2005年その9                  ラテンアメリカ映画リストへ  ラテンアメリカ軍事独裁簡易年表


ザ・ミュージックマン The Music Man (2003年アメリカ)

ブロードウェイでその昔ヒットしたミュージカルで、オリジナルキャストの映画化は
1962年に作られている。2000年にはブロードウェイでリバイバル興行。
わたしは全然知らないのだが、アリーMyラブでよく使われているネタなの?

これはテレビ映画としてディズニーが製作したもの。
マシュー・ブロデリックにクリスティン・チェノウェスが主役を演じている。


子供マーチングバンドを指導すると言っては、楽器代と制服代をくすねて
ドロンする詐欺師、自称音楽教授のハロルド・ヒル。
彼が去った後の街に行ったセールスマンは、何か売ろうとするやいなや住民から
袋叩きにされるほど、、それほど彼は凄腕で、根こそぎがっぽりとお金をだまし
取ってゆく。
そんな彼が列車から降り立ったのはアイオワ州リバー・シティ、知り合ったのは
美しい図書館司書兼ピアノ教師マリアン。

お話はたわいないが、列車の中のセールスマン達の歌や、男性カルテットや、
ロマンティックな「Till There Was You」など名曲ぞろい!!
ほんま、曲がいいし、ほろっとさせて最後は陽気なクラシカルなミュージカル。

童顔オヤジなマシューだが、声がキュートだ。
クリスティン・チェノウェスは雪村いずみ顔なんだが、骨格が似ていると声が似る、
というのは本当だわ。民族が違っても声が似てる。
ふたりのハーモニーはなかなか良かった。
(2005.07.09)


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王女ファナ Juana la Loca(2001年スペイン、イタリア、ポルトガル)

ヴィンセント・アランダ監督。スバラグリアの「 カルメン」もこの監督。
すんません。わたし、この監督の映画に全然向かないみたいです。

ファナ・ラ・ロカ 狂女ファナとして知られるスペイン女王(1479−1555)の物語。
何が彼女を狂わせたか、それは激しく夫を愛しすぎたゆえ、、ちゅうことでんな。

美術、衣装は豪華でっせ。アート志向の方はきっと満足いただけます。
泣いて叫んでつかんで呪って、骨まで愛して、、って方も満足いただけます。

スペイン人って、どうも良く分からん。すべてのスペイン映画とは言わないが、
かなり多くのスペイン映画が、わたしには「大仰でおおげさで奇怪」に感じる。
ガウディの建築みたいなもんで、凄い!と思うけれど自分には到底理解できない
パッションなのだ。

ファナとその夫フィリップ美男公 (フェリペ1世)については、こちらのページが
とても詳しいので、参考になる。(ページの中ほど)
(2005.07.09)

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Ray/レイ (2004年アメリカ)

正直いうと「がっかり」。
この映画は、ジェイミー・フォックス渾身の演技! に尽きるのではないだろうか。

レイ・チャールズというアメリカを代表するミュージシャン、ゴスペル、R&B、
カントリーにまたがる音楽を生んだ天才の生涯をしのんで見る人には
感涙ものなのかもしれない、、が、

すんません、わたしは「あ、この曲、聞いたことあるわ」程度の人間なんです。
そういう人間から見ると、この映画の脚本はイマイチだと思うし、編集も悪い気がする。

盲目という運命、不安、怒り、弟を失った罪悪感、トラウマ、、女にドラッグ、
新しい音楽を作らなければならないプレッシャー、いろいろあるが、なんていうか、
ダラダラと続く。記録映画的というか、『レイ・チャールズ』に頼り切っている。

妻子を愛していると言うが、長いツアに女はつきもの。ツア用の妻が何人もいる。
愛憎劇もあるにはあるが、あの女はどうなったのかなぁ、、で終る。
友人も効率重視。裏切られたり別れたりしても、あの人はどうなったのかなぁ、、で終る。
「いつか報いがあるぞ!」と捨てられた友人が叫んでも、特に報いなんてありゃしません。

多くのエピソードが、「その場限り」なんである。

ヘロイン中毒とトラウマからの解放がひとつの山場になると思うのだが、
多くのエピソードをその場限りに描くので、いまひとつインパクトが弱い。
黒人差別問題にしてもそうだ。

英雄や巨匠の生涯を描くには、もう少し距離が必要ではないだろうか。
名曲の生まれた裏側の羅列になってしまった感がある。


巨匠の裏も表も過不足なく描きたかったってことらしいんだが、物をつくる人なら
誰だって、そう考えるんじゃないかな。別にことさら素晴らしい考えじゃない。
当たり前の事だと思うが・・
(2005.07.09)

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ユー・キャン・カウント・オン・ミー You Can Count on Me (2000年アメリカ)

私を頼っていいのよ。僕を頼っていいよ。まかせて。まかせとけ。って意味だが、
姉と弟、両方の心の声だろう。わたし的には 弟の方に強く傾いている。

結構よくある設定で、両親が早くに事故で死亡、姉ひとり弟ひとり、特別な愛情で
つながっている二人。いろいろ考えて、ひたすら空回りする中で、ちょっとだけ
何かを確かめたのかな・・ 微妙な気持ちのやりとりが切なくて優しい。

一見しっかり者の姉サミー(仕事もお堅い銀行貸付担当)。8才のルディがいるシングルマザー。
全く縁を切っている(そもそも入籍したのかどうかも不明)父親は、ハイスクールでは
女にもてただろうが、実はたいした事なかった男って奴だ

息子は父親について知りたくなる年頃。彼女はつきあってるBFがいるが、最近
気持ちが離れている。融通の利かない上司が赴任してきたが、腹立たしいくせに
なんかうずく(ここらへんが微妙に良くわかる 笑)。

そんなところに、定職のない弟テリー(前科あり)がお金を無心にくる。。

子供の頃から少しも変わらない小さな町。信心深げに教会にかよう人々。
テリーの帰郷で、ちいさな色々が起こり、またテリーは去ってゆく。

人は錨を下ろせる港を持っているから、安心できる場所があるから生きていけるのかな。
テリーにとってはサミーやルディがそうだし、サミーにとってはテリーがそうなんだろうな。

ルディ役の少年はマコーレ・カルキン君の弟なのね、似てるわ・・
こずるい小心者上司のマシュー・ブロデリックは、なんか実によくわかる。すげーおかしい。
姉役ローラ・リニーは、まさにハマリ役。
弟役マーク・ラファロは、子供じみたところと、繊細で真実の目をもっているところが
なかなかじんとくる。

#ハイスクールでだけもてたような男、ちらっとしか出ないが瞳の色が冷たい青さで凄い。
一体誰だろう?と調べるとジョシュ・ルーカスという人だった。
「ウォルター少年と、夏の休日」でマイケル・ケインの姪の息子であるハーレイ・ジョエル君が
大人になった時の役をやって、最後のほうでちょろっと出てきた人だった。
2004年の「Around the Bend」でマイケル・ケインの孫(かつクリストファー・ウォーケンの
息子)を演っている。う〜ん、なんかね、そういう瞳の色なんだね。
(2005.07.12)

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Inside I'm dancing (2004年UK、アイルランド、フランス)


耳の不自由な人用についている英語字幕で鑑賞。
(字幕なしで見れるほどのヒアリング能力はまるで無いので・・とほ)

これは、ふたりの車椅子の若者、どちらも重い身障者なんだが、彼らが
ふたりで施設を出て、なんとか自立しようともがく姿を描いている作品だ。
設定が設定だけに、ところどころにクサいセリフやシーンがあるけれど、
決してお涙頂戴ではないし、退屈な道徳の時間というわけでもない。
切なくて、苦しくて、ほろ苦くて、優しくて、笑える、若者の話になっている。

ジェイムス・マカヴォイが演じるのは筋ジストロフィーをわずらい、現在は首から上と
指先しか動かす事ができない青年ローリー。
ツンツンヘアに鼻ピアス、反抗的な態度と言動に、特別介護施設の職員も入居者も鼻白む。

スティーブン・ロバートソン演じるマイケルは、脳性小児麻痺で、幼い頃母親が亡くなって以来
ずっと施設で暮らしている。(高名な法律家の父親がいるのだが)

マイケルは思うようにしゃべることが出来ず、周囲の人間も彼が何を言っているのかあまり理解できない。
ところが、入居そうそう、ローリーはマイケルの言っていることを理解する。
指先しか動かせないローリーは、不自由とはいえ手を使う事ができるマイケルにヘアディップを
つけてもらう。こうしてふたりはともに行動するようになる。

自分の体を動かす事ができない人たちについて、
分かっているようで分かっていなかった、たくさんの心よじれる瞬間があるが、
そこで泣いて立ち止まることをせずに、辛らつなジョークで乗り切る気概が彼らにはある。

外の世界にいったん出てみれば、繭のような施設の生活とは違い、喜びと同量の失望も
味わうはめになる。そのあたりもとてもリアルで切ない。
この映画の良いところは、何もかも願ったようにはいかないけれど、それでも
トライしつづける強い思いと、笑いがあるところで、湿っぽくないところだ。
ローリーは決してスーパーヒーローじゃなく、迷惑で嫌な奴なんだが、
ふと見せる切なさと、深い思いやりと、不敵な面構えが良いんだ。

ほんま、ジェイムス・マカヴォイが光った映画だと思う。

本題とは離れるが、
この映画はUKでは、健常者の俳優が身障者を演じたことが議論となった。
身障者の権利を謳うのなら、身障者俳優に演じさせるべきだというのだ。
そのむかし、黒人俳優などがいなかった頃、白人俳優が顔を黒く塗って、黒人の役をやったそうだ。
それと同じようなことをわたしたちは批判もなく受け入れているのかもしれない。
確かに聾唖者の役を健常者がやったりすることは日常ドラマでもよくある。
実は無意識のうちに、身障者をしめだし、彼らの活躍の場を狭めているのだろうか。
これまで深く考えなかった点だった。
(2005.07.13)

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ある日、突然 Tan de Repente (2002年アルゼンチン)

日本語字幕がついたアルゼンチン映画を、はじめて映画館で見た!(笑)

白黒の荒い画面。
いかにも田舎くさい太った娘と、レズビアンのカップル、この3人を中心とした不思議な物語。

わたしはてっきり監督は女性かと思った。
それは、孤独な女というものが分かってると感心したからだ。

ヨガにかよっても汗を流したあとにすぐに油っこいものを食べてしまう女。
ふられた男に無言電話をかけてしまう女。不幸が毛穴に詰まっているような女。

そんな女が「あんたとヤリたい。舐めさせて」と、かなり美形の娘に突然呼び止められる。

わたしはレズなんかじゃない、と言いながらも、求められる喜びを否定できない。

不思議なファンタジーだ。でたらめなロードムーヴィーだ。
だが、人とのつながりを求める孤独な心がしみじみと伝わってくる。
アルゼンチン映画にたいてい出てくる「愛、死、孤独」
人生をサバイブすることを、この映画も語っているようだ。
最初はとらえどころが無かったレズビアンのふたりも、それぞれが個性を出してくる。
遠い親戚の老女が、実に魅力的だ。

顔さえラテンじゃなければ、日本の風景といっても通じるような、生活の空気があった。
(2005.07.20)

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タッチ・オブ・ピンク Touch of Pink (2004年 カナダ・UK)


カナダで生まれ、ロンドンで写真家として働き、愛する恋人ジャイルズと
同棲一年になるアリムのもとに、トロントから母親ヌルが結婚をせかしに
やってくる。一族はムスリム系のインド人である(パキスタン人?)。

ヌルの甥が盛大な結婚式を予定していることもあり、ヌルは一向に結婚しようと
しない自分の息子に苛立ちを隠せない。
いやはや、トーチソング・トリロジーのアン・バンクロフトといい勝負のヌルなんである(笑)。
これでもかぁ〜っと「母親の気遣い」を押し付ける。

くすくす笑えて、時にほろ苦く、ラストが温かいおすすめコメディだ。

アリムとヌルの親子関係を掘り下げた部分も良いし、顔も肌もバックボーンも非西洋人で
ある我々が、西洋人文化にあこがれてもムダ、越えることができない壁があるのじゃないか、と
思うヌルと、少しずつだけど変わってきてると思える希望をアリムたちが示すところが
好きなところだ。

カイル・マクラクランが、とても変(というか、彼らしい?)。
ケリー・グラントの幽霊という役で、アリムを支えているのだが、アリムの意識の変化に
伴い、だんだんズレてくるところが苦笑、、というより完全に滑っている(笑)。

ラブストーリーは、甘くなくっちゃ。。という部分は恋人ジャイルズがしっかり
担っている。
いや〜ん、あの優しい慈しむようなまなざしがぁぁ。。義理の息子にほしいぃぃ。。
ちょっとイケてる男性と出会っても、みんなお兄ちゃんのほうに熱い視線をおくる、という
あんなお兄ちゃんを持った妹が可哀相でならない(爆)。

原題は、ケリー・グラントとドリス・デイの「ミンクの手触リTouch of Mink」をもじった
ものだが、「ボーイ・ミーツ・ラブ」という邦題でDVDが販売されている。
(2005.07.23)

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ロバート・イーズ Southern Comfort (2001年アメリカ)

女から男へ性転換したロバートの、最後の一年を追ったドキュメンタリーである。

彼はアメリカで最も偏見と差別の強い南部、ジョージアで暮らしている。
幼い頃から自分の性に違和感を感じていた元彼女は、結婚、出産を経て、ふたりの息子が
大きくなったのちに性転換を決意する。
高い声以外は女性を思い出させるものは無い。
むしろ、普通の男性よりも男くさいというか、これはトランスジェンダーの人にとっては
普通より意識してマッチョになりたいということなのかもしれないが、
外見は、クリント・イーストウッドに似たマカロニウエスタンに登場するような男である。

彼は体の不調から病院をおとずれ、末期の子宮ガンであることを知らされる。
閉経していたので性転換のさい、子宮を取らなかったのだった。
ガンは子宮、子宮頚部に広がっていたが、入院患者が困惑するからと言って、医者は手術を拒否する。
20人以上の医者から、つぎつぎと手術を断られ、彼は薬で痛みを抑えながら死を待つ生活を
せざるえない。

彼のもとに集まる友人たちの多くは、トランスジェンダーである。
乱暴な手術痕、乳がんで手術する女性には、傷跡が残らないようにと心を配るのに、
トランスジェンダーの者が乳房を切除したいというと、ただ切り取るだけ。
整形手術の技術は驚くほど向上しているはずなのに、彼らに対して行われる手術のお粗末なこと。
まだ出血しているのに、むりやり退院させられたと語る面々。。

男っぽいロバートに対して、KKKに入団しないか、と誘った輩がいたという。
なんて皮肉なんだ、もし自分が女だと知ったら、どうするだろうと笑うロバート。

性器が一体どれほど人間の価値を決めるというのだろう。

映画は淡々と生活をつづり、激昂したり泣き叫んだりはしない。
希望をもちつづけて、人間らしい生き方を求めて、ロバートは強烈な意思で生き続ける。
恋人ローラとの間にかよいあう愛情は崇高でもあった。

性的な部分の問題というよりも、マイノリティな人々をとりまく社会暴力に
目を向けさせ、問い掛ける。無知、偏見、鈍感、黙殺、差別、、
上映後、もうもう苦しくてたまらず、おもりを飲み込んだような気分だったが、
これは絶対に見る価値があるドキュメンタリーだ。

原題のSouthen Comfort は、トランスジェンダーたちの年次大会である。
一年、一年、この大会で仲間たちと励ましあうことを支えに生きている彼らだった。
(2005.07.25)

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誓いますか、誓います Tying the Knot (2004年アメリカ)

これは、大、大、大、オススメドキュメンタリー映画だ。

同性婚の法的な意味についてのフィルムである。

同性婚の合法化をなぜ求めているのか、これを真面目に、わかりやすく、切り口鮮やかに
語っている。政治家、学者、大衆、お隣さん、色々な人間の声がある。
結婚制度の歴史も紹介され、社会や政治によって変遷してきたことがわかり、とても面白い。
別に同性婚について、なにも考えていない人でも、
結婚制度というものを社会がどう作り上げ、どう捉えているか、見て損はない。

そう、ラブライフはご勝手に、好き合って同棲するのでいいじゃん、では無いのだ。
法のもとで保障されることと、単なる同棲との間には、ものすごーーく大きな差があるのだと、
目を開かされる。胸をしめつける実例が紹介される。

これは年齢のいったわたしのような観客に、ずしんとくる内容で、
若い人にはピンとこないかもしれない。
保険や年金、財産贈与、男女ならば事実婚とか内縁の妻とかでもなんらかの権利が
あるのに、30年一緒に暮らしてきても同性カップルには何も権利が無い。
セックスが主題の少女漫画に出てくるようなゲイ・レズビアンイメージと違い、
安心してパートナーと暮らしたいと望む中年・高齢者カップルが
法律の保障を求めているところに、胸をうたれる。


同性婚に反対する最大の根拠が、聖書、神であるなんて、とんでもなくオカシイと思うが、
宗教国家アメリカならば、それもありか? だが本音は「生殖」だけれど口に出すと
さしさわりがありすぎて言えないのだろう。

結婚防衛法というものが存在することを、わたしは初めて知って驚いてしまった。
(2005.07.25)


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