2005年その6                  ラテンアメリカ映画リストへ


ドッグ・ソルジャー Dog Soldiers (2002年 UK)

監督・脚本ニール・マーシャル。

以前、人狼関係で、この映画のポスターをHPで紹介したが、
そのときは、ポスターが恐すぎて、ゲロゲロなホラーだと思い、見ようとはしなかった。
だが、そんな予想を良い意味で裏切る出来栄え。ハナマル!
こんなに面白いとは思わなかった。

スコットランド、ポートウィリアムスから80kmだか離れた山奥で
人狼に襲われるイギリス小隊。かれらは特殊部隊との合同演習のさなかだったが・・

小隊の面々のキャラがよく描き分けられていて、会話がとても粋。
ユーモアが実に効いている。
焚き火のそばで一番恐いものを各自が語る場面は、もう、ウェルズ軍曹の
うまい事うまい事、ここでわたしはすっかりヤラレテしまった。
これは字幕じゃなくて、「吹き替え」で見る事をオススメする。

手持ちの武器も残りの弾薬も無くなってゆく現実的な恐怖。
はらわた飛び出るスプラッターなシーンも満載なんだが、
なぜか可笑しみのツボもあり、「をいをい、棒を投げるんかいっ」
「をいをい、腸をひっぱるなっちゅうの!」と大受け。

一方でウェルズ軍曹とクーパーがすごく良くて、泣けるし・・
イングランド対ドイツのサッカーの試合ってのも物語にいい味をつけていて、
実にイングランドならでは、ほんま、上手いって思ったわ。

ほかにも、通常の狼男の描き方ではなく、
前にレベッカ・フランダースの所で書いたように、社会的な狼の習性をきちんと
説明しているところに好感を持った。
アルファオスとアルファメスに、若いナンバー2のオスがいる、なんて
やたら細かくてツボだった。

不満は紅一点のキャラ、動物学者のメーガン。
彼女の位置づけがイマイチ不明瞭で、要らなかったかなぁ。。
あと、おそらく濃いホラーファンの人には物足りないかもしれない。
わたしのように、普段は決してホラー映画を見ないような人間に向いている?
(2005.04.30)

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ゴーリキー・パーク Gorky Park (1983年 アメリカ)

モスクワが舞台、、なんだが、ヘルシンキでセットを作って撮影したそうだ。
冷戦下のソ連、ゴーリキー・パークで3体の死体が発見される。
遺体は顔の皮がはがされている・・・
KGBの圧力がある中、権力に屈せず、筋をとおす人民警察捜査官レンコの
捜査が続けられる。

ミステリーなのでその辺のネタばれはしないでおくが、
レンコ役のウィリアム・ハートが、切れる男だが、権力筋からは疎まれる孤独な男を
見事に演じていた。物静かだが、切れるとすこしヴァイオレントで、
ぞくっとする美しさがあった。今から約20年前なんだと、しみじみ・・・

ここでわたしにとって残念な問題だったのは、黒テンの毛皮の価値が
あまりピンとこなかったことだ。
毛皮の中でも最高級という黒テンの毛皮は、ネットで調べたところ
着丈100cmのコートが1500万円なんちゅうもんまであるから
そうか、大粒ダイヤという目でみるべきだったなぁと、終ってから思った。

NY市警の刑事さんもなかなかにイイ男。
ごつい体のわりに目が可愛らしかった。

地道な捜査の過程に妙にブラックなシーンが多くて、ちょっとツボ(?)だった。
皮膚のはがれた顔にわいたウジを嬉しそうに取り除いたり、
頭部の復元のためにゴリゴリとのこぎりで首を切りながらしゃべったり、と
医者や研究者たちの変人ぶりがなんとも・・
(2005.04.30)

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トスカーナの休日 Under the Tuscan Sun (2003年アメリカ・イタリア)

元の題名どおり、太陽の光に満ちた映画である。
わたしはとっても癒された。

名画とか名作というのでもないし、インスパイアされるというほどでもないが、
何回も見たくなるような優しい励ましがあり、疲れた中年女性にとってはこれが
なによりもありがたい。

ダイアン・レインはまぶしい存在でありながら、なぜか身近に感じられる。
知的な美人で社会的には成功しているし、スタイルだって良い、んだけれど、
心を許せる同性の親友がいるのも信じられる。
時には自分を笑い飛ばしてタフになり、ときには寂しくて愛されたくてたまらなくなり、
泣いたり怒ったり笑ったり、それらがすべて自然に感じられ、かつ、素敵にみえる。

映画も、なんていうか品があって節度があり、下卑た感じになっていないのが嬉しい。
不動産屋さんが素敵だったわ・・

それにしても子供を生むことを、イタリア語では生まれた子供に光を与える、と
言うのっていいですねぇ。
ヴェニスとウィーンを結ぶ鉄道は、列車が走るずっと前から線路が敷かれていた、と
言うのもじんと来ましたねぇ。
再生、再出発、次のチャンスを信じる事、そういうメッセージを真面目に投げてくれましたね。
(2005.05.04)

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真珠の耳飾りの少女 Girl with a Pearl Earring (2003年 UK)

真珠の耳飾りの少女
フェルメール関係のHPは検索するとたくさんありますが、こちらのページの
フェルメールを訪ねてが大変見やすいですね。

まるでフェルメールの絵の再現のような構図、室内装飾、小道具、光
この映画はただ画面を見ているだけでも楽しい。
大奥様の「シャンプーハット」のような襟をみて、あらほんまにレンブラントが
描いたような服を着てるんだわ、、と嬉しくなったり、床のタイル模様をみて
あぁ、あの絵と同じだわと思ったり、動く美術館に来ている気分になる。

フェルメールの描いた一枚の絵を題材にしたトレイシー・シュヴァリエの小説がモチーフだ。
小説を読んでいないので、小説のほうの感想をネットで調べてみると
ラストがとても素晴らしいらしく、映画はそこをはしょっているそうだ。
わーん、どんなんだろ、少し気になる。

さて、映画だが、これはこれで私は大変満足した。
日々の生活、仕事のなかにじっとりと漂う官能性。窓わくを拭くだけでどきどきする。
抑えた欲望の奏でるエロス。そして芸術家をとりまく人々の愛憎・・
ヒロインの存在と優れた美的感覚がフェルメールを刺激してゆき、絵へと昇華して
ゆくが、耳にピアスの穴をあける行為のなんとまぁ清らかと同時に淫らなこと!

スカーレット・ヨハンセンがあまりにはまっていると感心したが、トリビアによると
当初ヒロイン、ヒーローともキャスティングは別人だった。
(ケイト・ハドソンとラルフ・ファインズ)
ここでケイトが降りて、監督も代わり、つぎにカースティン・ダンスト
(あの、スパイダーマンのヒロインMJだ)になり、それさえもだめになり、
ラルフの別の仕事がスケジュールに入っていて、仕方なく彼も降りて、、
その結果がこれだ。
なにがどうなるか、わからないものだ。

#コリン・ファースだから抑え気味でよかったと思うんだが、ラルフ・ファインズだったら
もう少しいやらしい目で、と、えへへ、ちょっと見てみたかったかも(爆)。


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ラブ・ウォーク・イン Ni el tiro del final(1997年 アルゼンチン・アメリカ)

USA題名は「Love Walked In」となっているが、別題「The Bitter End」のほうがピンとくる。
直訳「Neither the shot of the end」のとおり、ほろ苦く切ない結末なのだ。

この話は、José Pablo Feinmannの小説が元になっているそうだが、
舞台をアルゼンチンからアメリカに移したことで、何かが失われたのではないか、と
思う(たぶん)。
日本語字幕版VHSの表紙には「スキャンダラスな空想は、死を招く」と書いてあるけど、
意味不明(笑)。だいいち、これはラブサスペンスじゃないゾ。
もっと人間くさいドラマで、アイロニーに満ちていて優しく愚かでもの悲しい物語だ。

不満は、劇中劇が自己満足のような出来で、どうも不必要に思えたことだが、
メインプロットのほろ苦さには大満足した、、といっても、私はカンパネラファンなので
評価が甘くなっているのかもしれない。。

メインキャラはピアニストのジャックとクラブ歌手ヴィッキー、そして
ヴィッキーに恋をする、富豪の妻を持つフレッドだが、
毒舌家のピアニスト、ジャックのモノローグがいい。
彼はその昔、金持ち女がわざと水洗トイレの中に落としたダイヤの指輪を拾わなかった。
だが、それから10年たち、うだつの上がらない日々を過ごす彼は
「今の俺なら指輪を拾うさ」とうそぶく。。

そして、昔の知り合いが持ちかけた話に乗り、愚かにも、トイレの中の指輪を
拾う事くらい大したことではない、と思ってしまうのだが、
とても大事なものを失ってしまうのだ。
これが、ほんま、あぁ、わかるなぁ、ばかだなぁ、なんで見えなかったんだよぉ、
指輪より大事なものがあったのに、かばかば・・・

フレッド役の老いたテレンス・スタンプがとても美しいが、残念ながらキャラクターと
してはイマイチ弱いか。これは脚本が悪い?
ジャック役のデニス・レアリーは悪人面のようでハンサムなようで、
なんちゅうか、やくざな感じでぴったりだった。
クラブ歌手ヴィッキーを演じるアイタナ・サンチェス・ギヨンは、をっと驚いた。
「La Puta y la ballena」で主役ベラをやった女優さんではないか。
このひとは、いつも悲しみを瞳に浮かべながら毅然として潔いのだ。

#我が家の近くのレンタルショップには置いてなかったが、某オクで980円で
出品されているくらいなので、たぶん見ようと思えば誰でも見れるんだろう。
アルゼンチン映画が嫌いじゃない人は、ぜひ、このほろ苦さを味わってちょーだい。
(2005.05.07)

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The Cloud  La Nube (1998年フランス・アルゼンチン)

(ザ・クラウド/雨降るブエノスアイレス)という邦題があり、過去に一度シネフィルで放送されたらしい。
闘う映画監督フェルナンド・ソラナス。
ほんま、故国アルゼンチンを憂いて問い続ける姿勢には頭が下がる。

観念的で様式美あふれる彼の映画は、「面白いか?」と訊かれると言葉に詰まる。
他ではお目にかかれない映画だとは言える。
彼の作品はいつも「洪水」や「雨」「膨大な紙」「過去の人々の肖像画」といった
イメージが記号として存在していて、
画面に縦と横のうつくしい構図があり、流れるような動線があり、
役者たちは必ずといってよいほど「劇中劇」を演じる。

わたしはふと思うんだが、「劇中劇」って、サーカスのピエロのような存在じゃないかな。
滑稽な姿で本当の事を言う。

1700日も雨が降り続く街、ブエノスアイレス。
車や人がすべて後ろ向きに動く。
(時々前向きに歩く人がいるんだが、どうやって撮ったんだろう?)

劇場に助成金を出せないという政府。
電気を止められ、劇場を売れと言って来る。
ベイエリア再開発、ショッピングセンター建設で、取り壊し予定だという。

国が守るべき文化って何だ?
映画はずぅっとその問いをかけ続ける。

一向に支払われない年金を待つ年金受給者たち。
助成金は出せないが、賞は出すという文化庁。
死んで名声を得たところでなんになろう。それくらいなら忘れられた方がいい。
老いた詩人はそう言って精神病院に入院している妻と共に泣く。

「noといい続けなくてはだめなんだ」と老いた役者が言う・・
(2005.05.09)

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ライフ・オブ・デビッド・ゲイル The Life of David Gale (2003年アメリカ・独)

死刑を4日後に控えた元ハーバート大学教授が雑誌記者とのインタビューに応じる。

限られた時間で冤罪を晴らす?スリラー的部分と、命の値段というなんとも微妙な問題と、
さらに大きな哲学的なテーマ?、「真実とは何か」が含まれていて、
これがなんといっていいのか、困惑させられた。

まず、スリラー部分はよく出来てると思うし、「死」に対するグロテスクな描き方が
ブラックユーモアまじりで辛らつで、死刑の意味を考えさせられた。

ケビン・スペイシーは上手いし、死刑反対運動の同志で、同僚のローラ・リネイが
ものすごくよかった。(ローラ・リニーって言うのかな?)
ローラ・リネイ(リニー)って誰やろ?なんかどこかで見た顔やなぁと思っていたら
「ラブ・アクチュアリ」で一番気に入ったキャラ「サラ」を演じた女優さんだった。
そうか、この人、ほんま上手いわ。
「もっとセックスをしておけばよかった」と言うシーンのあの情感ときたら。


そして、真実とは何か。
「真実なんてものは無い。あるのは、それぞれの判断だけだ」
字幕では客観的判断と書かれていたが、客観なんてものがあるなら真実だってあるわけで、
そうじゃなくて、客観ではなく個人の、主観の判断でしか無いというところが
この映画の言いたいことだったと思う。

ひとりの女性の死が被告人から語られると、ヒロイン、ヴィッチーはその話から
「これこれが真実だ」と判断する。だが、それもまた、最後に明かされるメッセージによって、
実は真実ではなく、ひとつの判断でしかなかったと教えられる。

この「一体なにが真実なのか、人は知る事ができない」という突き放し方が
見終わってから、う〜んと困惑させられる要因かと思う。

だが、正直なところ、見終わったあと、腹が立ってしまった。
それは「命の値段」の部分が、むしょうに気になってしまったからだ。

ケビン・スペイシー演じるゲイルが「命の値段」について酔っ払いながら
話すシーンがあり、これが伏線になっている。

死刑制度に疑問を突きつける! という意味での「命の値段」は納得する。
人はどんなことであれ、人の命を奪う事が許されるのか?
正義と法は絶対なのか? 一体、誰にとっての正義であり法なのか?
たとえ「死刑」は必要悪だとしても、テキサス州のやり方はひどすぎる。
週に3回も死刑があるなんて、異常だ。

余命いくばくもないときに、無駄死にするもんか、と思う「命の値段」も納得する。
自分の「死」に意味をもたせたいと願う気持ちもわかる。

だが、現実に命にお値段をつけたところが、とてもわたしは嫌だった。
年に4回も不倫相手に会いに行ってた元妻に、そんな金をやるこたぁないっ!
彼女、親がスペイン大使だし、お金に不自由してるわけじゃないじゃないか。
これが納得できなかった。ここってどうなの?

#ケイト・ウィンスレット 
最初はぶっきらぼうで生意気な奴だったのに、なんだか最後は素直でいい奴に。
扱いは難しいけれど真面目で信頼できるし、かわいいとこもある。
独特の魅力があって、このごろお気に入りになってきた。
(2005.05.10)




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