた。
深夜に自宅を急襲して連行し、拷問につぐ拷問、そして、正式な告訴を
しないまま、牢獄で射殺。。。

映画は事実に基づき、わずかに生還した若者の証言から構成されている。
現在でもそのとき連れ去られた高校生238人の行方がわかっていない
(もちろん、殺されているのだろうが・・・・)。

軍事政権は7年間続き、この間に行方不明になった市民、学生は約3万人と
言われている。

映画の製作は85年だと考えると、暗い日々からそれほど遠くない。
そのため、この映画には、とても生々しい感情が溢れている。

スバラグリアは主要な人物の弟役。15才だ。

このあとスバラグリアが出演した映画、93年の「Tango feroz」は、
「ミッドナイトミッシング」の大学生版とも言える作品で、大学生らの連行、拷問、、
そしてその後までを描いている。

いずれもあまりにも内容が重くて暗くて、普通の感想を書くことができない。

追記しておくと、アルゼンチンは大半がヨーロッパからの移民の国だ。
先住民や民族対立などはほとんど無いので、連行された者たちは、
一般市民、学生が主体である。
国籍法の違いにより、二重国籍を持つ人もいる。行方不明者の中にはスペイン、
スイス、ドイツ、スウェーデンなどの国籍を持つものもいて、それぞれの政府は
現政権に対して軍政期における犯罪者の徹底訴追を公式に求め、国をあげて
犯罪の追及に乗り出しているという。

日本はニ重国籍を認めないので、日系人ということになるが、
この行方不明者の中に14人の日系人がいる。
だが、この問題に対して、日本政府は何も行動を起こしていない。
(2004.11.14)


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アモーレス・ペロス Amores perros(2000年 メキシコ)

心臓鷲掴み!!!!

ぞくぞくした!
こんなに良いとは思ってもいなかった。

「犬のような愛」じゃなくて、愛なんて厄介、愛なんてくそったれ、という意味。
英語タイトルが「Love's a Bitch」 
どうにも愚かでクレイジーで、切なくて救われない愛を描く、犬を縦糸にして
若者、中年、老人 それぞれ3者の人生と愛を描く。

これが実に上手い!!

3人とも、満足できる愛を手に入れようとしてもがき、手に入れられないと分かっても
求め続ける。。。

メキシコの町、、低所得者層の家と路地、アンダーグラウンドの闘犬場、
オフィス街のしゃれた街並み、荒野、
猥雑さと血、リズムとビート、煮えたぎった荒々しい感情を写すのもとても上手いが、
中年の『あぁ、なんて、この人わかってんのよぉ』と言いたくなるような、
軋んでずれてくるデリケートな心情を描くのもうまくて、
しかも老人の荒涼とした孤独も見せるし、、
脚本Guillermo Arriaga と監督アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの才能に、
感心するしかない。
「21g」もこのコンビなんだね。

見るべし!見るべし!映画だ。
全編2時間33分あるが、長さは全然気にならなかった。というか、
これを書くまでそんなに長いとは思ってもいなかった。

#犬たちの演技が見事。素晴らしいというしかない。
俳優達の演技も素晴らしいが、特に、ガエル・ガルシアがとんでもなく光ってる。
美しさにも驚いたが、若さの暗い情動をうつす眼の力、やられましたねぇ〜。


ねたばれ感想
特にはっとした展開は、コフィー(犬)がチーボ(老人)の飼っている他の犬たちを
食い殺してしまうところだ。
犬好きや動物愛護協会の人は怒るかもしれないが、この展開が、
「あぁ、なるほど、チーボがコフィーの命を救った意味はこれか」と感心してしまった。
コフィーは闘犬だった。相手の犬を殺すことで飼い主に褒められ、金を稼いできたのだ。
コフィーは特に凶暴というのでもない、よこしまな犬というのでもない、
コフィーは生業としての殺しをするだけなのだ、「殺すこと」が自分の存在意義だから、
いや、もしかしたら、命を救ってくれたチーボを喜ばせようとしたのかもしれない。

が、結果、チーボの愛するものを殺してしまう。
生きるものの業の深さを思わずにはいられない・・・

外から帰ってきて、愛犬たちの血まみれの骸を目にするチーボ。
妻も娘も捨てていまや暗殺者を生業としているチーボをして大声をあげて泣かせ、
己れの失ったものを心底知らしめる。。

だが、彼は娘と会うことはできない。いつか会う勇気が生まれる時まで、
彼とコフィーが向かうのは、荒野だ、何もない、土むくれの荒野だ・・・

(2004.11.14)


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