2006年その1                    ラテンアメリカ映画リストへ


リベリオン Equilibrium (2002 アメリカ)

第3次世界大戦後の地球という設定。
戦争根絶のために、人は憎しみや怒りといった感情を排除する薬を飲み、平和社会を築く。
感情の発露ー、音楽、絵画、本はすべて禁止される。
ってことで、秘密警察みたいのが、燃やす燃やす、
中国5000年の歴史でもブラッドベリでも、焚書坑儒は統制と切って切れない仲なんだね。

物語は、取締官クリスチャン・ベールが、感情抑制薬を飲むのをやめて全体主義体制と戦う!
っつうわけなんだが、これが・・・

子犬は救うが、敵(きのうまでの同胞)は殺す殺す。。
アンタの感情には、憐れみってのが無いのかっとつっこみたくなる(爆)。

力による支配を倒すには、力しかない。 という物語。
映画全体がものすごいブラックユーモアならば嬉しいんだが、どうやら本気みたいだ。
イラク攻撃とか、こういうノリなんだろうなぁと思わざる得ない。
この映画が2002年製作というのがポイントで、その後のイラクを知った今は
自由という大義の下の問答無用な流血に疑問を感じずにはいられない。

脚本がちゃちで、えっ!秘密基地はそこかいっ?!という安易な場所だったり、
感情抑制のわりに体制側の捜査官が出世欲丸出しだったり、赤面しながら見る。

ま、小難しいことをのけて役者を楽しむと、
クリスチャン・ベール、良いわ〜。感情抑制から少しずつ感情がほどかれていく様が上手い。
やたらに強くて凛々しくて、妙に官能的で、手すりに触れる指先がぁぁぁ。

ショーン・ビーン、出番は少ないけど、いやぁ〜、渋くて素敵だわ。。
(2005.12.31)

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Kamchatka  (2002年 アルゼンチン/スペイン)


マルセロ・ピニェイロ監督作品。英語字幕で鑑賞。
映画の画像はこちら

舞台は1976年、映画では何も語らないが、アルゼンチンの歴史を
知っている者なら、軍事クーデターが起こり、多くの人々が突然姿を
消した時である。
ブエノスアイレス市民の多くが軍部や警察に強制連行され拷問虐殺された。

リカルド・ダリンとセリシア・ロスの夫婦、男の子が2人。映画は長男の目を通して語られる。
彼らは逃亡している。少年はなぜ逃亡しているのか、明確には分かっていない。テレビで
「インベーダー」を見ながら、何かのドラマの登場人物になったみたいに最初は感じている。
両親の苦悩を感じとりながらも、逃亡生活に子供っぽい不満もある。
命の危険をさほど切実に感じてはいないが、でも恐ろしい何かがあるという事は感じている。
この自然さがとても上手い。

普通の家族の日々と、愛に満ちた生活が脅かされる過酷な現実が、とても優しく語られる。
小さなエピソードをここで紹介したいが、紹介しだすと映画全部を語る事になりそうだ。
たくさんの人に見てほしいが、、うるる。

ストーリーはてらいがなく容易に結末の想像もつくが、そういうことより、演じている役者たちの
温かく優しいやりとりに、、泣けてしまう・・

もうね、リカルド・ダリンの愛情あふれた切ないまなざしがいいっ!
セシリア・ロスの毅然として苦しみを隠す様子がいいっ!
両親の愛に包まれたふたりの兄弟たちのあれこれが笑えて泣けて、、

カムチャッカとは、父親と少年が好んでする陣地取りボードゲームのことで、
ここだけは死守するという自分の立ち位置でもある。
(2006.01.02)

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life according to Muriel ( la vida segun muriel ) (1997年 アルゼンチン)

ブエノスアイレスを飛び出しパタゴニアで暮らすために8歳の娘ムリエルと旅する女ラウラ。
途中ふとした事故で車(全財産がはいっている)が崖から落ちて湖に沈んでしまう。

こんな辺鄙な湖のほとりに立つ朽ちかけた家に子供二人と暮らしている女ミルタ。

エキセントリックなラウラは妊娠した自分を捨てた写真家の男など全く期待していない。
一方のミルタはブエノスアイレスに仕事を探しにいったきり帰ってこない夫をずっと待っている。
最初は互いに気に入らないが、次第にうちとけ、この家をホテルにする計画を実行する。

こう書くとハリウッド映画ならたぶん最後はホテルが成功してハッピィエンド!と
思いきや、そうは全然ならない。

有名な写真家になった男が、ラウラとムリエルをたずねてやってくる。
一体どうしてここに住んでるって分かったのか、なんて疑問に思うような映画じゃなくて
とてもリアルなのに、妙に幻想的な世界なんである。

これがハーレクインなら、一箇所に落ち着きたい女と放浪する男の再会では
男が留まるっていうお約束なんだが、残念ながら全然そうはならない。

ミルタをひそかに慕う配達人がいて、ミルタが彼の気持ちに気づくんだが、
これも全く予想と違う展開になる。

夢を持つ事の切なさが痛ましく語られる。
美しい自然と、母親と子供、2つの家族の出会いと別れ。
(2006.01.02)

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Little Miracles ( Pequeños milagros )  (1997年 アルゼンチン)

スビエラ監督ならではの映像詩。奇妙なフェアリー・テール。画像

自分は妖精だと信じている娘がいる。彼女は一人暮らしで、スーパーのレジ係りだ。
人々の望みをかなえてあげられる力を持っている。小さな奇跡を生む事ができる。
でも、一番望みをかなえてあげたい人(それは彼女の離婚した両親なんだが)の望みは
かなえてやることが出来ない。人生に倦み疲れた母親は、何も望もうとはしないし、
8歳の時に妻子を捨てて別の女のもとへ出て行ってしまった父親は、老いを恐れて
永遠の若さを望んでいる。

彼女はボランティアで盲人2人に本を読んでいる。法学部を卒業する若い女性と老いた男。
彼らは自分たちは幸運だと言う。とても幸せだと言う。
彼らは娘の親友であり、娘の話す妖精の話を信じている。

電波天文学を研究している若い男がいる。ペットの犬とコンピュータだけが友人である。
彼はバス停に備え付きのインターネットカメラに写る娘の姿を毎日記録している。


ありゃま、うまく説明できないな。そもそも「詩」を説明しようとするのは無理がある。
人とのつながりを求めている心優しき寂しき人々のロマンス。
(2006.01.06)

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アダプテーション Adaptation ( 2002年 アメリカ)

この映画は自意識過剰でおつむの良さをみせつけてるような鼻持ちならないトコがあるけど
洒落てて、ひねてて、手の内が分かっているのに結構感動も呼ぶ狡い面白さだ。

脚本家が原作から脚本を作り上げるまでの苦悩の物語で、ニコラス・ケイジが
ひとり二役で表カウフマンと裏カウフマン(双子の弟 実際にはカウフマンに
弟なんていないが)を演じる。
脚本をつくっていく苦悩と平行して、出来上がった脚本をもとに作られた映画も
同時に進行するというパラレルワールドだ。

『蘭の盗んだ男』は本として読むとすばらしい物語だが、それを映画にするとなると難行苦行。
表カウフマンのチャーリーは呻吟する。
「ドラッグを絡めたり、銃撃やカー・チェイスや、登場人物が立派な教訓を学んだりする
ハリウッド的な脚色はごめんだ!!」

ところがどーにも脚本が書けない。

一方、裏カウフマンのドナルドはハリウッド的なものの象徴である。
こいつは最初、ぐたぁ〜と寝転がっていて、チャーリーに接触しない。
ところが途中からどんどんとアクティブになり、発言力が増し、やたらと自信ありげになる。
しまいにはチャーリーの行動を牛耳るようになる。

哲学的でさえあった「蘭を盗んだ男」の映画はいつしかドナルド化する。
おはなしは荒唐無稽になり、ドラッグが絡み、銃撃、カーチェイス、さらには
「人を愛するってことは、相手からどう思われようとも関係ないんだ。
愛する、ってことが大事なんだ・・」なんて教訓をしみじみ学んだりする(笑)。

困ったことに、後半の確信犯ハリウッド路線が残念ながら超ツマラナイんだ。でもこれって、
本当に下手な脚本でツマラナイのか、わざとツマラナクしたのか、言い訳ができるとこが狡い。

脚本の大御所マッキー先生が、これまた爆笑。
「映画はラストよければ全てよし。ただし、それを成立させるためのキャラクターを
突然登場させることはタブーである」
「普通の人生なんてものは無い!世界のどこかでいつも人が死んでいるんだ!」
「ナレーションは入れるな!」

というわけで、ラストまで人を食ってる。
なにやらしみじみとロマンスで終わり、意外とじーんとする。。んだが、待てよ。
ニコラス・ケイジのナレーションじゃないか、マッキー先生が怒るぞ(笑)。
ラストがよければOK?

しかし、ばかばかしさに彩られた映画に宝石を見つけることができるから不思議だ。
「蘭を盗んだ男」を語るくだりで、”人はなぜ何かにはまるのか”をメリル・ストリープが
『世界をそぎ落として、そぎ落として、自分が理解できる大きさにしたい』のね、と言う。

はまるって事は、対象が蘭であれ、脚本であれ、自分の掌(たなごころ)の大きさにまでして
世界を見たいと思う情熱なんだな。。

ちゃんとあの蘭のものがたりの伝えたい事をカウフマンは脚色できたんじゃないか、と思った。


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亀も空を飛ぶ Lakposhtha ham parvaz mikonand (2004年 イラン・フランス・イラク)

クルド人であるバフマン・ゴバディ監督の作品。素晴らしいです!
2005年日本公開映画でのMyベスト1になりました。

イラク北部のトルコ国境沿い、クルド人が住む村を舞台に、アメリカ軍のイラク侵攻直前の
人々の暮らしを描く。

リアリズムであると同時に、幻想的で象徴的な世界を創造しているこの映画は
テーマの計り知れない重さを、メロドラマやお説教でゆがめることなくまっすぐに
見ている私達に問い掛ける。

英語題が「Tutles can fly」であるが、「Turtles can fly, can't they ?」と
問われているんじゃないだろうか。

戦争が撒き散らす破壊は、壊れた建物や放置された地雷や絶望の池となって
これでもか、これでもかと描かれるが、映画は安直な涙を要求しない。
子供たちはたくましく生き延びている。極限状態の子供たちの生きる力と希望の象徴のような少年と、
絶望の未来を受け入れている難民少年、このふたりを結ぶ難民少年の妹は未来を拒絶している。
この三角形の重心はどこに向かうのか・・・

けっして泣かなかった難民少年が涙に崩れ落ちる時、希望の象徴の少年も悲痛な
泣き声をあげる。。

だが、この映画の凄いところは、しっかりとユーモアと笑いがあり、主人公の少年が
少年から大人になって失いかける希望を、もっと幼い別の少年が受け取っているところだ。
わたしたちに未来に向かって飛ぶ可能性だってあるんだ、と告げている。

大変美しい映像で、それが一層悲しさを強める。

#地雷の掘り起こしが、現金収入になっている矛盾には胸が痛む。
アメリカ製のほうが値段が高いとか、末端価格は、国連が買い取る値段の100分の1だとか
リサイクルされて、また売られているとか、結局「ロード・オブ・ウォー」につながる、戦争が
産業になっている現実を考えなければどうしようもないかもしれない。。
(2006.01.07)

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Peligrosa Obsesión (2004年 アルゼンチン)

「Burnt Money」(逃走のレクイエム)で助監督をしたRaúl Rodríguez Peila監督作品。
英語・ポルトガル語・スペイン語字幕あり。アルゼンチンのオンラインサイト
tematika.comで購入。
詳しくはミーハー「突撃ネットショッピング」をご覧アレ。

映画画像はこちら

最初はマリアノ・マルチネスが見たくて興味をもった映画だったんだが、見始めると、うわっ!
パブロ・エチャリが格好良いのなんのって。こんなに紳士で家族思いの渋い男を演じるとは。

ドラッグが絡み、派手なカーチェイスに銃撃戦、お色気もあり、とハリウッド路線でありながら
なんとも楽しいのは、とぼけた味わいのマリアノ・マルチネスと熱い男パブロ・エチャリの
組み合わせが絶妙だから。アルゼンチンならではの緩さが、ブラジル産のハードアクションとは
趣を異にする。

だって、市中で派手な戦いになりそうになったとき、主人公が「をいをい、ブラジルじゃ
ないんだから」と言ったりする(笑)。
そういう、とげとげしていない緩さが実にいい。

ラバト運輸の御曹司?ハビエル・ラバト(エチャリ)がドラッグ密輸に巻き込まれるんだが、
正体不明のトニー(マルチネス)が助けてくれる。
だが、トニーが限りなく怪しい奴なんだ(笑)。これはもう、日本人だったらあの人、えーと、
新撰組で山南さんを演じた、そう、堺雅人さんがぴったり。

きれいな顔で、何考えてんだか、善人そうなのに裏がありそうで、しら〜と日本語なんて
しゃべっちゃって、ポケットから次々と泥棒小道具を取り出して、警官にも税関にもSWATにも
アメリカFBIにも親戚がいるから頼んでみようか?と言ったりする(笑)。

ストーリーがとてもお約束なので黒幕も最初からアイツしか居ないという感じなんだが、
全然OKの楽しさ。
ラストがこれまたニクイ。ツボがわかっていらっしゃる。。
(2006.01.10)

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La Ciénaga ( The Swamp ) (2001年 アルゼンチン・フランス・スペイン)



サンダンス・NHK国際映像作家賞受賞。
ルクレシア・マルテル監督作品。
「沼地という名の町」という邦題で、
2004年にNHK−BSで一度放送されたそうだ。
日本語字幕をつけたのなら、なんとか資源活用してほしいよね。
英語字幕DVDで鑑賞。画像はこちらに

楳図かずおの恐怖マンガの息苦しさを10倍にしたような映画である。
スジらしいスジが無いが、ずるずると人々は避けられない悲劇にむかっている
耐えがたいほど息苦しい。見る価値はあるけれど、人生は明るくならない。
面白いと思える人は、きっとごく少数だろう。(わたし? 全然面白くなかった 爆)

これはスペイン語が分かっていないと面白さが半減するそうだ。
つまり、アルゼンチン北東部の田舎が舞台で、そこに住む人々の暮らしや人種が
独特の方言となって現れているそうだ。ブエノスアイレスで暮らす都会人との電話の
やりとりのシーンなども、わたしにはおかしさが伝わらない。

日本で東北の寒村を舞台にしたドラマを作り、それを外人がみて
「日本って国がわかった」と言われてしまうようなもので、アルゼンチンの田舎が舞台だと
いうことを心に留めておかなければいけない。

ローカルの豪族、昔はさぞや裕福な領主だったろうと思われる一家がいるが、今は
見る影も無く没落するにまかせて、だらだらと毎日ワインを飲んで暮らしている。
この無秩序ぶりが気に障るほど不快なのである。
暑い夏の数日の物語だ。
薄汚れたプールの水、デッキで腹をつきだして泥酔している大人、猟銃をもって山を走り回る子供。
メイドを愛する娘、兄を誘惑する妹、その気がないわけではない兄、片目が義眼の息子、
ほとんどのシーンが昼寝でゴロゴロして退廃しきっている。誰も互いを大事に
思っていないのに、妙に親密な、隠微な性の関心が漂う家族という集団。

始まりのシーンが一番インパクトがあり、そのあとはだらだらと息が詰まり、またラストで
残酷に幕を閉じる。希望が断ち切られる。

アルゼンチンの現在と未来を象徴しているのだとしたら、あまりに暗い。
(2006.01.09)



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