更新記録 2008年 2月1日から2008年3月31日まで
無事イタリアから日本に帰ってきました。
いやぁ〜、イタリアを満喫しました! とっても良かった〜。
お天気に恵まれ、毎日暖かくて、手袋、マフラー、厚手のセーター、厚手の靴下、
ホカロン、などなど、どれも全然使わずじまい。
薄手のタートルにダウンジャケットという格好でも、歩いていると暑くてたまらなくなり、ジェラートを食べながら歩き回ったという日々だったのに、日本に着いたら、ひやぁ〜ん、寒いっっ。
ホカロン、ホテルにほかしてきたのに、捨てなきゃよかった。。。
それにしても、ツア旅行っていいもんですねぇ〜。
至れりつくせりなのね。
添乗員さんも、現地のガイドさんも、ツアの皆さんも、とても良い方ばかりで、
旅の目的だった名画、大作の数々も、ぞんぶんに見放題。
その上、自由時間もかなり取れたので、ローマの街を歩き回ることができて、大満足でした。
観光シーズンから外れているので、どの絵ものんびりと見ていられる。
不思議ね、どの美術品もとても大事にされているのだけれど、とても身近においてある。
ガラスで覆われているわけでもなく、すぐそこにある。
「最後の晩餐」のあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会が、想像していたものと
全然違っていてねぇ。巨大な超貴重品を拝見させてもらった、としみじみ感じました。
ウフィツィでは、ボッティチェリの「春」やレオナルドの「受胎告知」がすぐそこにある。
教科書や美術書でしか見たことがなかったものが、つやつやの絵の具で塗られた実物として目の前に
ある。
うわ、、こんなに大きな絵だったんだ・・・
そして、カラバッジョの「メデューサ」、、かなりドラマチックな場所に展示されてるんだわ。
バチカン美術館もウソのように空いているの。すぐに中に入れちゃう。
ラオコーンの前には我々しか居ない。
ラファエロ、ミケランジェロに圧倒されて、法王さまのお力に圧倒されて、、
ルネッサンスのエネルギーって凄いわね。
お昼で解散してからは一人でローマの街を歩きだすも、
小さな道が多くて、簡単な地図しか持たずに歩き出した私は無謀すぎました(汗)。
すぐに自分がどこにいるのか分からなくなり、ノートにカタカナで書いてきたイタリア語が役に立つのなんのって。
ほとんど ↓ こればっかり使ってました(笑)。
地図を見せながら、
「ドーヴェ・スィアーモ?」(ここはどこですか? をいをい)
地図を指差して、
「ヴォッレイ・アンダーレ・ア・〜」(わたしは〜へ行きたい)
もう一度歩けと言われても、同じコースをたどれるかどうか、というほど迷走し、10人以上の人に道を尋ねながら、「グラッツェ、グラッツェ」で目的地まで。
途中で、あら、やだ、「ヴォッレイ・〜」と何度も言っていた事に気づきました。
「I want to go 〜」わたしはベネチア広場に行きたい、ではなく、「I want 〜」わたしはベネチア広場が欲しい、とか、言ってたんだわ(ま、全員に通じていたけど 爆)。
冬だからかな? わたしの格好がみすぼらしかったからかな? リュック背負った一人歩きだったけれど、スリにも遭わずに、こうやって沢山の人に助けられて、あちこち
行くことができました。後日、詳しく書く予定ですけど。。(書けるかなぁ・・)
夕方からはひとり、ボルゲーゼ美術館に行き、これまた大感動!
皆さん、もし、ローマに行く機会があったら、ぜひ、この美術館に行ってみて。
ベルニーニの美しい事といったら、、こればっかりは生で見ないと味わえないわ。
翌日は帰国便が午後なので、午前は自由タイム。
早起きして昨日見ることができなかった教会へ。
またもや道が分からなくなり、おまわりさんに何度も道を訊いて、、
これまた、行った甲斐がありましたねぇ。カラバッジョの絵が飾られている教会なんですけど、お賽銭だけで、ずっと見ていられるんですものね。
というわけで、小さなコロコロトランクとリュックという身軽な格好で、目一杯楽しんできた、というわけです。
詳しい旅行記は後日ということで、とりあえずお土産だけ披露いたします。
土曜帰国、日曜に洗濯やら片付けやらを済ませて、月曜から出勤、、って、やっぱ辛いわ。
毎日を乗り切るのがやっと、といった所。
ツア参加者のなかには、帰国翌日の日曜に「ハーフマラソン」を走る予定という猛者が
いらっしゃいましたが、御歳、60近いその男性、はたして無事に走ったんでしょーかねぇ。
イタリアに行く直前、日経朝刊の「望郷の道」はちょいっとドラマチックな部分に差し掛かっていたので、(正太とルイが再会する直前だった)、帰国して一番最初にやったことは、
もちろん1週間分の朝刊を読むことでした。
荷解きもしないで、まず読んで、、「うっひっひ、そうか、雄たけびかぁ〜。
踏み殺されてもいい、、て、、うっひっひ」 と幸せにひたったのでありました。
とうとうキャラメル工場ですね!!(読んでいない人には何のことやら?!)
旅行記を書くのは先になるので(書けるかなぁ・・)、飛行機話でお茶を濁すと、
往復の飛行機で見た映画は、
『 3:10 TO YUMA 』、『ボーン・アルティメイタム』、『 Martian Child 』
「ユマ行き3時10分発」ラッセル・クロウとクリスチャン・ベイルなんて合わなそうなのに、この軋みが面白い。
どうやっても極悪人になれない男気のあるラッセル・クロウ、生真面目なのにヤバイ
人にみえるクリスチャン・ベール。 ふと、「椿三十郎」三船敏郎と仲代達矢の
リメイクは、織田裕二、豊川悦司よりもラッセル・クロウ、クリスチャン・ベールの
方が似合ったのでは、と、考えてしまった(爆)。
ボーンは、、安心してみていられる。 最後まで飽きさせないテンポよい展開。
マット・デイモンには、いまひとつ燃えないんだけれど、ロマンスものじゃないから
OKよ(爆)。 無骨でクールで普通っぽくて超人、ってのがぴったり。
Martian Child は期待していなかったのになかなか味わい深くて、じわっとくる。
ジョン・キューザックって、むいた直後のゆで卵みたいな、妙につやつやした
、大人になりきらない男ってイメージで、それほど興味がわかない(ごめん)役者さんだったんだけど、おじさん化したためか?つやつや度が減ったためか、いい男に見えてきた(爆)。
チャーチルの「Never, Ever, Ever, Ever Give Up!」をキーワードに、
人間関係を諦めたらいけない、アプローチを続けるんだというメッセージが
こめられた映画。
映画はいずれも満足いくものだったが、極め付きは「オーロラ」。
いやぁ〜、初めて見ちゃいましたよ、あんな大きなオーロラを。
帰りの飛行機、ちょうどウラル山脈上空あたり、
通路からわたしを飛び越して、その横の人を揺り起こそうと声をかける人がいる。
「○○さん、起きて、起きて、オーロラが見えるよ」「むにゃむにゃ」「xxさんも起こしなよ、
すごく大きなオーロラだから」
どうも、横ふたりと同じグループの人らしい。寝ていたわたしも目が覚めて、「ん?」「オーロラが見えるんですよ、あなたもどうですか?」
というわけで、指示に従い、備え付けの枕(腰当て?)を持ってトイレの横のスペースに行く。
真っ暗な状態で見れるように顔のまわりを枕で覆って、小窓に顔を寄せると、
をををっっ
空の上半分が全部もやんもやんと光るカーテンになっているではありませんか。
びっくり。
さらに、カーテンの下の方には細い線のような光の筋がある。
ちょうど就寝時間で、窓はブラインド(というのか、プラスチックの覆い)を下ろしているし、
帰りの飛行機だからか、ほとんどの人が爆睡状態。
立ち上がってオーロラを見に来る人もごく少数。
ラッキーでしたね〜(^o^)
とてもショックなニュースを聞いた。
グレンダ・サンダースが亡くなったという。
たまたま eBay でグレンダ・サンダースの本を買おうとして、ウォッチングリストに加えたあと、
ネットで他の人の感想を調べていた。その時、このブログにぶつかったのだ。
Katherine Garbera
2月1日の記事に彼女の死亡が語られている。
そのあと、この記事をみつけた。
卵巣がんによる死亡でまだ59才だった。。
ウィットに富み、温かくてファニーで誠実な彼女の物語がとても好きだった。
(今でももちろん好きだけど)。
ガバルドンは別として、ロマンス原書の未訳本をわたしが買い出したのは、グレンダやビリー・
グリーンがきっかけだった。
HQにはまって5年ほどの間に、ビリー・グリーンやマーガレット・セントジョージ(マギー・オズボーン)は
執筆から引退してしまい、グレンダは亡くなり、、、あぁ、寂しいなぁ。
朝から雪の降る一日。
ほんとなら写真の整理などをすべきなんだけれど、だらだらと本を読む。(いかんなぁ)。
読んでいるのは、SIGNETのクリスマスアンソロジーと、Elsie Lee「THE WICKED GUARDIAN」(1973)。
Elsie Lee の話は想像していたものと全然違った。
幼い頃両親を失った大金持ちのヒロインがいて、18歳になるまで財産を自由にできない。彼女の後見人は借金まみれの強欲な男で、ヒロイン(18の誕生日まであと2週間!)を
無理やり自分の息子と結婚させようと考える。。
ワインに薬を盛られたヒロイン
だったが、注意深く少量しか飲まなかったので誘拐の途中で目覚め、馬車から
飛び降りる。
運よくサーカスの集団(ジプシー)に助けられるが、落下した衝撃で記憶喪失となってしまう。
逃げたヒロインを必死で探す後見人やその息子。
ここに絡むは、諜報活動をしている侯爵ヒーロー。
実はサーカスの団長は侯爵の諜報活動を手伝っており、ヒロインを探す警吏や
ボーストリートランナーがサーカスのまわりをうろつくのは不都合であった。
そこで、ヒーローはヒロインを自分の祖母に預けようと考えた。
時はナポレオンがロシア遠征中ということなので、1812年か? 当時の
対ナポレオンの諜報活動、親ナポレオン派の内通者、などを物語に織り込み、
サスペンスフルに描いている。 っていうか、まだ途中だけれど、今までのところ、
まったくロマンチックな部分はなくて、人々の思惑が錯綜して緊張感あふれて
いる、といったところ。
1973年の作品なので、今どきのものと比べるとホットさが格段に低い(笑)。
ほんまにヒロインとヒーローの間にロマンスが芽生えるのかしらん?
fictionDB は、毎年メンバーシップを更新すると古本を1冊タダで贈ってくれる。
この特典は海外会員にはとてもお得な制度だったけれど、残念ながら今年から
廃止される。
去年の12月が更新だったため、運よくすべりこみセーフで貰った本
Signet「REGENCY CHRISTMAS WISHES」(2003)
なぜこのアンソロジーをプレゼントリストから選んだか、というとCarla Kelly カーラ・ケリーが
入っていたからなのだが、期待どおりの良さだった。
彼女はこんな短い作品のなかでも、物語にしっかりした舞台を作れる作家なんだよなぁ。(ほんま、別格なんだわ)
「リンカーンズ・イン」なるものを初めて知った。
時は1810年、ヒーローは起訴された「子供」の弁護を専門とする、法廷弁護人のなかでも大変
珍しい弁護士だ。
パンひとつ盗んでも島送りになるような過酷な制度下で、貧民階級の子供を
守ろうと苦闘するヒーローは、大変辛い思い出を抱えている。
私立寄宿学校の教師であるヒロインは、エジプト男性とイングランド女性の間に
生まれたハーフで、美術と音楽の授業を受け持っている。
クリスマス休暇に生徒の一人を家まで送る役目をおおせつかったヒロインは、
はしかで両親らが養生というてんやわんやの生徒の家を切り盛りすることになる。
そこには生徒の叔父であるヒーローもいて・・・
階級や人種差別、社会制度、、生真面目なテーマと心の救済が優しくミックスされて、
クリスマスにふさわしいすがすがしいロマンス。
ほんま、上手い。
手持ちのCarla の本を裁断するに忍びず、同じ本をまた購入して裁断・
pdf化しているのだが、アンソロジーはいいわ、これをこのまま切ってしまおう。
カーラ以外は要らないので、かえってさっぱりする(をいをい)。
地味に続けて、現在pdf本は150冊。まだまだゴールは遠いけれど。
romanceミニレビュー、ラヴィル・スペンサーを加えました。
昨晩も「とまどい」を再読しちゃって、あぁん、ひたってしまった・・。
この連休で、ようやく旅行記を完成させました。。といっても、去年の
バルセロナーカルカソンヌのことですが(大汗)。こちら。
イタリア旅行記を書く前に、なんとしてもカルカソンヌを終わらせないと、と、頑張りました。
(スコットランドがまだ残っているけど、これはいつになることやら、、冷や汗)
とりあえず昨年の旅行の分は書き終えたので、イタリア旅行を書く準備は
整いました(爆)。
それにしてもイタリア、特にローマ、気に入っちゃいましたよ。
魑魅魍魎とした、あのでたらめなゴチャゴチャ感。
けっこう広い道路なのに、車線どころか、中央分離帯も無い!
路上駐車だらけ! すれすれを走る車やバイク!
まるで深い谷間を歩いているような、狭く暗い迷路のような中心部!
もう一回行きたいなぁ。。
Elsie Lee「The Wicked Guardian」(1973) を読み終えたが、感想はう〜んん。
つまらなくはないけれど、ロマンスが薄味すぎてがっかり(笑)。
ミステリとして読むほどでもなく、時代の雰囲気を上手く伝えた軽い小品といったところか。
ウェリントン公が物資不足を訴えている手紙やら、対フランス諜報活動、ボウ・ストリート・ランナーなどの活躍。
一方で、ボー・ブランメルが登場したり、
イベリア半島で苦しい戦いが続いているさなかに、ロンドンの社交界では襟にさすのは
白いバラがいいか、赤いバラがいいか、を喧々諤々論争している。
Carla Kelly が発端で、半島戦争に少し詳しくなってくると、今度は「炎の英雄シャープ」シリーズが欲しくなってくる。。あぁ、、困ったわ。。
さて、未読本を読めばよいのに、ついつい再読へ走ると、最初に読んだときは気にせずに飛ばした部分で気になる言葉を見つけ、調べだして、すっかりそれに没頭してしまうのが
いつものこと。
ひとつ目は、カーラの「With This Ring」を読んで、Congreve's rocket
ウィリアム・コングリーヴが作ったのでその名前がついたロケット弾、
ヨーロッパでの戦争に使われた初めてのロケット弾だ。
1805年の対ナポレオン戦で初めて使用され、飛行距離3000ヤード(3279m)。
信頼性は天候に左右されたが、それでもこのロケット弾が敵にあたえた破壊力は
驚くべきもので、1825年までには西洋諸国はみな、
コングリーヴロケット弾をコピーして装備したという。
ヒーローとヒロインが初めての夜を過ごしたあとで、ヒロインが
「変だわ。わたしの母は、こ、この、えーと、これ、、のことを義務だと思って
我慢しなさい、と言ったのよ」
「やれやれ、いつもながらきみの母君のいう事はコングリーブズ・ロケットのように正確だね」
時は1814年か、トゥールーズの戦いよりはあとだが、ワーテルローの戦いよりは
前である。
当時のコングリーヴズ・ロケットはそこそこ命中率を上げていたのでは?と
思うので、
「的外れだね」という意味合いよりも、大量に打ちこんで相手を
壊滅させるそのやり口と似た「ロマンのかけらもなく現実的な」雰囲気を
言いたかったんじゃないかと思うが、的はずれか?(爆)。
ふたつ目は、やはりカーラの「Summer Campaign」を読んで(カーラ・ケリーばっかり再読してるってことね 汗)、「 the devil take the neighbor 」
悩みに悩んだ末、とうとう勇気を出してヒロインが愛を告げに行くと、ヒーローが、(ヒーローの兄が亡くなった直後なので)結婚を6ヶ月先にするか、それともすぐにするか、どっちがいい? ぼくとしては
今すぐがいい、、と、このセリフを言う。
最初読んだとき「devil take the neighbor」の意味が分からなかったけれど、文脈で
「どうせ、隣人がなんと言おうと構うものかっ・・と言ってるんだろう」と読み飛ばしたのだが、再読で
ちゃんと考えてみた。
devil take 〜という言い回しは、
take に3人称単数のsがついていないことでも分かるように、devilの前に
may とか let といったものが省略されている、ゴッド・ブレス・ユーみたいな、ものだ。
どうか〜は悪魔に連れていかれますように -> 〜なんて悪魔に食われちまえ。
Devil take it なら「くそっ」と訳すらしい。
「Devil Take the Blue-Tail Fly」 悪魔に食われろ青尾蝿
「Devil Take the Thief Cat」 悪魔に食われろ泥棒猫
「Devil take the hindmost」遅れたやつは鬼に食われろ 他人のことはかまっていられない
という例がググルと見つかる。
悪者がヒーロー&ヒロインを追いかけて、ちくしょー、奴ら、どこ行った! みたいな場面で、「devil take them」を、「悪魔に連れ去られたのか」なんて訳して
いる人を見かけたが、これは間違いだ(と思う)。
「devil take it」じゃなくて
ヒーロー&ヒロインなのでthem「 devil take them 」と複数に
なっただけで、逃がしてしまい「くそっ、」と罵ったのだ(と思う)。
面白いところでは、
大正8年、毛利八十太郎が「坊ちゃん」を英訳した“Botchan (Master Darling)"に、
Devil take his "Ha, ha, ha!" Who would go to see a fellow so void of the sense of common decency!
何がアハハハだ。 そんな礼儀(れいぎ)を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。
なんて文がでてくる。なるほど〜
をっとと、、こんなことをやっているから、あっという間に時間が過ぎてしまうのだ。
週末はとても寒かった、暖冬はどこに行ったのかと思う。。
ためてしまった郵便物をチェックすると、返送しなければいけないものや、確認しておくことなど、やらなくてはいけない事が案外多くて、その他送付された資料を読んだり
すると、あっという間に時間が消えてしまう。
町内会の集まり、消防設備点検、投票などもあり、時間が過ぎるのが早い。
イタリア旅行の写真を整理している間にとある紋章が気になりだし、
それから紋章についてあれこれ調べてしまった。
20年ほど前に買ったと思う「Heraldry」の本や、
ネットで見つけたHeraldry関連のページを読みふけり、そこそこ西洋の
紋章の歴史や紋章基礎知識に詳しくなった。
いやはや、面白い。
調べだすと、いつしかルネサンス時代の服を手作りしている方のページにまで
到達し、周辺の雑学はとても増えたんだが、肝心の旅行記のほうは
手付かず(爆)。
読んだのは、LaVyrle Spencer「Vows」(1988)
Gamble, Morning Glory との3作合体本のなかのひとつなので表紙絵は無い。
1888年のWyomingを舞台に、これから発展しようという町に夢を抱いて
やってきた若者トム・ジェフコート(26)と、町でLivery (何て訳すのかな、馬を預かったり、
貸すところ)を営む家の男勝りな娘エミリー・ウォルコット(18)との物語なんだけれど、
出来としてはそこそこ。5段階で3.5か4ってとこかなぁ。
ラヴィルの描くアメリカンヒストリカルは、その時代の
手触り、生活感がとても丁寧に表現されていて、洗濯ものの汚れや
木の削りくずの匂いまで伝わってくるような、これはもう、他の人に
ないものなんだけれど、ロマンスとしてこの物語を見ると、フレッシュさが
足りないというか今ひとつ盛り上がれなくて・・残念!
ヒロイン、エミリーには幼馴染の婚約者チャールズ(21 大工である)がいて、
チャールズは、困ったことに(!?)、とても素晴らしい若者なんである。
彼は13才のときからヒロインを
お嫁さんにしたいと一途に想ってきた。働き者で誠実で男らしい。
トムは鍛冶屋の仕事に加え、エミリーの父の稼業と同じLiveryを新たに
始めようと考えていて、読者の予想どおりエミリーはトムに猛烈な反発を抱く
わけだ。
トムはチャールズにLiveryや家の建設を頼み、チャールズとは親友の
間柄になる。
この主ロマンスに加え、エミリーの両親の話がもう一つの大事なストーリーとなる。
エミリーの母ジョゼフィーヌは胸を病み、余命半年あるかどうかである。
彼女と夫エドウィンは互いに相手を大切に思ってはいるが、エドウィンにはずっと忘れられない
女性がいた。というか、現在も忘れられない。
その女性、ジェゼフィーヌのイトコのファニーとエドウィンは生涯ただ一つの愛、
っちゅう感じのふたりだったのだけれど、親の取り決めどおりの結婚を彼はしたわけだ。
で、結婚式から今まで22年、手紙のやりとりは続いていたが、ただの一度も会っていなかったのだが、
ジョゼフィーヌはエドウィンには言わずにファニーに手紙をだして、家事を手伝いに来てくれるように
頼んだ。。
親の世代といっても、まだジョゼフィーヌもファニーも38歳なんだよねぇ。。
ま、誰かもamazonに書いていたけれど、気にかかるのはチャールズのその後のことだけ、という乱暴な意見もでるような、ピチピチ感に欠けるところがあるうえ、
エミリーの衝動的な行動や幼さが少し癇に障った(ごめんよ〜)。
町の人口が少ないうえ、年の離れた弟(12)しかいないので、エミリーには同年代の信頼できる友人がいないから同情の余地はあるんだけれどね。
ラヴィルの他の作品を買おうと思ってはいるんだけれど、ただいまFictionDBがダウン中
なので、どれを買うか決められないわ〜。
紋章について、あれこれ調べちゃったので、せっかくだからみーはーにまとめました。
「ミラノと紋章あれこれ」
というわけで、整理がミラノから先に全然進んでいない(笑)。
フィレンツェでも、とても気になる模様をみかけて、帰国後、あれは何の模様なんだろうと調べたのだけれど、これはいまだに分からないのよ。
にゃはは、ツボ直撃〜。リー・デイモン「ハリケーンに乾杯」(1983)
よいわ、よいわ、よいわ〜。。なんて楽しくておかしくて、幸せを感じさせてくれる話なの。
バイキング症状はださないでちょうだい、残念ながら遅すぎるね。といい、
初級コースなんて、どういうこと?教科課程についての説明は今夜だ。といい、
ワルキューレ、腕をあげるーパセリが役立つ、といい、ツボつきまくり。
そんでもって、ふさふさしたプラチナブロンドの巻き毛!柔らかい金色のベルベット!素敵なヒーローなのよねぇ。。じゅるじゅる(よだれが)。
かなり以前に彼女の「サマー・サンライズ」を読んだときはあまり心に響かなくてスルー
してしまったけれど、やばっ、もしかして、わたしの見る目が無かったのかも。
もう一回読み返せば印象が変わるかしら?
ようやく復活したFictionDBを見ると、「ハリケーンに」が星4つ、そして星5つの作品がある。
「Again the Magic」
あやや、これもロマンティックタイムズの ALL-TIME FAVORITES なのね。
どーしようかしら、欲しくなってしまったわ。
サンドラ・ブラウン「Tidings of Great Joy」(1988)とグレンダ・サンダース「MORE THAN KISSES」(1994)はななめ読み。
いやはや、サンドラヒーローはなんでそーも下半身反応が強烈なのっ
クリスマスパーティで初めて出会った夜にヒロイン御懐妊〜っ
しかもですよ、あなたは次期市長と言われる男じゃありませんかっ
そんなにベルトが緩くてどーするのっ
わたしは行った、見た、入った・・・(爆)
でもヒーローはこれぞサンドラヒーローだからOKよ(爆)。
問題はヒロインよねぇ。彼女、煩くてかなわんわ〜、、「シルクの言葉」の
、よりうざったいバージョンってところ。
ネットで検索したら、サンドラ・ブラウンを読むのはこれが初めて、という人がこの本を
読んでいた。
あぁ、そいつは間違ってる。だってこれ、ま、いわゆる駄作ですぞ(爆)。
こんなのを最初に読んでしまったあの人(って誰だか存じませぬが)は、きっと二度と
サンドラ・ブラウンを読む気が起きないだろう。もったいなや、もったいなや。
グレンダの話はアメリカンヒストリカル。
3.5から4といった、ま、悪くない話だったけれど、いーの、名作を期待して
買ったわけじゃないから(爆)。
アイルランド寡婦ヒロインと、イングランド貴族ヒーローの物語。
呑んだくれの亭主が酒乱で暴れ、ヒーローは正当防衛で彼を撃つはめに。
植物学者でアメリカに調査に来たヒーローは、彼女の貧しい生活をみて、
農場を収穫まで手伝うことにするが・・・
バトルがなくてホッとする素直さ。一種のシンデレラ物語だわね。
週末に観た映画、「俺たちフィギュアスケーター」。
ひぃ〜っひっひっひ、爆笑の連続。
やりすぎず、さじ加減が分かってるって感じでエンターテイメント度高し。
すっかり洗脳されて帰宅した。
イナバウアや金メダルであれほど話題になった荒川静香選手ですら
ニュースでしか見たことがない、というほど、フィギュアスケートに関心が
なかったのだが、帰宅してからは YouTube で
ランビエールやジュベール、ライサチェック、ウィアと、片っ端から
映像を見てしまった。
恐るべし、「おれフィギ」の影響力!
そして一番多くYouTubeで観てしまったフィギュア選手は、というと、これが
高橋大輔選手なんである。
つい昨日まで右の耳から左の耳へ通り抜けていた名前だったのに、
わはは、昔の映像から最近のまでを感激して観てしまったわ。
目を見張るような成長、自信がのぞく面構えへと変わってゆくさま。
人間ってこんな風にオーラが出てくるものなんだなぁ。
超久しぶりに日本語古本HQを6冊も購入。
表紙絵に釣られて買ったジョイス・ティースD「夏の扉を開けて」
(左横の絵は海外サイトから拝借したが、翻訳も同じ表紙絵)
腕のファーファ度が高いので、きっと中身もそうだろうと・・(自爆)
この作家さんの本を読んだのは初めてだが、周囲の人が絡む自然なオカシミと、
主人公たちの盛り上がらないロマンス(爆)、という、デザイアよりもハーレクイン
アメリカンのような味に興味が引かれた。
二人のロマンスよりもちょっとした集会のシーンや会社の一こまの方が面白い。
なんとなく気になって他の作品を調べてみたところ、
ジャネット・ビーバー(デザイアに数冊書いている)とジョイス・ティースとが
コンビを組んで、Janet Joyce ジャネット・ジョイス(まんまや)及び
Jenna Lee Joyce ジェンナ・L・ジョイス(これもほとんどまんまや)となり、
デザイアやテンプテーションを多数出したという。
で、謎なのは、FictionDBやAuthor Birthdayなどで、
Melissa Scott メリッサ・スコットがジョイス・ティースの別ペンネームだと
書いてあることだ。
メリッサ・スコットはサイエンスフィクション、ファンタジー作家で、
日本でも創元SF文庫から何冊か翻訳が出版されているが、ゲイやレズビアンの権利
擁護や偏見払拭を
訴え続けている人である。
ホモセクシュアルSF/fantasy magazine 「Wavelengths」の創設者
&編集者でもあり、
1979年以来のパートナー(数年前に乳がんで亡くなった)との共著もある。
彼女のインタビューページを見つけたが、どこにもカテゴリーロマンスについての言及がない。
上記を読んでわかるように、ほとんどの作品の主人公がホモセクシュアル、バイセクシュアルらしいし、
本人もヘテロセクシュアルな主人公を書きづらいと言っている。
確かにデザイアを1冊メリッサ・スコットの名前で書いてはいるけれど、
ほんまにジョイス・ティースと同一人物なのかなぁ。
ただし、ロマンス作家の経験ありだと感じるのは、
「ストレートな作家がゲイなどクィアがテーマな物語を書くと、ちゃんとした
批評を受けるのだけれど、
クィアな人間がクィアな人間の物語を書くと鼻から偏見を持たれるって
パラノイアみたいなことを考えてしまうのよね。
”表紙の内側に夫と2.5人の子供と8匹のネコに献辞を捧げていないからダメ
なのかしら”ってね」
わかるわ、この感覚。
というわけで、100円で買ったシルエットデザイアから、思わぬところまで
たどり着いてしまった。(いつもの事? 笑)
更新をさぼっている間に2月が終わってしまった。。
本を読むのを優先すると、HPを書く時間が足りなくなって、、未読本は
まだまだあるし、、悩みますねぇ。
書いていない間、どっぷりとひたってしまったのはこれ。
Signet Super Regency Mary Jo Putney 「THE RAKE AND THE REFORMER」(1989)
表紙絵はこれだけを鑑賞するなら素敵なんだけれど、内容とはあまり合っていないわ。
だって、ヒーローはじき38才になる男で、人生経験が深く顔に刻まれ、猛々しさと
ほろ苦さが混じったような、背が190cmあるハンフリー・ボガート、いや、もう
少しストレートに男の色気を発散しているから、
男気が肌からたちのぼる三船敏郎とか、痩せて引き締まったラッセル・クロウとか、、(妄想うずまく私 ^o^;;)
そしてヒロインは
180cmに届こうとする背の高さと日に焼けた逞しさを持ち、生まれながらの
威厳をもつ30才の女性だから、
色が黒く髪が茶色く、骨太になったケイト・ブランシェットとか(ん?これでは
ケイト・ブランシェットとは言えない?)、そうだ、キャサリン・ヘップバーンとか、、
あぁ、この話、本当にどっぷりとひたりました。
良いです。
なにが良いって、基調にとてもすがすがしく優しいものが流れているんですよね。
ヒロインやヒーローの造型はもちろん素晴らしい。 だけれど、彼らは人間ゆえの不完全さを
当然持っている。どんな物語でもそういった不完全さがあれこれとストーリーを
紡ぐわけだけれど、この話がとても気持ちよいのは、そんな彼らを
励ましたり、諭したり、心から気遣う、無償の愛の手を差し伸べる友人や使用人がいる
事なんですよねぇ。
個人の苦闘や努力と、それをそっと支える忠誠や慈愛のバランスが良いの。
共感、夢、自己嫌悪、絶望、友情、希望、愛、ユーモア、、ふふ、官能シーンはとても
少ないけれど、全部が胸にしみるわ。
ギャンブル、酒、女にうつつをぬかす「ダベンポートの絶望」と呼ばれている悪名高き放蕩者ヒーロー、レジナルド・ダベンポート。
8才で家族を失い、心のねじれた冷たい老伯爵(父の兄)の元に引き取られ、その強圧的な支配下におかれた彼は、優秀な知性もアスリートの才能もねじ伏せられ、ただ老伯爵を鼻白ませることが生きがいのようになってしまった。
老伯爵が亡くなり、彼は自分が伯爵位を相続するとばかり思っていたが、なんと、はるか昔に家を捨てた伯爵の息子の
忘れ形見が発見され(まるで小公子! といっても28才くらいだと思うけど)、
物語はそれから一年たったところから始まる。
現ワーグレイブ伯爵リチャード・ダベンポートは前作「The Diabolical Baron」で準ヒーローだったそうだが、とにかく高潔で尊敬に値する男なんだ。
リチャードは、レジーへの allowance (手当金)を今後一切停止する代わりに
所領のひとつ、Stricklandをレジーに譲ると言う。
Strickland はレジーが生まれた場所でもあったが、8才でその地を離れてからは
一度も訪れたことはなかった。彼はこの日まで知らなかったのだが、この領地は元々自分の母方の所領だったのだ。(老伯爵はレジーに相続されるべきものまで取り上げていたんだねぇ)。
ストリックランドは4年前にA.E.ウェストンなるものが管理人となってから飛躍的に
収益を伸ばし、もっとも成功した所領となっていた。
レジーはどこかで方向が違ってしまった自分の人生を今一度立て直したいと
思い、ロンドンを離れ、ストリックランドへと向かう・・・
AEウェストンってのがヒロイン、Alysで、管理人が女性だってことを知り、
驚くレジーだったが、アリーもまた、悪名高い遊び人がオーナーになった事に
ショックを受ける。
でもね、ふたりが互いの知性や人格を認め合っていく過程がとても気持ちよく語られるの。
農業経営の近代化、小作人への教育や福祉などリアルな描写、茶目っ気あふれるユーモア
、二人きりになって漂う危うい雰囲気、、と、これだけでも十分に面白いのだけれど、この話の
凄いところは、ここに非常にシリアスな問題が提起されることなんだよねぇ。。
レジーはこの数年の荒れた暮らしでアルコール依存症になりかかっている・・・
打ちのめされるほど、アルコール依存症の壮絶な描写に震えが来る。
驚くほど真摯で厳しい内容。
SIGNET のRegencyって、メアリ・バログの「Precious Jewel」とかカーラ・ケリー「
Lady's Companion」とか、いやはや全くあなどれない作品があるんだよねぇ。
リジーがもっとも絶望と狂気の暗黒に沈んだ新月の夜のエピソードは、、、
これほどほろほろと心が静かに癒されるシーンは滅多にないわ。
さらに、レジーの物語とアリーの過去の秘密が巧みに絡まるように
できていて、、
シリアスなのに笑いを忘れない上手さ。
読み終わると、確かな満足感が。
あぁ、メアリ・ジョー・プットニーをもっと買ってしまおうっと。
先週末「身毒丸 復活」を見に行ったのだが、情けないことに途中で寝そうになって
しまった(爆)。
世界のニナガワが分からない奴>わたし。
物凄いものを期待して出かけたが「え?こんなもんだったの・・」となんとなく
肩透かしを食らった気分。
観終わって帰宅してからネットで調べると、あの場面はこういう意味だったとか、あそこはこういう話だったとか、、、
モノや動作が何を意味しているのか、元の原典はどういう話だったのか、それがわかっていなかったワタシにとって、
なんで唐突にそんな歌が出てくるんだ〜っ この小学校唱歌は
場面に全く合わないよ〜っ とか、 ごめん、まるでダメ子でございました(汗)。
白石加代子さんには圧倒されましたね。
凄いわ。
なんていうか、ほとんど妖怪だわね(誉めてるつもり)。
ただし(と、繰り返してしまうが)、これほどに素晴らしい化け物ぶりを見せてくれた白石さんにも関わらず、いまひとつ危うさが薄い、どろどろしたものが薄い、物足りないと感じてしまったんですよねぇ。
演出は、やさぐれた小劇場や隠微な芝居小屋を意識していると思う
んだけれど、どうしてもゴージャス感が漂ってしまう。これもどろどろしたものが
薄いと感じた所以なのかな。
のめりこめなかった一番の原因は、これ。
後妻となった撫子(白石さん)の連れ子仙吉が撫子の生んだ子ではなく、単にこれまで
世話してきた子供なので連れてきた、拾い子だったこと。
仙吉が拾い子じゃなくて腹を痛めた実の子であったら、
身毒丸が仙吉を最後に犯す意味も衝撃も大きな気がするけれど、仙吉が係累のない子だと、「家」というものを身毒丸が仙吉を汚す(けがす)ことによって
修復不能に壊してしまう、このおどろおどろしさが薄いんじゃないかなぁ。
継母の子に抱く嫉妬、継母の子を痛めつける事は、継母の「母性」を否定している一方で激しく渇望してるって感じだし、継母の子を犯すことで擬似的に継母と交わるような妖しさもあるし、、
撫子が身毒丸を折檻し、呪いで目をつぶすところにしても、同じような感想を抱いてしまった。
身毒も仙吉もどちらも腹を痛めなかった子だと、両者の違いは「母親として」自分を受け入れてくれるかどうかである。 母親として認めようとしない身毒丸の責めるような視線は「女である自分」を糾弾しているように感じる、、とかなんとか、全部が論理的な思考、冷静な頭脳作業、まるで作家や演出家の頭のなか。 血肉の、論理無視の狂気に感じられないんですよね。
後妻にはいった家で、夫は女としての自分を求めてくれず、家には女である自分をなじるような美少年がいて、そこに素直な実の子がいれば、そう、母親という「肉体」と、おんなという「肉体」のせめぎ合いがぁ。。。とか、素人が偉そうに考えてしまったわ(汗)。
それにしても観客の99.9%は女性で、おそらく藤原君のファンなんでしょうねぇ。
藤原君は相変わらず顔がちっさ〜。
あんな妖怪の白石さんと渡り合えるってだけで感心します。(って感想それだけ?!)
今晩は本を衝動的にポチポチ。。。
大学生のころ大変お世話になった先生がお亡くなりになり、お通夜に出向いた。
かれこれ15年ほどお会いする機会もないままだった。
祭壇に飾られた御遺影は当時の雰囲気のままだったが、最後のお別れに棺のお顔を拝見すると、思いもよらぬほどの変わりようで愕然としてしまった。
歳月と病魔は残酷なものだ・・・
自分も当然老けたわけだが、緩やかに老けるのとは別に、がくっと老ける時がある。
故人を偲んで集まった方々のなかに懐かしい恩師の顔を見つけて帰りをご一緒したが、
以前は早足で颯爽と歩いた方が、失礼な言い方だが足元も頼りなくもどかしげに歩(あゆ)
むようになっておられた。
喜寿のお祝いでお会いした時はそんなことなかったのに、、、
考えたら年をとるのは当たり前のことなんだけれど、でも、老いやら自分の残り時間やら、、あれこれ考えていると、衝動買いに走り出してしまう(爆)。
ま、恐いものから目を反らしてしまうってことなんでしょうねぇ
LaVyrle Spencer の「The Endearment」初版の表紙絵つきをポチ。
「Hummingbird」も初版の表紙絵つきをポチ。
何度も再版されているから、安く古本を入手できるはずなのだけれど、初版に
限定すると、別々の古本屋さんから仕入れることになって、あいたた。。
ロマンス本の表紙絵のせいで買うのをためらう人が多いというのに、
わはは。。
LaVyrleの5つ星本「Separate Beds」もポチ。
さらに、ナリーニ・シンのPsyシリーズ新刊もポチ。
クレイにはあまり興味がわかないけれど、でも知りたい謎が一杯あるし、
AARではすごく褒めていたし、読まねば!
ジャッキー・ダレサンドロやロレッタ・チェイスの翻訳文庫本もポチ。
Mary Jo Putneyも、Jo Beverleyも気になるし、カーラのクリスマス短編ものも欲しいが、、ここは我慢だ、、
さて、読み出したのはBarbara Samuel 「A Bed of Spices」(1993)
表紙絵が素敵なんだ♪
実はざざっと飛ばし読みをしてしまい、これからもう一度ちゃんと読み返すところ。
ペストの禍が荒れ狂った1348−49年のドイツが舞台である。
ユダヤ人が毒を撒き散らしていると風評が流れ、ヨーロッパの各地で
ユダヤ人を虐殺、火あぶりにした史実に基づいている。
この話の舞台、ストラスブルグでも2000人のユダヤ人が焼き殺されたという。
ヒーローは裕福なユダヤ商人の息子で、医学を志している。
ハーブに詳しい治療師兼産婆のもとを訪ねているときに領主の娘(ヒロイン)と出会うのだが・・
仕事などで金曜日から横浜へ出張、その後墓参りなどをして日曜に帰宅。
というわけで更新はずいぶん間が空いてしまった。
その間に読んだのはBarbara Samuel 「A Bed of Spices」(1993)
バーバラ・サミュエル(ルース・ウインド)は平易な言葉でたおやかに語ることが
できる人なんですよねぇ。 物語は重厚なドラマだけれど、情緒的で美しい風景描写や素直な恋心といった柔らかさが独特なの。
物語の舞台はストラスブール。
今はフランス領だけれど、中世では自由都市として
どちらかといえばドイツ語圏に属していたみたいね。
イル川に四方を囲まれた美しい島のような街。
そびえたつ城壁、教会の鐘、ユダヤ人通り、薬草畑、城の広間、、
バーバラ・サミュエルのペンがいろいろなものを活き活きと描き出す。。
モンペリエ大学(ヨーロッパでは最古の医学部だそうだ)で医学を勉強している主人公ソロモンは、ペストの流行で学校が閉講になり故郷に帰っていた。
っていうんだけれど、モンペリエとストラスブルグって、結構遠いよねぇ。
領主(ヒロインの父親)は心臓が弱っていて自分の死期も近いと自覚している。
愛する娘を確かな男のもとに嫁がせたいと望み、ゲルマン貴族の一人ルドルフに
娘をやると約束してしまう。
主人公たちは、制約の多い中世を生きているけれど、知的なひとりの人間として生き方を
模索している。
バーバラ・サミュエルの良さというのは、キリスト教を絶対視していない
ところなのよね。
アメリカの作家のなかには、ここらへんが鼻につく人もいるんだけれど、
彼女はとても包容力のある目をもっている。
この世にはムスリムもいるしユダヤ人もいるしカソリック信者もいる。
それぞれに英知があり過ちがある、それぞれに信仰があるってことを受け止めてるところが
気持ちいいのよね。
さてさて、ふたりがソウルメイトとして互いを見出すには時間が要らなかった。
しかし幸せは長く続かず、ヒーローの父親に知られ、モンペリエへと戻されるソロモン。
リカ(ヒロイン フレデリカ)もまた意に染まぬ結婚となるが。。
ヒロインには双子の妹がいるのだけれど、この娘のドラマもあって。。
そして忍び寄るペストの恐怖。
絶望や恐怖にかられた人間たちが、理不尽な運命への怒りの矛先をユダヤ人に向ける。
物語のなかで、「ナルボンヌ、カルカソンヌのユダヤ人は全員焼き殺された」と
ヒロインが家来から聞かされるくだりがあり、、をを、モンペリエはすぐ近くなのよ。
地名を知っていると実感がわくわ。
ユダヤ人大量虐殺は十字軍遠征の頃から何度となく繰り返されたそうだが、
1348−1350年のペストの大流行のあと、フランスやドイツのユダヤ人コミュニティーはほぼ消滅したそうだ。
ふたりの運命やいかに・・・
ヒストリカルドラマの面白さと、甘く切ないロマンスと、主人公たちの成長。
貫禄と品格のある物語でした。
(ちょっとつけたし)
ひぃーん、花粉が来ました・・・
目がかゆくてかゆくてかゆくて(何度も言いたくなる 笑)。
今年は軽く過ぎるのかと思っていたのに。
スカパーにて再放送された、フィギュアスケート四大陸選手権、全米選手権、ヨーロッパ選手権を全部見てしまった。もちろん、ペアや女子などあちこちすっ飛ばして(つまり
男子シングルばかりってことね )
ジョニー・ウェアのSP、やだわ、とっても美しいのだけれど、俺フィギに似すぎていてつい「ぷっ」と噴きだしそうになる。
四大陸、、はぁ、高橋君、ほんまオーラが出てるわね。
そして、ヨーロッパ選手権、、やばいっ、、ランビエール、好みだわ。。(#^-^#)
さて、フィギュアの何が一番ツボだったか?というと、
昔のローザンヌバレエコンクールのマダムを彷彿する淡々とした辛口コメント。
これですね(笑)。
昨日書いた「A Bed of Spices」
ひとつ書き忘れたのだけれど、上手なヒストリカルって、その時代の出来事や風習が
うまくストーリーに組み込まれているんですよね。
強烈なサブキャラの一人ルドルフ、彼は厳格なカソリックだが、ヒロイン・リカの双子の妹エッタを「売女め」とののしり、青あざが残るほど強く乳房を掴み、翌日は己を恥じて「hair shirt」を着るような男で、その彼が行方知らずになり、その後
Flagellant になっているのをヒロインが
発見してハッとするんですよねぇ。
hair shirt っていうのは、獣毛で織られたシャツ、つまり、ちくちくして皮膚から
血がでるようなシャツ、ってことで、苦行、悔悛の意味で着たシャツなんだけど、
狂信的な性格と、性的に鬱積した暴力性が物語の前半で垣間見えるわけ。
ペストが大流行したころ、これは神の怒りだ、と、自らに鞭を打ちつける狂信的信者 Flagellant の集団が各地を練り歩いたそうなんですが、
そのなかにとりわけ激しく鞭を打つうつろな目をしたルドルフもいた。。
エッタを殺したのは追いはぎや無法者だと思っていたが、実はルドルフでは・・・
とか、小さな部分も面白いんですよね。
読んだのはジャッキー・ダレサンドロ「赤い薔薇を天使に」
楽しく読みました〜。
残念だったのは最近読んだばっかりのMary Jo Putneyの名作「The Rake and the Reformer」にキャラ設定などがとても似てたので、つい比べちゃうってことね。
田舎で暮らす、長身・いき遅れ・自分の美貌に自信のないヒロイン。ズボンをはいて、領内の仕事をガンガンやって、家では年頃の娘とやんちゃな男の子2人の後見人として、擬似家族の面倒をみてる。
ロンドンで長く暮らしてきた放蕩ものヒーロー。
ヒーローの事を気にかける相思相愛のイトコ夫婦。
ヒロインには秘密がある。
ヒーローは家族の愛に恵まれていない
愛すべきバカ犬がいる。
(以上、プットニーの設定ですけど、ね?似てるでしょ?)
プットニーの作品からツンと胸にしみる深みや叡智を差し引いて、ストーリーの
巧みさを差し引いて、シリアスな問題提起を差し引いて、そのかわりにコメディとsex描写を足せば、ダレサンドロになるって感じかなぁ。
天使ヒロインとその明るい家族の魅力がよく描けていたし、ヒーローのつぶやきが
ツボだったし、ストーリーに破綻はないのだけれど、
愛情の薄い、身勝手なヒーローの両親や弟の設定が、後半さらっと流れてしまって、
全員が人が変わったように良い人になってしまう、
身分違いの悩みもなにやら霧散して消えてしまう、
ヒロインの秘密もストーリーに捻りを加えるには至らずで終わる、、
久々のヒットロマンスだったけれど、前半の意気込みを全部消化できたかというと、、、星4つってところかな〜。
コメディに難癖つけてもなんだけど、広げた風呂敷をちゃんとたたむのって難しいわ。
ロマンス翻訳、ぞくぞくと新刊ラッシュですね。
嬉しいわ〜。
ジュディス・アイボリー「Beast」とコニー・ブロックウェイ「My Dearest Enemy」
読んでみたかったの。
それにガバルドンの「Fiary Cross」も出るのね。
この5巻を読み返したら「A Breath of Snow and Ashes」を読もうと
思いながら、はや、数ヶ月(数年?)。
買ったまま放置の最終巻をこのままではいつまでたっても読めないっ(>_<)
って感じだから、5巻の翻訳はほんま有難い。
超久しぶりにBerkley Sensation のリストを更新しました。
つらつらと作家や作品を眺めて、知らない人などを調べてみると、高い評判を得ているのは、この人。
「The Spymaster's Lady」 Joanna Bourne
新人だけれど、色々なところで賞賛の声を聞く(見る)。
新刊のリージェンシーを買うことって滅多にないんだけれど、そんなに
良いならと、ポチっ。
他に表紙絵で選んだものとか(笑)、続きが気になるものとか、ポチポチ。
読み出したのはこれ、Nalini Singh ナリーニ・シン 「Mine to Possess」(2008)
Psy-Changelingシリーズ4番目。
いや〜、まだ3分の1も読んでないんですけど、良いですわ!
ますますこのシリーズから目が離せなくなる、そんな予感。
ナリーニ・シンは本当に力のある作家ですねぇ。
今回のヒーローとヒロインはこれまでの3冊と比べると痛ましいほど
傷ついていて、苦しみの度合いが深い。児童虐待という重いテーマ。
このテーマと、Psy-Changeling ワールドのさらなる広がり、サスペンスが、
実に上手く
重なっていて、一緒に苦しんだりどきどきしたり、自分の読むスピードの
遅さにいらいらしたり。。
初めてサイでもチェンジリングでもない人間がヒロインに登場。
生まれた時に捨てられ、養父母に忌まわしいほどの虐待を受けて育ったヒロインTalin。
彼女が唯一心を許したのが Clay(ヒーロー)だったわけだけれど、
8才のときの事件を最後に20年間姿を消していた。
Clay(当時14才)は彼女を守るために人をあやめてしまい牢獄へ。
出所後「彼女は交通事故で死亡した」とソーシャルワーカーに聞かされ、
うちのめされるようなショックを受けた。
で、今34才、DarkRiverパックのSentinelとなった彼の目の前に、突然、
死んだと思っていたTalinが現れる。
ふたりそれぞれが抱える心の闇の深いことといったら。
Talin・・彼女は自分を無価値で汚れていると感じ、事件の悪夢にうなされ、自傷性行動に走り、、今もまだ自分を価値あるものと受け止められない。
Clay・・18になるまでChangeling社会を知らずに育ち、人間社会で困難な幼少期を
過ごしたため、自分のなかのBeastが不安定だと自覚している。
そして、人間の子供たちの失踪事件が相次ぐ。
発見された死体からは脳が無くなっていた。。
プロトコールIの研究? 事件の陰にはPsy?
ClayはTalinを許すことができるの?
Talinは自分を受け止め、ClayのBeastともためを張れるくらいに強くなれるの?
どうかこのまま最後までわくわくさせてくれますように。
( to be continued )
あぁ、やばいやばい、、ナリーニ・シンの5番目が早く読みたいっ!!
今年の9月ですって? 困りますねぇ〜、こう面白くて次が気になると。
彼女のPsy-Changeling シリーズは、各巻が本当の
意味で「続き」になっている。
物語の大事なパーツというべき人物が何人もいて、
それらがけっこうシリーズ最初から物語に登場し、気になりつつも詳しい
説明がないまま歯車が動きだす。
シリーズを読んでいると、ちょうどトランプで神経衰弱をやっている時のように、
伏せられたカードをめくり、正体を明かし、組み合ったものを盤上からとり除いて、
それでもまだ裏になったカードがだいぶ残っていて、それを睨んでいるような
気分になる。
このめくられるカードの塩梅がじつに妙味。
4巻目では、これまで謎に包まれていた科学者 Ashaya Aleine がとうとう登場し、彼女のドラマが予想よりもおひょ〜・・き、気になる・・・。
(5巻のヒロインになるみたいね)
Ghost、あなたはPsyの、一体、誰なの!
ナリーニの公式HPのところでファンがあれこれ書いているけれど、Ghostの正体がKalebだなんてありえないと思うんだけどなぁ。
Kalebは最悪のサイコパスだと思ってたんだけど、でも、ほかに目ぼしい人材が
いないと言われると、ううむむ。
GhostはArrowの一員じゃないのかなぁ・・。
Councilにも思わぬ新展開が。Nightsterが加わるとは・・
Silenceはこれからどうなるの! Judが言うように、Silenceが救いだったPsy
も多いわけで、ただ廃止すりゃいい、というものではないんだ。。
幼なじみ再会のClay−Tallyのロマンスもがっぷり四つに組んだ生真面目でホットな
合格点だったが、Psy-Changelingワールドが面白すぎてロマンス以上に興味が
引かれて困るわ。
花粉の薬のせいか?頭が重くてぼぉっとしてしまう。。春先って嫌ねぇ。
Mary Jo Putneyの本を2冊飛ばし読み。
「Uncommon Vows」(1991)、「The Wild Child」(1999)
イギリス中世もの前者はヒロインがやや頑固でそれほど乗れず(ごめんね〜)。
1137年、ヘンリー1世亡き後、マチルダ派とステファン派が覇権を争った時代。
双方がそれぞれ優位に立とうとして、伯爵を量産した。
土地をやるからわたしに仕えろっ まさに封建制の始まりである。
ってわけで、隣り合った領土でかたやマチルダ派伯爵、かたやステファン派伯爵が
互いの土地を奪い合わんとして、相手の隙をうかがっていた。
ヒロインに一目ぼれした伯爵ヒーローは、俗に言う蜘蛛ヒーローとなり、ヒロインを
城に監禁してしまう(爆)。ヒロインは逃げようとして城壁から川に転落、、
必死でヒロインを救い出したヒーローは、大反省をして今後は絶対にヒロインの意思を
尊重する、と心に誓うが、なんと、ヒロインは転落のショックで記憶喪失に。
ハンサムで優しく勇敢なヒーローのことを、いっぺんに好きになるヒロイン。
ヒーローは、彼女が記憶を失ってる事をいいことに結婚を迫るのはモラルに反する、と我慢に我慢を重ねるが、ヒロインのほうが押せ押せで・・
ラブラブのふたりはとうとう結婚式を挙げてしまうが、なんと、再びヒロインは
記憶を取り戻し、きぃーー!!!だましたのねーーー!!と逃げてしまう。。
そして、あいたたた、、敵対する隣の最低な伯爵につかまってしまう、、
理不尽な要求をつきつける悪徳伯爵・・・
ヒーローさま、おいたわしや、、でありますな(爆)。
「The Wild Child」はリージェンシー、双子もので、なかなか面白かった。
双子の兄(伯爵)の代わりに、親同士が昔約束した娘の許をたずねるヒーロー(双子の弟)。
その娘というのは、大変な資産の相続人ではあるが、5才のときインドで暴徒に襲われ、両親を失い、自分自身も誘拐される目にあって以来、一度も口を利かずに生きている
娘で、周囲の人は狂人だと思っている。
財産欲しさで婚約するわけではないが、結婚というものに何も期待していない(ように見える)兄伯爵。
そんな兄に反感を抱くが、身代わりをしてくれたら、領地をひとつやる、と言われて、
身代わりを承知する弟ヒーロー。
ヒーローは、ヒロインが決して狂人ではなく、鋭い知性と気骨を持っていることを
感じとり、なんとかヒロインの心に触れようと、優しい心配りと明るいユーモアで
彼女と一緒に庭の手入れをしたり、散歩をしたりする。
(ヒロインは植物を育てることに打ち込んでいて、見事な庭をつくっている)
自分は兄の身代わりであり、深みにはまってはならない。。
わずかに保たれている兄との関係もここで信頼を裏切ってしまったら、二度と修復
できないものになってしまうかもしれない。。でも彼女の力になりたい、彼女を
守ってやりたい。。自分の将来のことを真面目に考えはじめるヒーロー。。
一方のヒロインもヒーローに惹かれてゆく。
前に一度伯爵が来た時は彼はわたしの顔をちゃんと見ようともしなかったのに、、
広大な領地から一歩も外に出ないヒロイン、誰とも口をきかないヒロインが、次第に
変わってゆくのを快く思わない人物がいる・・・
5才のときのインドの事件の真相。
色々なストーリーが絡み合ってできている。
(実際のところ、無邪気なヒロインがヒーローを
誘惑しようと画策するエピソードやら、精神病院へ無理やり連れ去れてしまうやら、
かなりドラマチックな展開である)
兄伯爵が身代わりを頼んだ真の理由。
双子の兄弟の子供時代、掛け違ったボタン、、
疎遠になってしまった双子の兄弟の関係修復ドラマがかなり読ませる。
ロマンスと並行して、丹念に兄弟ふたりの気持ちを解きほぐしてゆく。
(心の内側を丁寧に描く上手さ!)
さて、ロマンス本のページをjavascriptを使って大幅に作り直した。
javascriptの使用を禁止している人もいるだろうし、昔の体裁のほうが読みやすいと
いう意見もあるだろうから、これまでのスタイルのものも置いておくことにする。
アクセサビリティやセキュリティを考えるとjavascriptは使わないほうが良いのだが、
動的なページを作れることができる魅力は捨てがたいわ。
読んだのはこれ。
ロレッタ・チェイス Loretta Chase 「Lord of Scoundrels」(1995)
わぁ〜。ふふ、凄く良いです。
待っていれば翻訳されるかも、と思いつつも再版されたものを買ってしまった。
中表紙のヒーロー、ちらりとみえる横顔がハンサムすぎて、ちと悩むが、
「美女と野獣」の物語だ。
物語の導入部が完璧。
最初のページを読み出したら、もう、ぐっと心臓を掴まれて、そのまま
どっぷりとひたってしまう。
なんといってもヒロイン像が良くできている。
心に深く傷を負ったヒーロー、、醜く生まれた己れを呪うBeast。
才覚があり、父親の借金をすべて返して資産を増やし、大金持ち。
思いやりや無償の愛を信じず、皮肉屋で傲慢で、それでいて
ちらりとみせる心の内側が痛ましく、、読者の心を掴むお膳立ては整っていると
言えるが、世の中で野獣型ヒーローは数々あれど、こんなに気持ちいいヒロインは
そうはいない。
短気でけんかっ早いとこもあるけれど、賢くてリアリストで、しっかり者なのに
ぽわ〜んと柔らかい部分が官能的で、
勝気なんだけれど人の気持ちに敏感で、シリアスでコメディで甘切、といった色々な
要素をうまく兼ね備えている。
彼がたとえモンスターだとしても、彼は「わたしの」モンスターなのよ。(*^o^*)
象のように面の皮が厚い、ハートなんて持っていないと皆が思っているヒーローに
対して、
「あなた、大変だったでしょうね、だって、あなたってとっても繊細で感情が豊かなんですもの」
ちょっとクレンツヒロインに近い部分もあるが、かーっとなったり、わぁわぁ泣いたり、エロチックだったり、
なによりヒーローに惚れているのを隠さないとこがねぇ、、あれほど女を信じない、愛を信じないヒーローが、ヒロインに愛されていると思うと嬉しくて
たまらなくなってしまう、っちゅうわけで、、うひひ、、
時は1828年、イギリスはダートムーアの領地を離れパリで暮らすDain侯爵 Sebastian Ballister(33) はバリスターの災厄と呼ばれる悪名高き男。
ちょいとアホな弟がヒーローのとりまき気分になって、身をもちくずしそうなのを
心配したヒロイン Jessica Trent(27) はパリにやってきて、骨董品店で
ヒーローと印象的な出会いをする。
よりによって最も悪名高い男に惹かれてしまうなんて、、と祖母に打ち明けるヒロイン。「彼は夫に最高よ。釣り上げてみなさいな」(すごいおばあちゃんなのだ)
「彼はマスなんかじゃなくて、腹をすかせたサメよ」
「だったら銛(もり)を使えば?」
をいをい・・
ヒーローとヒロインの丁々発止の会話が面白くて、、
そしてホットシーンが熱くてとても胸きゅんで、、
精力的ざますっ!
胸を打つ再生の物語と、とぼけた可笑しみと、ホットで切ないラブメイキング。
桜がほころび始めたが。。
あぁ、どこもかしこもムズムズしてしまって、、、ヒノキ科のほうがアレルゲンなのかしら。 お花見を待ち遠しく思えた日々は遠い昔(しくしく)。
読んだのはジュディス・アイボリーの「舞踏会のレッスンへ」(1999)「美しすぎて」(1998)
彼女の作品を読んだのは初めてだけれど、舌を巻く上手さだわ。
爽快でほれぼれするヒーロー像、鮮やかな社会のスケッチ、リアルな生活感、知的な制御と混沌と言えばいいのか、ふっとバランスをくずして読者をはっとさせるような、油断のできない緊張感を作り出すワザがある。
ものすごく楽しんだのだけれど「舞踏会のレッスンへ」、超ーー不満ーーーっ
「失礼」(とヒーローの声で訊いてください)
不満よ、不満。 なんであぁいうラストなのぉ〜。
それまでに積み上げていったものが、急にどうでもいいようなものになってしまったじゃない?
身分違いの恋、将来の不安、世界観がどんどん変わり、人生の岐路に
たったヒーロー、ヒロイン。 読みながら、あぁ、ふたりはどうなるのかしら、と
マジでわくわくしたのに・・・
きっと才知と勇気をもって道を切り開くんだろうと期待していたのに・・
てっきり、怪しい双子詐欺師に「スティング」のようなうっちゃりをかますと思っていたのに・・
都合の良すぎるラストでしたねぇ。
上手いから余計に残念に思うのかもね。
「美しすぎて」は、、またまた呆れるほど上手い。
物語の完成度は「舞踏会の、、」よりもこちらのほうが上か? 心の揺れや微妙な
空気の変化、ケンブリッジの風景の美しさ、恋の歓喜と苦痛。
でも、このストーリーが好きか?と問われると、う〜ん、悩む、、
別にヒロインの設定が嫌とかいうのではなくて、なんていうんだろう、妙に落ち着かない気分になる。 リアルなようでいて掴みどころがなく、論理的なようで妙に中途半端なような。。
ゲイル・ウィルソンの「夜が明けるまで」やメアリ・バログの「Precious Jewel」が大のお気に入り、のわたしは、
元(現)娼婦ヒロインだからどうだという気持ちはないのだが、「美しすぎて」は
格別に強いメッセージを持ってるんじゃないだろうか?
なにしろ、他の本と違い、このヒロイン(元高級娼婦)は経済的に自立していて、かわいそうな被害者然としていない。全然日陰者ではないのだ。 「このわたしをありのままに受け容れなさい。 それが無理なら立ち去るがよい」と挑んでいる。 自分の知り合いの大学協議会メンバーのうち半数近い男性とヒロインは楽しく交わったことが
ありそうなんだが、そういう色々な事が曖昧なまま、過去は消せないのだからあれこれ
ほじくった所で仕方ない、とヒーロー&読者は思わなければならない。
本物の人間ならば確かにそうなんだけれど、「物語」となると、なんというか堂々としすぎていて居心地が悪くて。。
そう、居心地の悪い理由は、「恋」として当たり前のように嫉妬や邪推といったヒーローの
悶えを「物語」のなかにふんだんに入れておいて、堂々たるヒロインとして、過去現在の
あれこれを曖昧なままにするからだ。
正直言って、ヒロインがある意味完璧すぎて成功者すぎて、とても遠くに感じる
ときがある。
一方ヒーロー&読者は、欲もあれば嫉妬もする生身の人間で、苦しい気持ちを掻きたてられておきながら、すべてを
胸のうちにしまえ!飲み込め!と説得させられる。
たぶん、ヒロインの肩を持つ読者は、ヒーローが嫉妬するのが気に食わないだろうし、
ヒーローの肩を持つ読者は、ヒロインの近辺が曖昧なままなのが気に食わないんじゃ
ないかなぁ。
あれ、、すごく上手い!と褒めたのに、2冊とも微妙な感想になっている(爆)。
光っている部分は物凄く光っているんだけれど、なんか、不完全な、物足りなさを
感じさせる作家ってことなのかなぁ。
ロマンストップページのjavascriptをもっと簡単なものに変更。
たぶんこれならSafariでもちゃんと見れるはず。 自分が理解している範囲で作るほうが良いわね。
ざざっと読んだのは、Jennifer St. Giles「DARKEST DREAMS」(2006)
表紙絵がぁ、、、悩む。
女性を抱きすくめる男は、うひひ、素敵なんだけれど、どうしたことか、女性が・・
画家の筆の誤りではないかしら、はっきり言って「ちんちくりん」なんである(爆)。
やだ、やだ、変すぎるっ orz
ヒーローだけを見るようにしないと。
1879年、ダートムーアを舞台にしたゴシック調ミステリ。
母の子宮の中で互いの首を締めあっていたかのように、一人は頭を先にして、一人は足を先にして生まれた双子。 双子が生まれると必ず互いを殺しあうというドラゴンの呪いがかかっているKilldaren伯爵家。
双子の兄弟が共に愛した女性が8年前に殺され、兄弟はその日を境に交流を絶つ。
兄はDragon's Coveの断崖に建つ城で孤独に暮らし、弟は父らと一緒にKilldaren城で暮らすも、事故で頭に怪我を負い、太陽の強い光に耐えられなくなったため、もっぱら
夜に活動する。
村の人々は双子のどちらかが殺人者だと信じている。
というお膳立てで、前作でヒロインの従姉妹が殺されていて、その調査にやってきたヒロインの妹と
この双子の弟Seanとが恋に落ちて結ばれている。
今作は、双子の兄ブラックムア子爵 Alexander Killadaren と、Andromeda Andrewsの物語なんだが、
う〜ん、ごめん、一人称のミステリってものすごくメンドクサイわ。
視点がひとつだから、説明が一本調子になりがちで、聞いているうちに眠くなると
いうか、いつ誰がどうしたか、わけがわからなくなるというか。
上手い作家ならば、一人称の良さを生かしてハラハラどきどきするんだろうけど、
この本はハラハラよりもイライラさせられる。
だけれど、ロマンス部分になると途端に筆が冴え、ヒーローさまったら、いやぁ〜ん、むっちゃどきどきするわ。。女性を寄せ付けようとしなかったヒーローだけど、
海賊めいた大胆不敵な性格で、しかも、あ、熱い!!
一日10回マストを揚げるなんてありえませんわ〜(笑)
ヒロイン3姉妹は人には言えない「力」を持っている。
前作のヒロイン、キャシー(カサンドラ)は人の死を予言する夢を見る。
今作のヒロイン、アンドリー(アンドロメダ)は人に触れるとその人が考えていることがわかる。
自分の力を忌まわしく思い、誰とも触れずに済むように、社会から遠く離れて
暮らそうと考えていたアンドリーだけれど、アレックスだけは触れても何も伝わって
こない。 何も気にせずに触れ合える。
心を閉ざしていたアレックスがアンドリーとの恋によって心を開くようになってくると、
アンドリーは逆に考えが伝わってきたりして混乱してしまうわけだけれど、
そこが、実に上手くできていて、、、
アレックスやセインや伯爵らとの関わりを通して、恐れから愛する人を
遠ざけても何も解決できない、逃げては何もならないことを学ぶのだけれど、
このあたりのサブストーリーは盛り沢山で面白い。
ある意味、ミステリー(かなりまとも)とサブストーリー(ヒロイン達以外に
2組のカップルが誕生する)と、詰め込み過ぎだったのではないか。
さて、連続殺人犯の正体をやっとつきとめ、銃で撃ったが、なんと逃げてしまった。
奴はどうなったのか?次もまた登場するのかな?
次のヒロイン(末の妹)は死者の声や姿が見えるというが・・
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