2005年その7                  ラテンアメリカ映画リストへ  ラテンアメリカ軍事独裁簡易年表


パンチドランク・ラブ  Punch-drunk Love (2002年アメリカ)

女が苦手で精神的に不安定な、切れやすい主人公だって?

んなぁこたぁ〜ないっっ!!

あんなにひどい女達に囲まれていたら、誰だってブチキレルぞっ!!!
7人の姉たちによる精神的ハラスメントに加え、テレクラサイトの女の脅し。
しめころしたろかっ と思ったのも1回や2回ではない。
女の嫌な面が満載、自己中心で勝手、しつこくて陰湿で騒々しくて・・
この監督が脚本も書いてるから、うん、絶対にこの監督は女が嫌いだよね〜。
憎んでいると言ってもいいくらい大嫌いだと思うね。
ほんま、前半の苦痛ときたら、もうもうもう、ガラスをつめでひっかいているようだった。

だからね、ガラスを割る気持ちなんて、もう、ぴったりよ。
私だってハンマーで窓ガラスを全部割りまくったと思う。
トイレをぶっ壊したと思う。
受話器をぶちきったと思う。
オルガンもって、走ったと思う。
ぷふぅ〜・・という間抜けた音を頼りに、自分の爆発を抑えたと思う。
そうなのだ、わたしは全然アダム・サンドラーの行動に違和感を感じなかったぞ。

奇妙にやさしいラブストーリー。
苦痛に満ちた世界のなかで、ようやくオアシスを見つけた。天使をみつけた。
すっぽんすっぽん、トイレの詰まりを解消する道具で
すっぽんすっぽんと、ようやく詰まりが解消した気分だ(笑)。

いろいろヘンテコな部分はあるが、画面がとても綺麗だった。
色彩のバランスが絶妙で、レトロで柔らかかったり、スタイリッシュでシャープだったり。
でも、もにゃもにゃとでる色見本みたいなのは、わたしにアートのセンスが無いため
全然わからんかった。ごめん、邪魔!って思ってしまったよ。

主人公が買い集めたプリンの話は実話に基づいていて、
ヘルシーチョイス社が、「当社製品を買ってマイルを貯めよう!」キャンペーンをした時、
4個1セットで売っているプリンのふたに、それぞれバーコードがついている事に
気付いた男が、ヘルシーチョイスプリンを12150個(3000ドル 約31万円)
買って、125万マイルためたそうだ。ははは・・

#さて、アダム・サンドラー、「ウエディングシンガー」の時、ちょっと萌えっとしたんだけど(爆)、
問題は、いつもおんなじ感じがするんだよねぇ。最初はこれまでとは違うのかなって
思ったんだけど、後半は、「ウォーターボーイ」とかとも似た感じで、、
もうちょっとだけ渋く決めてほしかったかも・・・
(それにしてもアダムったら、どんどん太くなってゆくのね。。。しくしく)
(2005.05.11)

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苺とチョコレート Fresa y chocolate (1994年キューバ・メキシコ・スペイン)

キューバ、ハバナのアイスクリーム店で、芸術を愛するホモセクシャルな写真家が、
共産主義を信じる文学青年に誘いをかける。

最初はゲイに関する映画なのかな、と思ったが、そうではなかった。
キューバという国への真摯な愛がつまった映画だった。

優れた文学者や音楽家を生んだキューバが、崩れていく不安。
抑圧からの開放を求めたはずなのに、思想、信条にがんじがらめになっている現状。
描き方はステレオタイプでお約束風なんだが、
映像と音楽と役者が、不思議と瑞々しい空気を生む。
やさしい愛の物語でもある。

映画は、革命をいたずらに善とする事もしないし、悪と決め付ける事もしていない。
そもそもカソリックと共産主義が共存している不思議さ。
人間、誰でも間違いはするさ、というように、東欧やアジアとは違う、
ラテンの楽天性があるのかもしれない。
たとえ考え方の異なる人間であっても国を愛する気持ちには変わりが無い、
手をとりあって国を変えてゆけると信じたい、と、素直に訴える。
もしかしたら、上に書いた「ステレオタイプ」な描き方も、わざとやったのかもしれない、と
ふと思った。異なる人間が愛を受け入れる事の美しさをみせるために。


この映画の時代を知る事は映画を理解する上で大事なことだと思う。
ちょうど東欧やソ連が崩壊し、キューバの経済は91−94年が最悪だったという。
自立を目指して歩き始めたところなのだ。 だから、亡命せずに、祖国に踏みとどまり
ながら変えてゆこうとしている心意気を感じたりもする。

ちなみにアメリカの経済封鎖は、今なお続いていて、MSウインドウズも
キューバでは使えない状況らしい。
国連総会で「アメリカによるキューバ経済封鎖を非難する決議」に賛成する票をみてみると、
2003年で賛成179、反対3、反対はイスラエルとマーシャル諸島、アメリカだけだ。

映画に戻ると、音楽がとても素晴らしかった。
初めて聞いたキューバのイグナシオ・セルバンテスのピアノ曲。
CDを探してみようと思った。
(2005.05.16)

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クロコダイルの涙 The Wisdom of Crocodiles (1998年イギリス)

こちらのページが題名の意味やロケ地などとても詳しいです
 
ジュード・ロウの魅力満載ですね。
わたしのように特にファンじゃない人間でも惚れ惚れと見てしまいました。
自由自在のお顔なのね、彼って。(ジム・キャリーと似てるんだと愕然 笑)

太陽の光を浴びても大丈夫、十字架だって平気、鏡にだって映る、
だけれど、自分を愛してくれる女性の血を飲まないと生き続けられない存在。
真の愛を見つければ、どうやら救いがあるらしい。
でも、これまで出会った女性達は、あんなに「愛してる」と言っていたのに
最後の最後は恨み、つらみ、恐怖、怒り、、の血の味になって、
吸った血のなかの感情は腎臓結石のように結晶化して、うぇっと吐き出される。
これがねぇ・・くらっときちゃいました(*u_u えっ?くらっとくるシーンじゃない?(笑)

彼の魅力っていうか、鉱物世界、結晶、爬虫類って、なにかピッタリだと思いません?
そのくせ、優しくていたずらっ子めいていて、、あぅっ、
善と悪の同居に違和感を感じさせない上手さでしたね〜。

さて、愛を求めてさすらう孤独な宿命の彼は、とある女性に真の愛を
感じるんだけど、その女性の血をすすれば、彼女は死んでしまう。
最大の矛盾につきあたり、彼のとった行動は・・

結末にわたしが思ったことは、
う〜ん、、この監督も女が嫌いなのかなぁ〜。。
(2005.05.20)

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バッド・エデュケーション La Mala educacion (2004年 スペイン)

あたしはアルモドバル監督ものに向かない女だ。。と、つくづく思った。
ごめん、ちっとも面白くなかったのだ。とほほ。

画面の構図、映像センスの良さ、瞬間瞬間の息を呑む美しさ、色、光、影、
ストーリーのテンポ、
いずれも素晴らしく上手いのだ。
見ていて、「うまいなぁ〜」と賞賛できるのだ。
だが、やばいほど面白くない。

こいつはイグナシオなのか?イグナシオは生きているのか?イグナシオはどうなったのか?
イグナシオという星の回りを登場人物たちの過去と現在がぐるぐる廻っている。
お得意の劇中劇も上手い。入れ子構造も巧みだ。

だが、うんざりするほど空しい。
どいつもこいつも、愛がなくて、愛を求めているのかすら定かではない。
すべてがみすぼらしく、無様に感じられて嫌になる。
偽りだらけの姿かたちをしたイグナシオだけが本物だったか・・
監督の投影であるエンリケは、永遠に失われた本物を求めて、映画を作り続けているのだろうか。


「神」がこの話に密接に関係していると思うんだが、意味が実はよくわからない。
無宗教というか多神教というか、信仰の感覚がルーズなわたしには
カトリック神父の性的虐待なんて、山ほどこれまでにニュースになってるしなぁ、と
DVや小児ポルノと同じような問題にしか感じないんだよねぇ。。

# ガエルは上手いけれど、この映画における役どころはなんだかなぁ。
利己的な田舎者って感じで、寂しかったなぁ。
(2005.05.22)

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ザ・インタープリター The Interpreter (2005年 UK・アメリカ・フランス)

シドニー・ポラック、ニコール・キッドマン、ショーン・ペンという渋い組合わせ。
NYの国連本部の中の映像はこれが初公開なんだそうだ。

この映画は、軍事政権やテロリズム、うさんくさい政治のかけひきなど、
実にタイムリーなテーマを扱っている。ちょっと振り返れば、つい最近でも
ウズベキスタン、カリモフ政権による反政府運動の徹底弾圧や、アメリカ亡命を
希望しているキューバの反政府テロリスト、ルイス・ポサダ・カリレスに
抗議するデモなど、映画の場面がいくらでも現実と重なる。

アフリカの仮想の国マトボで起きている大量虐殺。
民主化運動の旗手として人民の期待を担っていたはずの大統領が独裁色を強め
いまや民主化を求める人々の弾圧の大元であることは疑いようがない。
国連本部での演説を求める大統領。
『不当な批判であり、国内の反政府運動は過激なテロリスト集団だ、
自分は自由を守ろうとしている』と主張する予定だ。

ここに、マトボ大統領暗殺の企てを耳にしてしまったシルヴィア(キッドマン)と
シークレットサービスのケラー(ショーン・ペン)が絡む。

マトボの方言「クー語」がしゃべれるから呼ばれたシルヴィアが、マトボの
外交大使らの言葉を通訳していると、途中から彼らは英語をしゃべりだす。
ここは恐かったねぇ。
え?じゃ、なんでわたしを呼んだの? 

息詰まるサスペンスに加えて、とても真面目なテーマがあった。
大切な人を失った人は「復讐」するか「許す」か、の選択をしなければならない。
もし復讐を選べば、人は一生、喪に服さなければならない。
もし許すを選べば、人は死者の冥福を祈って、再び生きていける。
それぞれわけありの過去を抱えたシルヴィアとケラーは、いずれを選ぶのか・・


わたしにとって問題はだ、黒人の顔の見分けが苦手で、登場人物たちをすぐに
区別できなかったことだ。
サッカー選手でも役者でも、アフリカ系の人の顔が、似たように見えてしまって、
慣れるまでに時間がかかるのだ。
シークレットサービスの人だったか、マトボの人だったか、反政府運動の人だったか、
あれれ?と思ったりしてしまったのだ。とほほ
(2005.05.26)

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VORONICO CRUZ  La Deuda interna (1988年アルゼンチン・UK)

題名ヴェロニコ・クルスは、主人公の少年の名前だ。

ドキュメンタリータッチでありながら、ときには幻想的な映像。
貧村で暮らす人々と学校教師のふれあいを縦軸にして、アルゼンチンの軍事政権下の
時代を描いている。英語字幕で見た。

字幕には大問題がある。DVDなのでまだマシだが、ものすごく見辛い字幕なのだ。
会話のタイミングとずれていて、しかも、さっと消えてしまう。
瞬間で消えてしまうので、一時停止ボタンを押しても間に合わない。
だから、字幕がでるタイミングを一回目で覚えて、まき戻し、次はスロー再生にして
字幕を見逃さないようにする、というアホみたいな鑑賞をせざるえない。
だが、これでなんとかなる。
というのも、会話がとても少なくて、印象的なセリフがぽつぽつとあるだけだからだ。


物語の舞台はアルゼンチンの北部地方、インディオの村。
とてもとても貧しい村だ。乾燥してやせた石だらけの土地、牧羊がメインか。

1964年ヴェロニコは生まれる。出産で母は死亡し、父は笛を息子に残して出稼ぎに。
1975年、村にひとりの教師がやってくる。
最初だれも子供を学校にやろうとしない。ヴェロニコの祖母が言う。
「学校に行くと、あの子は村から出て行ってしまう」
しかし、文字を知る喜び、世界を知る喜び、、教師は可能性とチャンスを子供たちに与えられると信じている。
しだいに村の子供が教室にやってきて、しばしの幸せな時間が流れる。
利発なヴェロニコは先生がくれた海賊の本が宝物だ。
海って何? どこにあるの? 船って何?

1976年、銃をもった男たちを乗せたジープがやってきて、
コミュニストは容赦しないといい、村長をおいだし、村で唯一のラジオを
禁止し、教師の本棚から「人間の愚かさの歴史」を抜き取っていく。

ヴェロニコは祖母を亡くし、先生の家で暮らすことになる。
学校の休みを利用して、ヴェロニコは先生と一緒に出稼ぎにいった父を探しに
街に出る。初めての大都会。

大都会でみた物を興奮して話すヴェロニコ。
「あそこにはアルゼンチンにあるものが全部あるんだ。」
「ここもアルゼンチンだよ」
「なんでここにはあそこにあるものが何も無いの?」

知識は世界を広げてくれるが、世界のむごい不平等を知らされることにもなる。

78年、教師に転勤の通達がおり、新しい赴任地へ去ってゆく。
彼は、ヴェロニコに手紙を何度も出すが、返事がこない。。そして。。

最後は、胸をしめつけられる思いだった。
ぽろぽろと涙が流れてしまった。
人生ってひどく残酷で不条理だ。愚かな人々によって歴史は作られてゆくのか。。
娘の胸元で揺れる赤いリボンと貝殻・・

多くの人に見てもらいたい映画なんだが・・(ぐすん)
(2005.05.26)

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Smokers Only  Vagón fumador(2001年アルゼンチン)



フランス語圏では「TAXIBOY」という題名で公開された。
英語字幕で鑑賞。

ブエノスアイレスの夜の世界、ローラーブレードに乗って街中を
走るアンドレスはぱっとみは普通の今時の、20才の男の子だ。
でも、彼はその場ですぐヤル男娼、手軽というか即物的というか、24時間開いている
銀行のATMがお決まりの場所って感じであそこのATMでヤル、こっちのATMで
ヤル、ピザを買うお金が財布に無いと、ヤル、、

レニはなんだか売れていないパンクバンドのヴォーカル。ある夜、お金を下ろしに
行こうとして、ATMでファックしているアンドレスを見て、何か惹かれてしまう。

「ボクも君が好きだよ、1回100ドルさ。」と、屈託無いアンドレスに、
「わたしは愛にお金を払わないの」とこたえるレニ。

自分とはとても違うくせに、似ているものも感じて、互いに惹かれあい、
しばしの間あいまいな友人のような恋人関係が生まれるが、、でもやはり
互いに傷つかずにはいられない。

自分との行為のあとでもヤリに行くアンドレスに、レニは怒りを感じる。
だが、アンドレスは恐ろしいほどあっけらかんとしている。
sexは楽しいし、コンドームを使っているから安全だし、お金は好きだし、
何が悪いのさ?

あなたはわたしを傷つける。でも、それも嫌じゃないわ。
きみはボクを傷つける。それが嫌だ。

あなたのことが好き。あなたのことは忘れたくない。
きみのことは好きだ。でも、きみがいないと寂しいと思いたくない。

アンドレスの心に、何かが残ったんだろうか。。
こいつが傷ついて苦しむところを見てやりたいっ、と、私は凶暴な気持ちになってしまった。
レニは、大切にする価値がないものを大切にしたんじゃないだろうか。
欲望と愛とお金、いまの時代を切り取ろうとした製作者の気持ちはわかるが、
寒々とした満たされない気分で終る微妙な映画だった。

#アンドレスを演じているLeonardo Brzezicki は、イケメン君でなかなか良い。
この作品のあと、1本映画に出ているようだが、それもゲイの役みたいで、
そ、そうなのかな?
(2005.06.04)

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Latitude Zero  Latitude Zero(2000年ブラジル)

香港製のDVDを英語字幕で見ました。
なんていいましょうか、とてもアンバランスな映画です。
知的につくられているのに、とことん動物的。冷静なカメラ視線なのに獣同然の絶叫。
「ぎゃあああああああ」「ぎゃああああああ」痛みも苦しみも悲しみも畜生のごとく叫ぶ。
いやはや声帯がつぶれるかのように叫ぶ。

まったくパッケージから想像つかない内容。思ってもいなかった内容でした。

時代は現代、舞台はブラジルのどこか遠い遠い廃坑になった金の採掘所。
大型トラックが通る幹線道路が一本あるだけ、あとはなんにも無いところ、
時折トラックが赤茶色の土煙をあげて走ってゆくが、一度として停まる事は無い。
そんなところにかつては酒場だった店がある。金が出た頃は華やかだった店がある。
今はぼろぼろ。そこに住んでいる妊婦がひとり。
ワケあり男がやってくる。「ここは場所も悪くないんだし綺麗にすればトラックは停まる。
食べて飲んで金を落としてくれるさ。。」と、ゴミためのような店内を掃除しだす。

車は停まらない。貧しくて。未来が無い。希望が無い。そして少しずつ狂っていく。

ちょっと脚本を変えれば、道路脇に一軒だけ残っている、全く流行らない店のママ、
客に孕まされて逃げられてしまって、男なんて二度と信じないと思っているのに、
ふらっとやってきた男に甘い夢を見せられ。。ところが夢は煤けてきて、男は次第に
酒を飲みだし横暴になり、、赤ん坊は泣くわ、買い込んだ材料は腐りだすわ、
いらいらはつのり地獄絵と化してゆき・・・ っと、日本でもありそうなドラマでしょ?

だが、そこはブラジル、日本ではありえない不思議な空気となる。
上に書いたようにドラマはとてもしっかりとしているが、からからに乾いた土、
照りつける太陽、狂ったような絶叫、人間と獣の間を行ったりきたりしながら
もがいている。

そう、心理描写やふたりの関係の変貌、救いようのない貧しさ、など、現代ドラマで
あるのだが、わたしには、これが一種の神話、「アダムとイブ」のような物語に見え、
神から見放された大地に生きる男と女と赤ん坊の奇妙な物語に見えたのだった。

#残念ながらヒーロー、ヒロインともに、すこしもかっこよくない。
可愛くもないし、ハンサムでもない。ふたりしか登場しない映画なのだ。
(2005.06.14)

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ブレイブ The Brave (1997年 アメリカ)

ジョニー・デップの初監督作品、原作グレゴリー・マクドナルド(ごめん、知らなかった、
新潮文庫から1998年に翻訳されたのね)、デップは脚本にも関わった。

ネイティブアメリカンを含め、社会の底辺にすむ少数民族と貧困を描いた作品。
差別と貧困は胸が痛むが、実際はアジアや南米のいたるところでゴミの山をあさる
人々のニュースを見るし、人身売買、殺人フィルム、臓器売買など消費社会の裾野に
荒涼とひろがっている風景だ。
それをどうすることも出来ない無力な自分は、美味しい物を食べてこぎれいな家に
住みながら、感想をどうこう書く事に赤面する。

不謹慎を承知で書くと、実は命を5万ドルで買う男たちの方がまだマシなのではないか、
と思ったりする。少なくとも命の代償に金が手に入る。
社会のなかでゴミのように死んでいく者たちはそのお金すら貰えない。
開発のためにバラック小屋を取り壊し、住民たちを追い立てる行政や企業は
その場では弱者を殺さないかもしれないが、だからといって人道的なわけじゃない。
命に値段なんて無い!!と怒るなら、なぜそんなに大切な命に手を差し伸べないのだ。
映画は真正面から欺瞞に満ちた社会を告発するが、だれもこたえられない・・


さて、映画でデップ演じるラファエロがいまひとつ理解できなかった。
何か中途半端な気がしてしまい、最後の手段に至るまでの道筋があまり見えなかった。

そこで原作についてのページをネットで見つけて読んでみると、ずいぶん感じ方が変わった。
なるほど・・あと数日で家族と別れるとなって初めて彼は感じたり
考えたりするようになったのか。
人間はここまで貧困の極みに至ると、かえって、何も感じないようにして毎日を過ごす。
最低なクソのような生活だということを何も考えないようにして、ただ毎日生きる。
彼はそうやってずっと生きてきたのか。。
そして、「終わり」を前にして初めて、自分の「生」を、愛する者たちの「生」を
考える。そこがとても哀しい。
(2005.06.19)




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